第7話グレン2


それからどうやって自分が家まで帰って来たのか覚えていない。


なんとか宝飾店でフレアが今働いている工房の名前を聞きだした。

王都の貴族街の端にある侯爵の所有するジュエリー工房だという。

確かな技術を持つマイスターだけが雇われる工房らしく、フレアは人気の彫金師だという。

何もかも初めて耳にする内容で、なぜ今までフレアが俺に話さなかったのか理解できなかった。

いったい妻は日頃どんな生活をしていたんだ。


けれど、まさか、俺がメリンダのプレゼントを買っているところに妻がいたなんて思いもしなかった。

しかもそのネックレスの制作者はフレア本人だった。


俺はフレアの作ったネックレスを愛人へのプレゼントにしていた。

そして最悪なのは、それを妻は知っていたという事実だ。


あの店で買った物は、ブローチ、イヤリング、ブレスレット、ネックレス……

メリンダは自分の髪の色と同じ赤い宝石を好んだ。彼女は貴族だから、安い物はプレゼントできなかった。

誕生日や、何かの記念日の度に強請られて一緒にアクセサリーを買いに行った。

あの店はメリンダのお気に入りだった。


俺は……いったい何をしている。


妻にも誕生日には必ず贈り物をしていた。

記念日も忘れない良い夫のはずだった。


彼女にはいつも花束をプレゼントしていた。

宝石は仕事がら見飽きているだろうし、洋服はサイズがあるから俺には分からない。

だから、無難に花をプレゼントにしていた。いつも彼女は嬉しそうにそれを受け取っていた。

妻には花束でいいと思っていた。


けれど、彼女はそれで満足していたのだろうか。

毎日俺の家族の世話をしてくれて15年だ。


値段は……メリンダのネックレスとは比べられないほど安物だった。




***


翌日俺はフレアが働いているという宝飾工房へやって来た。


昨夜ずっと、妻に会ったら言うべきことを考えていた。

俺は長い間フレアを裏切っていた。フレアに誠心誠意謝って、この先二度と間違いは犯さないと誓おう。

フレアの話をちゃんと聞いて、自分の過ちを認め、これから一生妻のために生きると言う。

今までメリンダに買ったプレゼントと同じ額、いやそれ以上の物を買って彼女に渡そう。

そう固く決意して彼女の仕事場へ向かう。


彼女は俺の妻で、俺は妻を愛している。

俺はフレアを手放したくないんだ。



高価な宝石を扱っているためか、工房は建物を守るように、高い塀で囲まれていた。外部からの侵入を防ぐためだろう。

入り口には門衛が数名いて警備体制も万全なようだった。



「ああ……フレアさんのご主人ですか」


門衛は曇った表情で俺を見る。なんとなくいい気持ちはしない。

フレアから話を聞かされているのか、俺が名のるとここで待つように言ってきた。

門衛に早くしてくれと伝えた。

俺はなかなか会えない妻に苛立っていて、心中穏やかでなかった。


しばらくすると、工房から一人の男が歩いてきた。


身なりの良い、一見貴族に見える男だった。


「初めまして、工房主任のマイクです」


「……初めまして……妻が世話になっています」


俺は頭を下げた。彼の憮然とした態度を見て、一抹の不安がよぎる。

フレアには会わせないつもりだろうか。


「フレアさんは記入済みの離婚届を持って来るまでは貴方に会わないとおっしゃっています。無理に接触しようとすれば、危険人物として憲兵に通報します。彼女に会いたいのであれば、再度申し上げますが離婚届をお持ちください」


頑として他の意見は聞かないというように俺は突き放された。

初対面で、しかも従業員の夫に対して失礼な態度だ。

俺ははっきりと自分の意見を言う。


「いえ、それは話をしてからでないと記入できません。妻にそう伝えて下さい。何も話をせず、いきなり離婚届にサインしろというのは横暴です」


「言い分はどちらにもあるでしょう。けれど、ここは彼女の仕事場です。迷惑行為にあたりますので、通報させて頂きます」


「ちょ、それは待って下さい。ならば、どこで妻と会えるんだ?職場では迷惑がかかることは十分承知しています。けれど、私にはそれ以外の方法がない。妻の住まいを教えてください。そうすれば妻とちゃんと話し合える」


俺は怒りを抑えて、当たり前のことを彼に言う。


「私の話をちゃんと聞いていましたか?話がしたければ、離婚届を持ってくることです。話をする機会は十分あったとフレアさんは言っていました。それを無下にしたのはあなたなのでは?」


「……それは……」


俺は言葉に詰まり何も言えなくなった。

そんなことまで彼は妻から聞いているのかと驚いた。

夫婦の痴話げんかを他人に話すなんて、彼女は恥ずかしいとは思わなかったのか。


「今更でしょう。奥さんに本当に申し訳ない気持ちがあるのでしたら、速やかに離婚届にサインすべきです。それが彼女の望みなんですから」


苦悶の表情の俺に背中を向けると、彼はさっさと工房へ向かって歩いていってしまった。


なんで他人にそんなことを言われなければならない。

悔しさのあまり拳を握りしめた。




***



情けない。

ダイニングの椅子に深く腰を下ろしてため息をついた。


フレアが出て行ってしまったら誰が家事をするというんだ。

俺は散らかった部屋を見回して、いつも当たり前のように掃除してくれたフレアを思い出した。


アイロンがかけられた皴のないシャツ、温かい食事、家に帰ると出迎えてくれる笑顔のフレア。

全てがなくなってしまった。


部屋にはゴミが散乱し、洗濯物はたまっていく。買ってきた総菜は冷えていて旨くない。

汚れた食器はそのままだ。石鹸の買い置きがどこにあるのかすら分からない。

15年間家庭を守ってくれていた妻の存在の大きさを痛感する。


だけど、俺は働いて家族を養っていた。

それに子どもが今、勉強ができて寮に入れるのは俺が働いているおかげだ。

小さい頃はおむつ替えや着替えはフレアが担当していたが、俺は子どもと一緒に遊んでやった。

ゼノの剣術の稽古も見てやった。父親として、ちゃんと子育てに参加していた。

子どもたちは、素直で頭もよくしっかりと育っている。


子ども……


「そうだ、ゼノとルナ!」


俺は大事なことが頭から抜けているのに気が付いた。

そうだ、俺達には子どもがいる。

子ども達ならフレアと話ができるだろう。

フレアは子どもの前で常に家長としての俺を立ててくれた。だからあまり家にいなくても、俺は子どもに嫌われてはいない。

フレアは父親の浮気話を子どもにするような女じゃない。

俺を尊敬して、騎士の道に進んだゼノの前で父親の悪口は言わないはずだ。

子ども達は俺の味方になってくれるかもしれない。

それに女同士のルナなら母親が何を考えているのか分かるだろう。


俺はルナの寮に連絡し、子どもと面会したいと申し込んだ。


明日、授業が終わったら談話室で話ができる。

目の前に見えた明るい光、握った拳に力を込める。




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