第3話 秘密結社

 時代は進んでいき、

「東京オリンピック」

 あるいは、

「大阪万博」

 などという節目を通り越し、双子として宿したはずなのに、実際に一人っ子として生まれた子供は、すでに、30歳前くらいになっていた。

 その少年の名前は、

「久保豊一郎」

 となずけられた。

 母親は、

「本当は双子だったのでは?」

 という思いがあったのだという。

 それは誰にも言わなかったが、自分で何となく感じていたということもあっただろうが、それ以上に、

「自分の家族には、双子が生まれる可能性が、他の家族よりもかなり高かった」

 というのが分かっていたからであった。

「私は、一人っ子で生まれてきたんだけど、却って、親族から、実に珍しい出産だといわれたものだ」

 ということであったのだ。

 確かに、自分のおじさんのところも双子が生まれ、つまりは、

「従妹は双子だ」

 ということであった。

 それを聞かされた時、

「ああ、だから似てるんだ」

 と、最初に見たその時の直観が間違っていなかったということもすぐに分かった気がしたのだ。

 双子は、

「顔が似ているだけではなく、考え方も性格も似ていて、しかも、会話をしなくても、お互いに考えていることが分かる」

 ということが、当たり前のことのようにあるようだ。

 だから、従妹の双子も、

「最初は双子だけで育ったので、人間というのは、相手が考えていることが分かるという方が当たり前だ」

 と思っていた。

 だから、従妹は、学校に行くようになって、まわりの人が何を考えているのか分からないと思った時、

「自分がおかしくなったのではないか?」

 と感じたという。

 これは、双子同時に考えたことで、

「相手の気持ちが分からない」

 というのがおかしなことだと考えるからそうなるのであって。

「物心がついてから、まわりの人をどんどん知っていくうちに、自分の能力が下がっていくのではないか?」

 と思うようになってきたようだ。

 それは、まるで、

「二十歳過ぎればただの人」

 などという言葉を、まだ小学校に上がるかどうかというような頃に感じていたのだから、それこそ、

「久保少年は天才だ」

 と言われたとしても、無理もないことだろう。

 しかし、自分の考えをあまり表に出すようなことをしなかった久保少年だったので、まわりの人が久保少年の性格について、いちいち考えることもなかったのだ。

 久保少年は、どちらかというと、まわりの人を避けるタイプだった。

 特に、

「同じくらいの年齢の子供とは、あまり自分から近づいて、友達になろう」

 という意識はなかったのだ。

 どちらかというと、

「友達がほしいとは思わない」

 と感じていたようで、その時はまだ。

「人の気持ちが分からない」

 ということを認識する以前のことだった。

 しかし、さすがに小学校にあがると、そうもいかないようで、

「学校では、絶えず集団行動というものを強要されるところだ」

 と思うようになっていた。

「集団登校」

 から始まって、学校ではクラス分けが行われ、

「学校にいる間は、クラスの中でも、班というものに分けられ、数人の団体で行動するということになる」

 ということであった。

 まるで、

「大日本帝国時代の、隣組のようだ」

 といえるであろう。

 ちなみに、隣組という組織は、

「戦時体制において、集団で行動することが、戦意高揚につながり、政府や軍としては、実に都合のいいことであった」

 ということになるのだが、理由はそれだけではなかった。

 というのは、

「当時の治安維持法や、国家総動員法などによって、反政府であったり、戦争反対論者などというものを、特高警察というものが見張り、検挙していたのであるが、それだけでは足りないということで、この隣組という組織を作ることによって、そんな、治安維持を犯す連中を監視する」

