第2話 生まれるはずの双子
そんな大きな二つの世界大戦を経て、世界のほとんどの国では、多大な犠牲を出すことになった。
ヨーロッパは、ナチスの侵攻から、連合国の逆転があったとはいえ、国土がそのまま戦場になったのだから、ひどいものであっただろう。
しかも、第一次大戦の傷も癒えぬままに突入した、20年後の第二次世界大戦。それはひどいものだったに違いない。
アジアの方も、まずは、中国大陸は、日本との、
「宣戦布告なきシナ事変」
というものが、襲い掛かってきたことで、中国国民党の作戦として、
「日本軍を自国の奥深くに誘い込んで、戦争を引き延ばす」
という作戦を取ったために、逃げる時、こともあろうに、
「そのまま敗走すれば、日本軍に物資を取られてしまう」
ということで、物資を自分たちが勝手に自国の民から強奪しておいて、おまけに。村に火をつけるなどして敗走するという、
「本来なら、自分たちが守るべき、自国民を犠牲にして逃げていた」
というわけで、
「もはやこうなると、作戦ではなく、自分たちの保身を目的にした、逃走行為だ」
といっても過言ではないだろう。
たぶんであるが、日本兵であれば、絶対にそんなことはしない。
「玉砕というのも、あれはあくまでも、先陣訓というものに基づいて、民間人も、虜囚の辱めを受けたくないという思いから、全滅の道を選んだ」
ということなのかも知れない。
もっとも、自分だけ助かろうとしても、結局が敵に取り囲まれて、ネズミ一匹逃走できないのだから、結局、
「玉砕するしかない」
ということだったに違いない。
それを考えると、
「大日本帝国」
というのは、ある意味、
「武士道に基づいての、戦争をしている」
ということになるのであろう。
日本が同盟を組んでいた、
「ドイツ」
や、
「イタリア」
という国では、それぞれ、ファシズムという考え方があり、それに基づいての戦争であった。
このファシズムというのは、
「全体主義」
といってもいいのか、元々、共通しているのは、
「第一次大戦で、割が合わなかった」
ということである。
ドイツというのは、完全に戦争に負けて、その賠償を、
「ベルサイユ条約」
というもので、押さえつけられた形になり、国民は、貧困に苦しみ、まわりの国に対して、卑屈な気持ちにならざるを得なかったのだ。
それにより、
「ハイパーインフレ」
であったり、
「極度な失業問題」
というのが、混乱に拍車をかけて、国民は生きていくだけで大変だったということである。
だから、
「ナチスの台頭」
が許されたのだろう。
ナチスの言い分は、
「一人の責任が取れる政治家によって、強いドイツを作り上げる」
ということであった。
「強いドイツを作る」
ということは、
「独裁によることでの、強い政府が必要だ」
という考え方が、国民に共感を得たのと、その時に一番の大きな問題だったといわれている、
「失業問題」
というものを解決することができた、
「ナチス党」
というものの実力を目の当たりにした国民は、
「この男なら、自分たちの未来を託しても」
ということで、ナチスが、独裁の道を歩むことになったのだ。
だから、あくまでも、
「ナチスが、ドイツ国内で悪どいことをして、政権を握った」
というわけではなかった。
あくまでも、合法的に選挙によって、どんどん勢力をつけていき、最後には、
「一党独裁」
というものを実現することになったのだ。
しかも、国民は、それまで、卑屈な精神を持っていたものが、
「ヒトラーの熱弁」
というものによって、
「自分たちの誇りと自信」
というもmのを取り戻すことができたのだといえるであろう。
イタリアの場合には、
「先の大戦では、あまりいい思いもできず、さらに、世界恐慌の煽りで、強国が形成したブロック経済から漏れてしまったことで、一気に、貧困国の仲間入りをすることになった」
というのが、大きなできごとで、そこに現れたのが、
「ローマ帝国の誇りを取り戻す」
といっている、
「ムッソリーニ」
率いる、
「ファシスト党」
だったのだ。
だから、ドイツとイタリアは、それぞれに意識をし合い、同盟を結ぶのは最初から、
「なるべくしてなった」
ということだったに違いない。
では、大日本帝国は、どうだったのだろう?
「日独伊三国同盟」
というものが結ばれたが、
「日本もファシズムの世界だった」
ということであろうか?
