第8話グレン、ルナ


「入学式以来だな」


「そうね、お父さん久しぶり」


「なんだか少し見ないうちに、お姉さんになったな」


「そうかしら、ふふ、ありがとう」


ルナは騎士である父親をかっこいいと思っている。強い父親は娘にとっては自慢なのだろう。

先日までまだ子どもだった娘は、いつの間にか立派なレディになっていた。


「学園で何か困ったことはないか?必要な物は揃っているか?小遣いは足りているのか」


「急に心配しだすなんて、おかしいわお父さん」


ルナはクスクス笑った。

フレアに似て、右の頬にえくぼができる。可愛らしい笑顔は妻譲りだ。

ルナもゼノも親に心配をかけるような子ではなかった。

おかしいと言われ、俺は少し気まずい気分になる。


今まで学園の細かなことはフレアに任せていた。

子どもたちは自分の将来の道を各々決めていたし、迷ったわけでも、悩んでいたわけでもなかった。

だから安心して自由にさせてやったんだ。


「ルナは、最近、フレアと話をしたか?」

「手紙のやり取りはしたわ。まだ、家を出てそんなに経っていないから頻繁にではないけど。お母さんは先週会いに来てくれたわ」


「先週……その、フレアは何か言ってなかった?」


「お母さん?そうね、学園でどのクラスに入ったかとか、友達はできたかとか、食べている物は何かとかそんな話をしたわ」


「ああ……そうか。そうだよな、新しい環境でいろいろ不安なこともあるだろう。俺のことは何か言ってなかった?」


「お父さんのことは何も言ってなかったわ。お母さんは私の心配をしていた。お父さんって本当に自分のことばかりだよね。子どものことも気にならないみたいだし、お母さんの心配もしてない。まぁ、今に始まったことではないけど」


どういう意味だ?

まるで俺がルナを子どもたちのことを考えていないかのような発言じゃないか。俺は父親だから、こうやってルナに会いに来たんだ。


だが……たしかにそれは口実だ。

実際はフレアのことが訊きたかった。

子どもは鋭いなと苦笑する。


「すまない。お前たちはお母さんに任せておけば安心だと分かっていた。今は学校に世話になっているから、問題ないだろう。実は、フレアと喧嘩をしてしまった。フレアに許してもらいたいんだが、俺と話をしてくれない。ルナから母さんにちゃんと話をするように頼んでもらえないか?」


俺は正直にルナに現状を告げた。

だが、家を出て行ったとか、離婚届のことは伏せておく。


「そうね……お父さんって、お母さんの好きな物って知ってる?」


唐突になんだ?


「好きな物?」


「食べ物でも、花でも、何でもいいわ。行きたい場所とか」


「そうだな、昔は二人で観劇に行ったりショッピングしたりした。フレアは何でも喜んでくれたし、好き嫌いもなかったな。だからこれといって特別な物はないんじゃないかな」


「観劇って、15年も前の話よね?最近は何か買ってあげたり、一緒に食事に行ったり遊びに行ったりした?」


「いや、していない。お互い忙しかったし時間がなかった。ルナは母さんと仲が良かっただろう?彼女の好きな物とか、行きたい場所とか知っていたら教えてほしい。何かプレゼントを贈りたいからな」


「そうね。あまり自分の物は欲しがらなかったけど、ミスティーのお茶とクッキーは好きだったわ。自分へのご褒美だって、特別なときに買ってた」


「クッキーか……もっと高価な物は望んでいないのか?」


「そうね、マリソンの絶壁ホテルって素敵よねって言ってた。岩の側面を掘って作られた部屋に泊まるんですって。そんなホテルがあるんだねって二人で話してたの」


「絶壁ホテル……」


背中に変な汗が流れた。なぜ今マリソンの話が出てくるんだ。

マリソン湖にある絶壁ホテルはメリンダと何年か前に泊まったホテルだ。

マリソンは彼女が離婚して王都に戻ってきて、俺との関係が復活した時、記念にと旅行した場所だ。


もしかして、フレアは俺達が旅行したのを知っているのか?

ルナがホテルの名を口にし、俺は心中穏やかでない。


「雪を見たことがないから、一度でいいからアクツゥル山へ行ってみたいって言ってた。山頂でスキーができるんですって」


「アクツゥル山でスキー……」


それも2年前メリンダと行った場所だ。初めてスキーという板に乗って滑るスポーツをした。フレアにバレていたのか?


フレアは雪を見たことがなかったのか……


「お母さんは、お父さんはアクツゥル山に行ったことがあるって言ってたよ。遠いし、3日ほど休みがないと無理ねって笑ってた」


「そうか、俺が行ったのを知っていたんだな」


背中に変な汗が流れ、声が震えた。

もう完全にバレている。そしてルナもそれを知っている。

後悔がじりじりと胸の奥に食い込む。


「それから……」


「分かった。もういいよ、ありがとう。俺はお母さんをどこにも連れて行かなかったな」


「そうね。日帰り旅行でさえ連れて行かなかったわよね」


急に目の奥が熱くなった。

妻に対して申し訳ない気持ちが込み上げてくる。


だけど、言わなくては分からないだろう。

行きたいのなら、ルナに言うんじゃなくて俺に言えば連れて行ってやった。


何も言わず、俺と話もしないんだから、それで気持ちを分かってくれと今更言われても仕方がないだろう。


「これからは、お前たちも寮に入って夫婦だけになるから、お母さんを旅行に連れて行く。雪も見せてやろうと思う」


今言える言葉は、これが精一杯だった。


ルナはフレアが家を出て行ったのに気が付いているようだ。

メリンダと旅行へ行った場所を正確に俺に伝えてきたところをみると、俺の浮気も知っている。


だが、俺はシラを切るしかない。娘に自らの不貞を認める告白なんてするもんじゃない。大人にはいろいろ事情というものがある。


15歳だ、まだまだ子どもだと思っていたのに、いつの間にか父親に説教するまでになっていた。


俺の妻に対する多くの失敗と過誤を子どもから教えられるとは思っていなかった。


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