 ということを行うための組織ということでもあったのだ。

 これが、

「大日本帝国の戦時体制」

 というものであった。

 しかし、日本は、敗戦ということになり、

「占領軍により、立憲君主体制というものが崩壊した」

 一番の問題であった、

「天皇制」

 というものも、

「大日本帝国時代」

 のような、

「天皇主権」

 というところから、

「国民主権」

 ということになり、新憲法も発布されたことで、

「大日本帝国は、あらたな日本国として生まれ変わった」

 ということで、その主義とすれば、

「完全な民主主義の国」

 ということになったのだ。

 だから、小学校に上がった久保少年も、時代的には、

「まだまだ戦後の混乱が続いていて、やっと、学校らしい授業ができるようになった」

 というくらいの時代だったのだ。

 教科書もまともにあるわけでもなく、食べ物もまともにはなかった。

「とりあえず、学校の再開」

 ということで、教育の現場も、結構混乱していたのかも知れない。

 何といっても、教師のすべてが、

「自分たちが受けてきた教育とは、まったく違った内容のことを教えなけばいけない」

 ということになったのだ。

 そもそも、

「立憲君主」

 という国から、

「民主国家」

 というものに生まれ変わったのだ。

 算数、理科などの、いわゆる、

「理数系」

 というのは、普通に変わりなく教えればいいのだろうが、

@「国語や社会」

 と言われる、

「文系の学問」

 というのは、そうもいかない。

 国家の主義が変わった以上、教育内容が変わってくるのは当たり前、大日本帝国のように、

「国家総動員型の教育」

 つまりは、

「政府や軍に都合のいい」

 という教育を、育むしかなかったのだ。

 特に、

「天皇制を批判する考え方」

 というのは持ってのほかで、そのあたりは、明治時代の、最初の教育方針が固まった時から、数十年と続いてきたことであり、その根本に変わりはなかった。

 しかし、敗戦により、国家の主義を完全に解体し、新たに作るわけなので、

「その時の教育というものがいかに大切であるか?」

 ということが大切になってくる。

 特に、憲法で示された、

「国民主権」

「基本的人権の尊重」

「平和主義」

 という、

「三大方針」

 というのは、実際の授業で教える前に、道徳のような授業で、

「理屈が分からないまでも、精神論として叩き込んでおく」

 という必要がある。

 ということになるのであった。

 だから、小学校に入学した時から、

「まわりとの協調」

 ということが重視された。

「皆で助け合って生きていく」

 というのは、その時代の混乱においては占領軍としては、当たり前のこととして考えていたことだろう。

 というのも、

「占領軍が統治するといっても、その限界というものがあり、それを、国民一人一人がわきまえて、まわりの人と共存していってくれる方が、占領政策でも楽だということになるのだ」

 これは当たり前のことで、

「統治政策だって、いつまでもあるわけではない」

 ということが分かっていたからだ。

 当然、統治をしながら、その国が、

「自立できる」

 という世界を作ることが、

「自分たちの使命だ」

 ということくらいは分かっていたことだろう。

 そして、いずれは、

「独立国」

 ということで、統治を終わり、自分たちの母国に対しての、

「協力国」

 ということにまでなってくれることを期待しているといってもいいだろう。

 特に、大戦後というのは、

「ソ連を中心とした社会主義国家」

 というものが、

「アメリカを中心にした民主主義陣営」

 ということろから見れば、まるで、

「仮想敵」

 ということになるのだ。

 だから、

「極東における日本の存在」

 というのは、ある意味、

「民主主義の防波堤」

 という意味もあった。

「極東におけるアメリカの前線基地」

 ということにしたかったのだろう、

 実際に、戦後、アジアやアフリカに展開されていた、欧米諸国が持っていた、

「植民地」

 というものが、どんどん独立戦争に勝利し、独立を果たしている。

 これこそ、一つの、

「時代の流れ」

 ということであり、さらには、

「中国の国共内戦というもので、共産党が勝利し、中華人民共和国という社会主義国ができてしまった」

 ということ。

 ただ、これは、あくまでも、

「アメリカが本当であれば、国民党をずっと指示してきていたのに、急に、蒋介石がいうことを聞かないという理由で、一方的に支援を打ち切ったことで、一気に共産党が勢力を伸ばしてきて、耐えきれずに、国民党は、台湾に逃げる」