ということであるが、これは、
「半分はそうだった」
といってもいいかも知れない。
確かに、日本という国は、大東亜戦争のスローガンとして、
「東アジアから、欧米諸国の勢力を追い払い、自分たちで、東アジア特有の秩序を建設することで、東アジアに共栄圏を建設する」
ということだった。
当時の東アジアの国々は、かつての大航海時代に、ヨーロッパに国々に、侵略を受け、
「植民地」
ということで、完全に、
「属国化」
していたのである。
約300年という歳月、支配を受けてきたことで、先の、
「第一次大戦」
の時には、ヨーロッパの戦争の時には、兵として駆り出されたのも、いい例ではないだろうか。
しかも、中国においては、
「散々食い物にされた」
という、清国と、その継承国である、
「中華民国」
は、問題であった。
結局日本は、
「最初からの考え方に対して、想定内だったのか、それとも想定がだったのか、中国との、全面戦争に突入してしまった」
ということである。
それが、結局、日本の中、いや、
「陸軍内部でも、その方針が分かれていたのだから、本位だったのか不本意だったのかは、陸軍としては、戦争に突入した以上。勝利に向かって邁進するしかないのであった」
というのが、シナ事変というものであったが、
そんな日本の行動に、
「中国に、大なり小なり権益を持っている」
という諸外国から見れば、
「日本のやり方」
というのは、
「制裁に値する」
と見えたのだろう。
だから、中国を支援する、
「援蒋ルート」
というものを、築いたのであった。
そんな国において、
「もちろん、租界地への爆撃は注意したであろうが、各国の民族が住んでいる都市に向かっての、無差別爆撃というのは、非難されるべきだったということである」
それが、余計に、
「他国の、反日」
というものを招き、諸外国をも、敵に回すきっかけになったのだろう。
特に日本というところは、
「地理的な問題」
というのもあり、
「日本国というのは、資源が致命的に少ない国」
ということであった。
これをつかない手はないということで、
「経済制裁に乗り出した」
ということである。
それまで、
「輸入に頼っていた」
と言われる資源を、
「輸出禁止」
ということになれば、日本は当然、資源確保のために、南方進出というのも見えていている。
しかも、そこにあるのは、
「列強の植民地」
ということである。
当然戦争になり、日本を引きずり出すことで、アメリカも、参戦ができるという、計画になるのだった。
そもそも、アメリカというところは、
「大統領の一存では戦争を始めることはできない」
ましては、
「アメリカ国内が攻撃されているわけではなく、自分たちに関係のない、ヨーロッパやアジアで、なぜ、自分たちが血を流さなければいけないのか?」
ということになるわけだ。
しかし、
「侵略された」
となると、国民の意見は変わるはずだということで、アメリカに、
「まんまとシナリオ通りに踊らされたのが、大日本帝国だった」
ということになるわけだ。
もっとも、これは、
「アメリカのシナリオに乗ってしまった」
というよりも、もっといえば、
「日本は、なるべくしてなった双六の上にいた」
といってもいいかも知れない。
もう、引き返すことができないところまで来ていたということも言えるだろう。
それは、
「世論の力」
という言い方もできるし、それに扇動される形になったのが、
「マスコミの影響」
というのもあっただろう。
そういう意味で、
「日本が戦争中に、軍から言われ、戦争での過大な報道をさせられたということで、軍は、報道を操った」
と言われるが、確かにそうではあっただろう。
しかし、ここで、
「マスコミがかわいそうだ」
という理屈は成り立つのだろうか?
というのが、
「そもそも、シナ事変にしても、大東亜戦争突入に際しても、国民を煽る形で、政府の味方をしながら、戦争を正当化したのは、ほかならぬ、マスコミではなかったか」
ということだ。
確かに。国民の声に扇動されたということになるのだろうが、だからといって、
「マスコミは悪くない」
というのも、おかしなことだ。
しかも、マスコミというもは、商売なのである。
「記事が売れる」
という状態にあれば、いくらでも、売れるように書くというものだ。
もちろん、その段階で、その後のひどい展望を見ていたわけではないだろうから、無理もないといえるが、
「だとすれば、最初から煽らなければよかったのでは?」
ということになるだろう。
もし、
「大日本帝国による。ファイズムというものが存在した」
ということであれば、その正体が何なのかというと、それこそ、
「一般市民」
であったり、それに便乗して、煽りまくった、
「マスコミ」
というものではないだろうか。
これこそ、
「ヒトラーの演説」
というものに、匹敵するくらいのものだったといっても過言ではないに違いない。
ただ、軍も悪かったのだろう。
最初に戦争のシナリオをして、
「最初に、連戦連勝において、優位に立っておいて、アメリカが盛り返してくる前に、一番いいタイミングで講和に持ち込む」
というのが、
「唯一の負けない戦争」
だったはずだ。
しかし、真珠湾での奇襲を、
「卑怯な攻撃だ」
とアメリカ国民に思い知らせることになったり、
あるいは、
「国民やマスコミに対して、連戦連勝を煽ったことで、戦争ムードが高まりすぎて、今度は、戦争をやめることができなくなってしまった」
というジレンマに落ち込んでしまい。結果、
「戦争を継続するしか仕方がない」
という状態になったのである。
それが、大日本帝国が、
「はまってしまった沼だった」
といってもいいのではないだろうか?
