第4話グレン


数時間は眠っただろうか。

寝室のベットの中で目が覚めた。

耳を澄ますが、静かになっているダイニングに人の気配はない。


フレアも寝ているのだろう。


(なにも徹夜で俺の帰りを待つことはなかったのに)


妻の姑息な手段に腹が立った。

くそっ、なにが離婚だ。


(子どもたちが出て行ったから俺はもう用済みってか?)


学費だって寮費だってこれから3年分かかるんだ。

しかも双子だから2倍だぞ。

俺と離婚したら生活をどうやってしていくつもりだ。


フレアはパートで宝飾品を作る仕事をしている。けれど、ただの小遣い稼ぎだ。

彼女は金属に特化した魔法が使え、小さな貴金属の形を変えることができる。結婚する前はアクセサリーなどの彫金を仕事にしていた。

いくら形を変えられても、金や銀は物がなければ意味がない。

だから稼いでいるとしても、金属成形だけの技術ではたいした収入にはならない。

離婚してひとりで生活はできないだろうし、俺が必要なはずだ。


静かにドアを開けてキッチンを見る。

フレアはいないようだ。

いつもは夫婦の寝室で一緒に寝ているが、さすがに離婚の話をした後だから子ども部屋で寝たのだろうか。

家の中は静かだった。



テーブルの上に手紙が置いてあった。


『私は家を出ます。離婚届にサインしてくれるまで、あなたと話はしません』


***





俺は手紙を手に取って、強い力で握りつぶした。

横には妻の名が記入された離婚届がそのまま置いてあった。


「くそっ!フレアのやつ一体どこへ行ったんだ」


家の中を確認したら、彼女の物だけそっくりなくなっていた。

服や化粧品、彼女の普段使っている物がない。


食器や鍋、掃除用具などの生活用品はそのままだ。


「旅行か?いや、服が一枚もないんだ……出て行ったのか……」


いったいどこに?

彼女の両親はすでに鬼籍に入った。

帰る実家はないはずだ。

行く先を調べたいが、誰かに訊ねるのは避けたい。

他人にうちの事情は知られたくないし、妻が出て行ったなんて、恥ずかしくて誰にも言えないだろう。


俺は着替えて家を出た。フレアがいそうな場所に行って、彼女を捜そうと思った。

ここにじっとしていても埒があかない。


レストランや、商店を回る。二人で行ったことのある広場や、カフェ。子どもたちと遊んだ公園。

何処にも彼女の姿はない。


騎士団員の仲間の家にも行き、仲間の嫁にそれとなく訊ねてみた。


「フレア?来てないわよ、どうしたの?」


「いや、買い物に出たのかもしれないな。いいんだ、来てなければ」


彼女は、フレアから俺の浮気のことを聞いていないようだった。離婚云々を彼女に相談していた様子はない。

少しほっとし、胸をなでおろした。


「副団長になって、仕事が忙しいからってフレアをほったらかしたら駄目よ」


「心配しなくても、ちゃんと妻のことも考えてるよ」


確かに最近フレアを構ってやれなかった。一緒に出掛けることもなかった。

だが、子どもも大きくなったし、どこかへ遊びに連れて行く必要もなかったではないか。

15年も一緒にいる夫婦が。今更外でデートなどしないだろう。


近所の家にも行ってフレアが何か言っていなかったか訊ねてみた。


「フレア?来てないわよ。仕事が忙しいんじゃないの?最近は残業もしてるって言ってたし」


「仕事っていっても、手伝い程度のパートだろう?」


彼女に金の面で苦労をかけた記憶はない。そんなに働かなくてもやっていけたはずだ。

今日は休日だ。彼女は休日も仕事へ行っていたのか?

俺は不定期な休みも多いからフレアの出勤状態は知らない。


「こう言っちゃなんだけど、他の騎士の奥さんは、新しい服とかバッグを持っていたわ。フレアってあまり物を持ってなかったわよね?子どもにお金がかかるから、その為に貯蓄してるって言ってたけど、たまには自分の為に贅沢してもいいかもって言ってたのよ私」


なにが言いたいんだ?フレアが貧乏くさかったって教えているのか?