 ということになったのだ。

 そういう意味では、

「中華人民共和国の成立に対して、アメリカに責任がある」

 といってもいいだろう。

 ちなみに、アメリカは、

 「懲りない国」

 ということなのか、

「ベトナムやアフガニスタンなどで、何度も同じことを繰り返す」

 ということになったのだ。

 それはさておき、朝鮮半島も余談を許さない状態だったのだが、

 そもそも、

「戦時中に行われたヤルタ会談」

 というものによって、

「ドイツが降伏して、3か月以内くらいに、ソ連に対して、日本への攻撃を行ってほしいという密約ができていた」

  しかし、それをまったく知らない日本は、さすがに、

「ことここに及んで」

 ということで、国民には、

「一億総火の玉」

 などといっておいて、水面下では、

「何とか和平を模索する」

 ということで、何と、

「ソ連に、和平の仲介を申し込んでいた」

 ということであった。

 ソ連としては、うまくはぐらかしながら、

「参戦の機会を狙っていた」

 というところで、日本に対して、不可侵条約を一方的に破棄し、

「シベリアから、満州に攻め込む」

 という、アメリカから見れば、

「約束通り」

 ということで、満州から、朝鮮に攻め込んできたのだった。

 満州国は解体し、途中で、

「日本に併合された」

 といってもいい朝鮮半島は、

「すでに、どうしようもない状態」

 だったのだ。

 北部からは、ソ連が侵攻し、南部からはアメリカが入ってくる。

 ということでの、

「分割統治」

 というややこしいことになったのだ。

 ヨーロッパの方では、敗戦国であるドイツが、そのような形であったので、アメリカの目も、ソ連の目も、どうしても、

「ドイツに向いていた」

 といってもいいだろう。

 その間隙をついて、社会主義国として成立した、いわゆる、

「北朝鮮」

 が、南部朝鮮、つまり、大韓民国に、兵を勧め、ついに、

「最初の、冷戦下での戦争」

 ということで、

「朝鮮戦争」

 というものが勃発したといってもいいだろう。

 朝鮮戦争は、そもそも、

「アメリカとすれば、北朝鮮が攻めてくることはない」

 と思っていたのが、その甘さに、メンツは丸つぶれで、

「何とか起死回生の手段を余儀なくされた、連合軍は、まずは、

「ソウル奪還」

 から始まって、「

北部においつめる」

 ということになったのだが、この時も、

「中国の参戦はない」

 と見ていた連合軍も、数百万という中国義勇軍が派遣されるとは思ってもいなくて、結局、また、北朝鮮の猛攻が始まることで、

「朝鮮半島は、本当に火の海になってしまった」

 ということになったのだった。

 それが、朝鮮戦争の特徴で、やはり、

「占領軍の社会主義国に対しての考えの甘さが露呈した」

 ということであろう。

 そんな時代において、久保は小学校に入学すると、いよいよ天才児的な発想をいろいろ生み出すようになる、

 知能が発達しているかどうかというのは、さすがに小学生の、しかも一年生では、教師にそこまでを見抜くのは難しいだろう。

 そんな小学校に、ちょうど、

「文部省からの出向ということで、一人の先生が来ていた。その先生は、それまでの教育を正すために、文部省から派遣された人であり、元は、官僚だったという」

 その人は、

「先生の中で一番の力を持っている」

 ということで、

「校長よりも、権力的には強い」

 といってもよかった。

 ただ、この男、確かに

「文部省からの出向」

 という名目であったが、実際には、

「文部省からの厄介払い」

 ということであった。

 というのも、彼には、

「一種の疑惑のようなものがあった」

 というのだ。

 その疑惑というのは、

「国家の秘密を盗み出そうとした」

 というものであり、確かに、彼の行動が怪しいということで、実際に、

「政府における諜報員」

 というのが見張っていて、この男が怪しい行動をしているのを把握していて、

「盗まれたかもしれない」

 ということで、現行犯逮捕したのだが、実際に捕まえてみると、何も持っていなかったのである。

 秘密書類を盗んでマイクロカメラに収める」

 かのような行動をしていた。

 金庫を開けるのも見たし、何かゴソゴソしているのも分かった。

「偽物とすり替えられたか?」

 ということで、実際に残っている書類を見る限り、本物でしかなかったのであった。

 もっとも、

「盗むのであれば、金庫の中を空にするようなことはしない」

 ということである。

「カメラに収めるか?」

 あるいは、

「偽物とすり替えるか?」

 ということであるが、いつかは見つかることであり、ただ、見つかる前に、その秘密書類を使ってしまえば、政府としても、どうしようもない。