そんな戦時中、本来であれば、
「半年、長くても1年が、戦争継続のタイムリミットだ」
といってもよかったはずである。
しかし、実際に戦争を起こしてみると、前述のように、辞められないという事態に陥った。もし、下手にやめでもすると、
「日露戦争の講和条約であった、ポーツマス条約への不満から起こった暴動」
である、
「日比谷焼き討ち事件」
というものが、脳裏をよぎったのかも知れない。
「国民を敵に回し、暴動が起こってしまうと、自分の立場どころか、命までが危険に晒される」
ということで、簡単に戦争をやめるわけにはいかなかった。
しかも、
「連戦連勝」
ということで、
「ひょっとすると、このまま、戦争に勝てるかも知れない」
などという
「甘い夢を見てしまった」
といえるのだろうか?
あれだけ、戦争前夜に、
「机上演習」
などもやって、
「万に一つの勝ち目もない」
という結論が出ているのに、まさか、戦争継続に一縷の望みを賭けたということは考えられないだろう。
それこそ、清国の
「西太后」
がやったことに匹敵するだけの暴挙であった。
当時の清国というところは、国家が末期症状になっているところで、
「扶清滅洋」
という合言葉の下に、北京でクーデターを起こしたのだ。
そこで、当時の最高権力者であった彼女が、何と、そのクーデターに便乗し、北京に展開した
「多国籍軍」
に対して、宣戦布告をしたのだった。
その時の国というと、
「米、英、露、仏、独、日」
などを中心とした。九か国だったのである。
彼らは、北京に居留民がいたので、
「居留民保護」
あるいは、
「公使館保護」
の意味も込めて、軍を派遣してくるのは当たり前のことだった。
当時は、
@国際連合」
はおろか、
「国際連盟」
すらなかった時代だったので、それらをまとめる国際機関は存在しなかった。
それでも、きちんと国家間で気を遣いなからの戦闘だったことが功を奏したのか、あっという間に北京は鎮圧されたのだ。
「ひょっとすると、清国が宣戦布告をしたその裏には、多国籍軍というのは、烏合の衆で、実際には、簡単に崩せるのかも知れない」
ということがあったのかも知れないが、それも、一時的には優勢に立てるかも知れないが、ぼやぼやしていると、簡単に攻め滅ぼされることになる。
それができるかできないかを考えると、
「やはり無謀だったのだ」
といえるであろう。
当時の清国でも、無謀だといえるだろうに、大東亜戦争を始めた軍部は、そんな清国を知っているのに、よく、戦争継続できた」
ともいえるだろう。
何といっても、義和団事件の際に、一番兵をたくさん送り、多国籍軍でも、中心にいたのが、日本軍だったということを考えれば、無謀であったことは分かるというものだ。
だから、戦争は、結局、
「4年も続く」
ということになった。
そもそも、日本も、ミッドウエイで敗戦した開戦から1年も経っていないその時から、どんどん攻め込まれてきて、本来であれば、
「いい加減にやめてもいい」
というところまで、何度も来ていたはずだった。
実際には、
「サイパンを中心にしたアリアナ諸島」
であったり、
「フィリピン」
が攻略された時点で、
「日本は、もう終わり」
といってもよかったのだ。
特にアリアナ諸島というところは、
「新兵器のB29の航続距離を考えると、日本列島でいえば、北海道以外の都市すべてが、その攻撃範囲に入る」
ということになるのだ。
だから、その頃から、本土空襲が毎日のように起こるということになるのであった。
それが、終戦の半年前くらいからであっただろうか。
「東京大空襲」
と皮切りに、毎日のように、日本の大都市の、2,3か所が、
「大空襲」
というものに見舞われたのだ。
何といっても、日本家屋というのは、木造建築で、
「火をつければ、あっという間に燃え広がる」
ということは、アメリカも、
「関東大震災の教訓」
ということで、目の当たりにしてきたはずだからである。
だから、当時の米軍の新兵器として、
「クラスター型の焼夷弾」
というものを空からばらまいて、一晩にして、
「大都市が焦土と化した」
ということになるのであった。
何しろ、焼夷弾というのは、
「ナパーム」
とも呼ばれ、
「水では消えない」
あるいは、
「燃えつくすまでは消えない」
と言われるだけの効果があったのだ。
東京大空襲では、火に追われて、人々が、隅田川にたくさん飛び込んだというが、ナパームの火は、
「何と、川面を伝うようにして、迫ってきた」
というのである。
それだけ、火の勢いというのは恐ろしいもので。
「決して消えない火で、川の中で、焼け死ぬ」
ということになるのであった。
だから、
「命は助かっても、住む家はない」
ということになる。
さすがにその頃になると、国民も、
「大本営発表」
というものに、疑問を抱いていたのではないだろうか?