「子どもの為に残業していたのか?自分の物は買わずに」


「だって寮生活に学園の学費でしょう?これからたくさん出費が増えるでしょうから。自分の物を買うのは贅沢だって思ってたんじゃない?そこは旦那さん、グレンが気を利かせてあげなきゃいけないわよ」


「俺が買えって言うべきだったのか……」


「まぁ、フレアはあまり文句は言わないし、欲しいわけじゃなかったのかもしれないけどね」


新しい物は買っていなかったが、普段の彼女は清潔な服を着ていた。

服でも鞄でも欲しいなら好きな物を買えばよかっただろう。


「ああ。よくできた妻だ。フレアは残業かもしれないな。もう少し待ってみるよ」


俺の普段着は質の良いものを選んでくれていたし、家の食事も栄養のある物をちゃんと作ってくれていた。

そんなに質素に暮らしていたわけではないと思っていたが、フレアはそんなに慎ましい生活を送っていたのだろうか。

俺は副団長だぞ、妻に大したものも買ってないなんて恥でしかない。


「それじゃ、また」


俺は気まずさのあまり、適当に返事をしてそそくさとその場を去った。


仕事に行っているのなら、彼女は職場にいるはずだ。

俺は急いで妻の仕事場へ足を運んだ。


フレアが働いているのは、指輪やブローチなどを作っている小さな工房だ。

家からそう距離もないから、子どもが小さくても働けるとフレアは喜んでいたのを思い出す。


俺は何年ぶりかに彼女の職場の前にやって来た。

そして、どうかフレアがここにいるようにと願っていた。


「ああ、これはまた久しぶりですね、グレンさん」


この職人はフレアに紹介された記憶がある。確か名前はフランクだった。


「妻が、いつも世話になっています。今日は仕事に来ているのかな?」


驚いたように目を丸くして、工房の職人は笑った。


「もう5年も前にフレアはここを辞めてますよ。ご存じなかったんですか?6年前かな……」


子どもが5歳になって、預かってくれる人が見つかった。

数時間だけパートをするとフレアは言っていた。もう10年も前の話だ。ちょうどメリンダと付き合いだした時期だった。


辞めてる?6年前……


「えっと、フランクさん。妻は今、どこで働いているんですか?」


「え!知らないんですか?」


くそっ、もったいぶらずに早く教えろよ。

夫がまさか妻の職場を知らないなんて、夫婦仲を疑われるだろう。


「妻は仕事の事をあまり話さなかったので……」


居心地の悪さを感じた。


「フレアは貴族専門の宝飾品を扱う工房に引き抜かれたんですよ、専属の彫金師として」


「引き抜き?」


「うちでずっと働いてほしかったんですけどね。フレアさんが話していないのなら、旦那さんには教えない方がいいのかな……」


「いや、勝手に職場を変えてしまい、仕事に関してとやかく言われたくなかったのだろう。子育てに影響するようなら、俺も反対しただろうし」


「そういうものなんですかね。主婦って大変ですよね。けれどフレアさんは彫金師として群を抜いた才能があった。引き抜かれるのは当たり前です。僕が尊敬する大先輩です!」


見習いっぽい男が後ろから出てきて、フレアをえらく褒めだした。

彼はフレアを思い出して顔を赤らめている。


人の嫁に変な妄想を抱いてるんじゃないかとその男を睨みつけた。

俺はフレアが何も言わなかったことに苛立っていた。


「直接フレアさんにお聞きになったらどうですか?」


なんだこいつは、生意気に。


「そうだな、妻が帰ったら聞くとしよう。すまなかったな」


大人の余裕を見せて、平静を装って彼らに礼を言った。

くるりと背を向けて、その場から立ち去る。

確かフランクに会ったのは今から8年も前、それ以来話をしたことはなかった。


そもそもフレアが普段、誰と会って、何をしていたのかをよく知らない。


彼女はなぜ、俺に何も言わなかったんだ。


騎士の仕事は忙しかったし、俺は風使いだ。魔物討伐で遠征し、数週間家を空けることもあった。

副団長になってからは、宿直も多く、騎士団の専用の部屋に泊まる日も多かった。

妻が話があると言ってもなかなか時間をつくれなかったかもしれない。忙しかったんだ当たり前だろう。時間がなかった。

だけど、職場が変わったのならフレアもちゃんと話すべきだった。

そうすれば、彼女が働かなくても十分やっていけるとちゃんと言ってやれたのに。


しかし、貴族専門の工房とはいったいどんなところだろう。

ちゃんとした仕事なのだろうか?

貴族たちに労働力だけ不当に搾取されているようなら、しっかり調べてやらなければならない。


もう辺りは薄暗くなってきた。

夜になったら彼女は何処に泊まるんだ。

行く場所なんてないだろうし、金もそんなに持ってないはずだ。

俺は考えた。


俺は家までの道を必死に走った。


もしかしたら、もうフレアは家に帰っているかもしれない。

願望かもしれないが、それしかないような気がして来た。




彼女の身勝手な行動には腹が立つが、離婚する気はない。

それに俺がメリンダと浮気していた証拠はないだろう。

ちゃんとフレアと話し合おう。


俺が間違っていたことに対しては謝る。誠意をもってこれからの話をしよう。


フレアに会ったら抱きしめて、俺が愛していることを伝えなければならない。


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