 盗難を公表し、窃盗団を捜索できればいいのだろうが、政府としても、

「盗まれた」

 ということが国民に分かってしまうと、その権威は失墜してしまい、

「国家の異変は地に落ちてしまう」

 ということ。そしてそれよりも、

「無住まれた書類自体を、表に出すことのできない」

 というものだったのだ。

 だから、

「盗まれても、盗まれたとは言えない」

 ということなのであった。

 この男は、そんな秘密書類の存在を知っていて、しまっている場所も知っていたのだ。

 そのものの存在したいも、それこそ、文部省内でも、一部の閣僚しか知らず、ましてや、他の省庁でも知っている人などいるはずもなかった。

「省庁関係というと、政府の機関の一つということで、それぞれの専門的部分の機関としての存在を示している」

 ということで、

「横のつながりも強いのだろう」

 と思われがちだが、そんなことはない。

 民間でも、同じ会社で、

「営業部と管理部で仲が悪い」

 などというのは、当たり前のことのようで、特に公務員の勤めている、

「各省庁」

 であったり、出先機関などというと、カッチリしている分、横のつながりは、

「あくまでも、表向きのことだ」

 といえるだろう。

 警察組織など、昭和の終わりくらいから、テレビドラマになったりして、世紀をまたぐあたりから、

「警察組織のガッチガチな部分をあからさまにして、そこから人間ドラマにしよう」

 という動きが主流になってきていて、

「警察というのは、縄張り意識が強かったり、上下関係が厳しかったり」

 ということで、その、

「縄張り意識」

 というのが、警察における、

「横のつながり」

 ということで、

「やっていることは、まるで、小学生の喧嘩ではないか」

 ということだったのだ。

 もっとも、当時の警察というと、どうしても、戦時中まで存在していた、

「特高警察」

 なるものの恐ろしさから、誰もが恐れる存在だった。

 もちろん、戦争終結後には、

「軍の解体」

 とともに、それら特高警察というものは、なくなっていった。

 大日本帝国というのは、

「主権を天皇」

 ということにして、政府は、

「国家においてのただの機関」

 でしかなかったのだ。

 しかも、軍というのは、

「天皇直轄」

 ということで、

「軍の作戦や、方針に対して、政府と言えども、口出しはまったくできない」

 ということであった。

 だから、軍の作戦であったり、戦果というものは、軍によって行われる、

「大本営発表」

 というものを、一般国民同様にしか知らされることはなかった。

 だから、戦時中、しばらくは、政府も国民同様に、

「軍に騙されていて、勝戦が続いている」

 と思っているのであった。

 さすがに、そのわりには、物資がなかなか入ってこないどころか、どんどん攻め込まれているのが分かってくると、

「軍もかくしきれなくなった」

 ということであろう。

 だが、軍によって戦争が難しくなってくると、政府も、戦争継続に反対ができなくなる。

 というのも、天皇制の問題であったり、根底から変わってくるということになると、

「簡単に、降伏するというわけにはいかない」

 と思ってはいたであろう。

「戦争の収拾を、外交に委ねよう」

 と考え、

「ソ連に仲介してもらおう」

 と考えたのも、無理もないことであっただろう。

 しかし、それでも、結局。

「日本は敗戦したのだ」

 そもそも、

「勝ち目がなくて、いかに、敗戦での状態を、有利な形にできるか?」

 ということしか、日本の生きる道はなかったのだ。

「だったら、最初から戦争などしなければいいではないか?」

 と言われるかも知れないが、

「そんな単純なものではない」

 ということであった。

 久保少年の父親は、結局、南方で戦死することになったのだが、

「久保という男はある意味天才だった」

 と言われていた。

 戦時中は大ぴらにはそれを言えなかったのだが、彼は、戦争中に、近しい人にだけ、この戦争の隠された部分や、

「政府がどうすればいいのか?」

 という模索に対して、戦後に明らかになった部分を、最初から裏付けるようなことを言っていたのだ。

 元々、父親は新聞記者だった」

 というおともあって、

「結構、戦争というものが、どういうものなのか?」

 ということは分かっていたのだった。

「今度の戦争は、まず勝ち目はないだろう」

 ということが、大前提で、

「このまま戦争を続けるのは自殺行為であり、どこかのタイミングで、講和に持ち込むしかないわけだから、そのタイミングが難しく、日本政府や、軍部には無理だろう」

 ということを唱えていたのだ。