「戦争に勝っているはずなのに、食料や生活必需品は回ってこないどころか、国に、供出されるということになっている」
というのだから。さすがに、ほとんどの人が、
「本当に戦争に勝っているのか?」
と思うのも当たり前だ。
そこへ持ってきての、大空襲。さすがにおかしいと思うだろう。
しかも、空襲前には、日々の訓練として、
「防空訓練が中心だった」
というではないか。
防空訓練が中心ということは、
「日本国が空襲に遭う」
ということで、
「日本の戦闘機や、高射砲は、どうなっているんだ?」
ということである。
そもそも、戦闘機などは、第一線に回されて、国防のために使うという考えはなかったであろう。
もっとも、
「日本の性能では、高度一万メートルを飛ぶ、アメリカの最新鋭爆撃機に近づくこともできない」
ということになるであろう。
それを考えると、
「もうすでに、常軌を逸した戦争をしている」
というわけで、
「組織的な戦略に基づく戦闘は、とっくの昔に終わっていた」
ということだ。
そうでもなければ、陥落したところで、
「玉砕」
などということが行われるわけはない。
何しろ、
「制海権」
「制空権」
のどちらも日本にはないのだ。
いくら、援助物資を送ろうとしても、待ち伏せされて、狙い撃ち、大切な食糧は、海の藻屑と消えていくというわけであった。
そう考えると、
「日本政府や軍が、自分たちの保身を考えずに、戦争を終結させることを考えていれば、あんないたくさんの人が死なずに済んだのではないか?」
といえるであろう。
アメリカが、原爆投下の理由として、
「戦争を早く終わらせるため」
といっていたが、その言葉自体には信憑性がある。
しかし、実際には、
「対社会主義」
という、
「戦後の世界情勢」
というものを見据えた状態で、原爆使用に踏み切ったことで、
「あれは、人体実験だったんだ」
という話になるのである。
確かに、
「戦争を早く終わらせて、自国の兵を一人でも救う」
ということを目的にしているというのであれば、一応の理屈としては、成り立つのかも知れないが、
「実際には、必要なかった」
ということであれば、話は変わってくるというものだ。
ただ、日本という国は、
「天皇陛下、国家のためには、死ぬことも恐ろしくない」
という教育を受けてきたということもあるので、
「玉砕」
というものも、
「バカなこと」
といってはいけないのであろう。
「二度と起こしてはいけないことだが、その犠牲があってこその平和、それを考えずに、占領軍に押し付けられた民主主義がすべて正しいと考えるのは、愚かなことではないだろうか?」
と考えられる。
大東亜戦争の時代は、ほとんどの子供は戦争に取られて、戦地でどんどん亡くなっていく。そして、次第に一般市民も、
「本土空襲」
で、死んでいくことになる。
そんな大量殺戮の時代、子供の出生率もかなり低かっただろう。生まれたとしても、生き残るには、かなりのハードルが高かったことであり、特に戦後の食糧難、
「栄養失調」
などということで、生まれても生き残ることは難しかった。
だから、ある家庭で、妊娠した時、双子が生まれるはずだったのだが、実際に生まれ落ちると、一人が死んで、一人が生き残ったということであった。
ただ、この事実は産婦人科の医者は、本人、つまり親には告げなかった。生まれ落ちてきた子供のみを、最初から、
「一人で生まれてきた」
ということにしたのだった。
なぜなら、その理由として、
「生まれてこなかった子供の肌は真っ白で、完全に白人だった」
ということだからである。
母親は、決して、白人と性交渉をしたわけではない。当然、戦争中なのだから、そんなことができるわけもなく、そもそも、外人がいるわけもない。そんな状態で双子を宿したことも、その当時の医療では、生まれてくるまでは分からなかっただろう。
だから、逆に、生まれてくることができなかった子供は、秘密裡に、荼毘にふされ、
「一人っ子が生まれてきた」
というだけの、普通の妊娠として処理されたのであった。
戦争が終わって生き残るために、一人でも、食い扶持が少ない方がいいというのは当たり前のことであり、母親と子供は、何とか生き残りを考えていた。
旦那は、戦地で戦死していて、生き残るために、旦那の実家に身を寄せて、何とか頑張って生き残りをかけたのだ。
旦那の実家は、決してやさしくはなかった。
もっとも、時代が時代だったので、実家の方も、
「食い扶持が増える」
ということは決してうれしいことではなく、本当であれば、
「出ていってほしい」
と思っていたことだろう。
それだも、むげに追い出すこともできず何とか暮らしていたが、時代が、
「もはや戦後ではない」
という頃になって、やっと、二人は自立できるようになったのであった。
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