第5話フレア
グレンが貴族令嬢の警護をしてた時期だった。
子どもの誕生日休暇を取っていたグレンが突然仕事が入ったと言って家を出て行った。
一年に一度の子どもたちの誕生日、彼が仕事に出るのが悔しかった。でも、騎士の妻なら我慢すべきだ。
その日のために、街はずれで誕生日ケーキを予約していた私は、自分でそれを取りに行かなければならなくなった。
私は近所の人に子どもを預けて店に向かった。
急いで帰らなくてはと思い、いつもの大通りから抜け道に入った。
普段は薄暗く危険だから使わない裏通りだ。
その通りの奥に連れ込み宿といわれる宿屋がある。
人目に付きにくいその連れ込み宿。
宿屋の入り口から令嬢とグレンが出てくるところを私は見てしまった。
思わず近くの木の幹に身を隠した。
グレンと令嬢は辺りを見回し、人がいないのを確認すると濃厚なキスをした。
グレンの相手は、あの日子どもたちに『汚い』と言った令嬢だった。
街の風景から色が失われた瞬間だった。
私はグレンの浮気現場を見、両手で頭を覆い道にかがみ込んだ。
ショックという言葉では言い表せない程、それは絶望に近いものだった。
でも、私は母親だった。
夫が浮気していようが、子どもたちを食べさせて面倒を見なければならない。
子どもたちはケーキを楽しみに私の帰りを待っている。
不安げな顔を子どもたちの前で見せられない。
明るく元気なママでいなくてはならない。
「私には子どもたちがいる」
わざと声に出して、気持ちを奮い立たせた。
立ち止まって動かないでいても仕方がない。
今日は子どもたちの誕生日だ。しっかり前を向いて進まなければ。
私は10年前のあの日に決意した。
子どもだけはちゃんと育てよう。辛い思いは絶対させない。
苦しむ人間は私一人で十分だと。
*
今後の計画を立てようとしたけど、問題はお金だ。5歳の子どもたちに留守番させて私が仕事に行くわけにはいかなかった。
子どもたちが学校へ通うのもまだ先だ。
安易に離婚を決めてしまったら、子どもと一緒に暮らせないかもしれない。
現状では、私一人で、子どもたちをちゃんと食べさせる自信はない。
今はまだ、その時期ではない。
私と子どもが自立できる見通しが立つまで、グレンと夫婦関係を継続させなければならない。
何日も考えて、そう結論を出した。
グレンが浮気をしているのは確実。
だけど彼は結婚していて子どももいる。浮気相手は貴族令嬢だ。
お互い愛し合っていたとしても、彼らに駆け落ちをするほど根性はないだろう。
騎士の妻たちの話にあがったように、ただの遊び気分の浮気である可能性の方が大きい。
けれど、私にとって、グレンの行動は裏切りでしかない。
私は夫を許せない。
これから、すべきことがたくさんある。
短時間でも働ける職を探し、夫から自立しなければならない。
万が一、私と子どもを捨てて、彼女と一緒になると言われてしまったら、もう終わりだ。
捨てられないよう、グレンには愛する妻として接しなければならない。
そうと決まれば、今まで以上に忙しくなるだろう。
それから、私は彫金の求人を探した。
独身時代の私の夢は、ジュエリーデザイナーになることだった。
私には金属の形を自由自在に変えられる魔力があった。
この国で魔法を使える者は多いが、そのほとんどはちょっとしたマジック程度の物だった。
金属を変形させる能力は希少だ。
ジュエリーを作る為に彫金師は必要だ。
安いアクセサリーをいくつ作っても儲けはさほど出ない。
だから、将来的には貴族たちが求めるような、高価な宝飾品の彫金を仕事にしたい。
ダイヤモンドやエメラルド、ルビー、サファイアは貴石。
価値の高い宝石の台を作れば収益も上がる。
すぐには無理だろうけど、小さな工房から、大きなジュエリー工房へ、そして最終目標は王室のジュエリーを作る。
ファッションやジュエリー、装飾品に惜しみなく大枚をはたく貴族たちは多い。需要は必ずあるはずだ。
私はデザインを考え、それを思い通りの形にする国一番の彫金師を目指す。
やらなければならない、やるんだ。
その考えが浮かぶと、少し嬉しい気持ちになった。
同時進行で、浮気相手の令嬢のことも調べなければならない。
グレンは浮気をしていないと嘘をつく可能性がある。
実際、彼は彼女を、仕事で警護している令嬢だと言った。
彼女が貴族なら、騎士であってもグレンとの不倫は悪い評判にしかならないだろう。
今すぐ離婚になれば私の立場は悪くなる。
最悪でも、彼らに慰謝料を請求できるくらいの情報を持っておきたい。
*
子どもたちの年齢から今後かかる学費や生活費を計算した。
13歳くらいから仕事をもらい働くことはできるけれど、学びは大切だし学園へは行かせたい。
子どもたちの可能性は無限大だ。将来の選択肢は多い方がいいだろう。
夫の遺伝か、ゼノは運動能力に優れている。ルナは、感覚が鋭いから、もしかしたら魔力があるかもしれない。私たちの血も入っているのだから、遺伝的に可能性はある。
離婚をしないのなら、住む家は問題ない。
後は、子どもたちの学校の資金を今からちゃんと貯めておこう。
私はできるだけ節約して、無駄を省き、家計から貯蓄に回すお金を捻出する。
家事も手を抜かず、綺麗な妻でいられるように努力しよう。グレンから嫌われないよう良き妻を演じる。
グレンがただの遊び感覚で浮気をしているのなら、夫婦生活はこのまま続くはず。
もし本気で相手を好きになったのなら、その時は覚悟を決めなければならない。
*
グレンの行動や、彼の周囲を注意して観察していくと、浮気相手はドワン男爵家のメリンダ様だと分かった。
彼は警邏中に彼女を強盗から救ったらしい。
その後、彼女から何度もアプローチを受けていたという。これは騎士団の夫人会から得た情報だった。
グレンは結婚している。だから付き合えないと最初は断っていたらしい。
当時、相手はまだ18歳の学生だった。さすがに、体の関係にはならないだろうと、みんな思っていたようだ。
(残念ながら、みんなの予想は外れたわね)
そう思いながら私は過去の新聞を探し出して、貴族たちのゴシップ記事を読んでいた。
メリンダ様は婚約していて、相手は遠縁にあたる伯爵令息だということが分かった。
一年後には結婚するらしい。
結婚後は領地で暮らすようだ。
(婚約者がいるのに、グレンと関係を持ったのね。彼女、貞操観念がなさそうね。グレンに限っては軽率だとしか言いようがない。仮にも、2児の父親で、職業は騎士だというのに)
今まで子どもの世話はほとんど私一人でしてきた。
初の子育てが双子だ。手がかかるし、助けて欲しいこともあった。
けれど我慢して、彼の仕事に影響が出ないように、妻として夫に尽くしてきたつもりだった。
新聞記事の上に、雫が落ちて紙面が濡れた。
私は自分が泣いていることに気づかなかった。
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