 もちろん、新聞に書くことなど御法度で、話をするにしても、

「よほど口が堅い人が相手でないと、自分が危ない」

 と思っていた。

 だが、やはり、彼の考えもそれなりに甘かったのかも知れない。

 実際に、特高警察から目をつけられてしまったようで、他の人のように、

「逮捕、拷問」

 ということはなかったのだが、それよりも、

「南方戦線の第一線に、赤紙が来る」

 ということになったのだ。

 その瞬間。

「ああ、結局こうなったか」

 と思ったという。

 彼は、こうなることは覚悟していて、戦争にいったらいったで、

「潔く戦う」

 というつもりでいた。

「逆らってもどうなるものでもないし、逆らうことで、家族がひどい目に遭うという理不尽なことになるのは、承諾できない」

 と思っていた。

「運命に逆らうことをしようとも思わないし、これが自分の運命ということであれば、日本も運命というのも、大したことはない」

 と思うのだった。

 彼は、

「とにかく天才児だ」

 と子供の頃からいわれていた。

 というのは、

「実は、俺は双子で生まれてきたんだ」

 と奥さんに明かしたことがあった。

「えっ、そうなの?」

 と意外そうに聞くので、

「ああ、俺は、生まれた時は、双子として生まれてきたんだけど、兄が生まれ落ちてすぐに、死んでしまったんだよ」

 というのであった。

 母親は、昔からの言われ方として、

「双子で生まれると、天才児が多い」

 ということを知っていた。

 だから、

「ああ、なるほど、夫が天才だといわれるゆえんはそこにあったんだ」

 と思うのだった。

 久保は、結局、南方戦線に配属になり、そこから最終的にサイパンに向かい。そこで、

「玉砕」

 という運命をたどったのだ。

 最初から、死を覚悟はしていたが、それでも、少しは、

「祖国のために、政府が早めに戦争終結を考えてくれる」

 ということを望んではいた。

 しかし、それはあくまでも、

「一縷の望み」

 であり、他の人とは、考え方が、

「一線を画していた」

 といってもいいだろう。

 大日本帝国というのは、そんな時代において、

「どうすればいいのか?」

 ということを考えるよりも、まずは、

「天皇陛下のため」

 と考えるというように、教育されている。

 だから、軍人が最後の際に叫ぶこととして、

「天皇陛下、万歳」

 というではないか。

「組織的な戦争は不可能になった」

 ということで、物資不足であったり、兵の数が減ってきているということで。

「すでに、戦争にはならない」

 ということは、一目瞭然であった。

 そうなると、

「相手を巻き込んでの、一撃必殺しかない」

 ということになる。

 その戦法として考えられたのが、

「片道の燃料しか積まず、相手空母に体当たりする」

 という、いわゆる、

「カミカゼ特攻隊」

 というものがそれだったのだ。

 彼らが、

「遺書」

 ということで、家族に手紙を書いているのだが、その文章が、

「今でも涙を誘う」

 ということで、

「終戦記念日」

 と言われる日に、よくドラマとして描かれたりしていた。

 最近では、

「そんな暗いイメージの作品を放送することはなくなった」

 といえるが、

「すでに、時代は、80年近く過ぎていて、誰もそんな暗い話を見ようとしない」

 ということで、

「視聴率が悪いのは、必至だ」

 ということで、製作もされないのだろう。

 そもそも、

「終戦記念日」

 という言い方もおかしなもので、本当であれば、

「敗戦ではないのか?」

 ということである。

 しかも、8月15日というのは、終戦記念日だといわれるが、あの日はあくまでも、

「天皇による玉音放送が流された」

 ということであり、

「国際的には、まだその時点で戦争は終結しているわけではない」

 ということであり、

「終戦というには、平和条約に当事者国が、調印した時」

 ということになるのだ。

 というのが、正論ではないだろうか?

「だから、敗戦と言わずに、終戦というのか?」

 ということなのかも知れない。

「無条件降伏を受け入れて、日本は自らが戦争をやめるのだ」

 ということで、

「相手に屈服したわけではない」

 ということが言いたいだけなのかも知れない。

 ということになるだろう。

「確かにそうなのだろうが、日本の勝利を信じて死んでいった人は、浮かばれない」

 ということも言えるであろう。

 ただ、この考え方というのは、

「そもそも、日本軍が、戦争をやめることができなかった」

 と理由として、

「死んでいった英霊たちに、申し訳がない」

 ということが一番強かったのではないだろうか?

「天皇陛下のためであれば、死ぬことも惜しまない」

 という教育を受けてきて、実際に、戦時体制において、その教訓めいたものを、心のよりどころにするということで、

「戦争完遂」

 ということを目指しているのである。

 国民としても、

「一人でも、戦争反対などといって、大きな列を乱すやつがいれば、その統制はもろくも崩れ去るのではないか?」

 ということが分かっていたということである。

 だから、

「特高警察」

 というものの存在を知っていて、下手に、戦争反対論者とかかわったり、共産主義者として特高警察に目をつけられている人とかかわったりするとどうなるかということも、十分に分かっていることであろう。

 それを考えると、

「特高警察に協力する」

 というくらいの考えは普通にあっただろう。

 だから、

「隣組」

 なる組織の存在も、

「ありだ」

 と思っていたことだろう。

 実際に、戦争が終結しても、

「隣組」

 と似た組織はあった。

 今度は、戦争のためではなく、共産主義を撲滅するという意味での、

「占領軍に協力する」

 という意味での、国家としての秘密組織というものであった。

「大日本帝国が、日本国として変わっても、基本的には変わらないのかも知れないな」

 とも言われたが、

 占領軍としても、

「占領に際して、それまであった組織のようなもので、使えるものがあれば、継続して使う」

 ということは、普通にあった。

 だから、

「天皇制というのが、継続することになった」

 といってもいいだろう。

 天皇制に関しては、連合国内でも、賛否両論があった。

「天皇制をいきなり排除したり、天皇を処刑しようものなら、日本を占領どころではなくなる」

 ということであった。

 他のドイツやイタリアなどは、戦争終結時に、亡くなっている。

「ヒトラーは自殺」

 であり、

「ムッソリーニは処刑」

 だったのだ。

 ムッソリーニに至っては、

「法律による処刑ではなく、国民からの私刑というものが、公然と行われた」

 ということであった。

「ここが、同じ同盟国であっても、日本と、他の国との違いである」

 といってもいいだろう。

 そんな日本には、以前から、

「秘密結社」

 のようなものが存在していたということだ。

 その秘密結社が大日本帝国が崩壊し、一時期、その命令系統が崩壊したことで、組織も空中分解したのだった。

 しかし、また同じような組織ができたことを、知っている人は少なかった。

 大日本帝国時代に、このような組織が存在していたというとは、一定数の人が分かっていた。

 特に、特高警察はもちろん分かっていて、ただ、この組織に関しては、特高警察も、軍から、

「監視することは構わないが、決して手を出してはいけない。あの組織に関しては、我々の命令なくして、少しでもかかわってもいけない」

 というのが、軍、あるいは、大本営からの通達だったのだ。

 どうやら、組織としては、

「似たようなものなのかも知れない」

 ということで、まるで、

「幕末の新選組と、京都見回り組」

 と同じようなものではないか?

 ということであった。

 同じ、思想を持ち、同じような行動をしている二つの団体ということで、

「浪士」

 といってもいいものであった。

 ただ、この時代の秘密結社と、特高警察とでは、幕末の浪士たちとは、少し違っていたといえるだろう。

 特高警察というのは、一般の警察とは違い。

「治安維持法」

 に特化した形で、

「反政府組織」

 であったり、

「反戦論者」

 というものを取り締まるのが、目的だった。

 共産主義、政府や軍に対しての危険分子の取り締まりに特化した警察なのである。

 秘密結社と言われる組織が、

「本当の目的というものが何であり、その命令系統はどこからきているのか?」

 などということは、特高警察においても、諜報組織においても分かるものではなかったのだ。

 ただ、一つ考えられることとして、

「秘密結社」

 と呼ばれる連中は、どうやら、諜報活動に特化しているようだ。

 ということであった。

 しかも、そこに所属している連中は、何か、特殊能力のようなものを、持っていて、まるで、

「諜報活動というものをするために生まれてきたような人たちである」

 ということであった。

 彼らのような人間は、今の時代に生まれてきたのは、自分たちで、

「必然だ」

 と思っている。

 彼らは、戦争前、戦時中を通じて、決して恵まれてはいなかった。世間自体が、

「人のことなど構ってはいられない」

 という時代であっても、

「お互いにかかわりを持たなければ生きていけない」

 ということで、それぞれに、しっかりした時代だった。

 しかし、実際に彼らは、

「一般市民」

 の間においても、どこか迫害されているところがあり、差別的な待遇を受けていた。

 それは、他の人にはない能力を持っているからであり、気持ち悪がられていたというのが、その本音であった。

 だが、

「秘密結社にとっては、彼らほど重宝する存在はなく、しかも、世間から煙たがられているということで、諜報活動にはもってこいの存在だ」

 といってもいいだろう。


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