襷を架ける双子
森本 晃次
第1話 都市伝説
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年12月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。前作品と、似ているところが多いが、まったくう別の作品となります。今回の日本と世界の発想に関しては、若干違っているとすれば。それは、「パラレルワールドの世界だとお考え下さい。
「双子」
というものには、いろいろな都市伝説なるものがある。
その中でも、不思議なものとして、まず言われている話として、
「二人の両親は、国際結婚であり、しかも、その肌の色が違っていた」
というのだ。
そんな二人の間で、子供ができて、生まれてきた子供は、
「双子だった」
という。
しかも、その生まれてきた子供というのは、
「一人は、白い肌の目は青いという、欧米人のような子供であり。もう一人は、肌は褐色だったというのだ」
これは、両親の肌の色と同じであり、こういうケースは、
「非常にまれだ」
ということで、確率からすれば、
「100万分の一
だということであった。
次のお話としては、
「双子で生まれた姉妹が、同じ日に子供を出産したというのだが、その子もそれぞれに、双子だった」
ということであった。
これも、実にまれなことであり、この確率も、前述の肌の色のケースと同じで、
「100万分の一」
だということであった。
ここまでは、
「ごくまれなケース」
というだけで、実際に、
「あり得ないことではない」
ということになるだろう。
しかし、これが、
「都市伝説」
ということになると、話が変わってくる。
というのも、都市伝説というのが、
「最近言われるようになったような話で、しかも、その話というのが、根拠たるものが曖昧なもの」
というような定義がある。
そもそも曖昧だということなのだから、当然に話がややこしくなるというのも、当たり前のことであろう。
そうなると、
「希少価値な稀なものなのか?」
というのは、ある意味、二の次であり、希少でなくとも、あちこちで言われたとしても、その根拠があいまいでさえあれば、
「都市伝説だ」
ということになるだろう。
都市伝説というものが、どういうものなのかということが、どのような根拠によるものなのかということを考えると、どこか難しいところもあるのである。
そこで、
「都市伝説ではないか?」
ということが言われているというような内容のエピソードとして、
「双子の子供が、幼少期に、一緒に交通事故に遭い、死んでしまった」
ということであった。
両親の悲しみは深かったが、一年度に、奥さんは妊娠し、また双子が生まれたというのだ。
そこで、旦那さんの方は、
「この子たちは生まれ変わりだ」
と直感したという。
その理由としては、
「それぞれの子供に、死んでいった子供の特徴であった、痣や傷痕が、同じようなところに、同じようにあった」
というのである。
これであれば、
「遺伝なのだから、それくらいのことは可能性としては希少であっても、ありえないことはない」
ということで、母親は、さすがにそこまでは思えなかったという。
母親の気持ちとしては、
「死んでいった子供たちも、生まれてきた子供たちも、自分がお腹を痛めて産んだ子なので、それぞれに人権を認めてあげないといけない」
と感じていたのかも知れない。
それが、父親と母親というものの違いなのかも知れない。
しかし、二人がそこには、
「双子が死んでから、引っ越した」
ということなので、生まれてきた子供が、それまで住んでいた家を知るわけもないのに、子供が成長して、それを知っていたということを分かるようになってから、さすがに母親の方も、
「まさか」
と思いながらも、
「生まれ変わりなのかも知れない」
と思うようになったということであろう。
双子というのは、いろいろな意味で、よく分かっていないことが多い。
何といっても、
「血が濃い」
ということでは、似ていても当然ということであるが、だから余計に、
「恐怖との隣り合わせ」
と言えなくもないだろう。
どうしても、根拠があいまいなものを、
「都市伝説」
ということで、恐怖の扱いになるのだから、当然、
「血が濃い」
というだけで、
「恐怖というものの対象」
ということになってしかるべきではないだろうか。
考えてみれば、
「血が濃い」
ということで、普通は何を思い浮かべるであろうか?
双子の場合は、
「生まれてきたことによって、濃い」
という、
「結果論」
ということであり、どちらかというと、
「希少価値」
ということで、恐怖を煽られるということになるのだろう。
しかし、逆に、
「その濃い血を、さらに故意に濃くする」
という、まるで、ダジャレのような発想になると、考えられるのは、
「近親婚」
あるいは、
「近親相姦」
というものである。
実際には、法律的には、異なるものであるが、どうしても一緒に扱われるということがある。
特に近親相姦というのは、概念においての禁止、つまり、
「タブー」
と言われ散る。
もっといえば、
「近親相姦」
というのは、
「血が交わる」
ということで、
「障害児が生まれる可能性が高い」
と言われていたことから、そのようなことを言われている。
確かに、遺伝子などの問題で、同じ遺伝子による交配ということで、
「障害の多い子供が生まれる可能性は高まる」
ということも言われている。
そこに根拠があるかどうかは別にして、実際に、その可能性としては、
「無きにしも非ず」
ということになるであろう。
それを考えると、
「確かに、近親相姦は危ない」
ということになるのも無理もないことだろう。
ただ、近親婚というのは、昔からあることであり、皇族などであっても、存在したということであるので、
「昔はそこまで信憑性がなかった」
つまり、
「都市伝説でしかなかった」
ということになるのであろう。
それを思うと、
「血の交わりというものを、バカにすることはできない」
といえるのではないだろうか?
昔の探偵小説などでは、結構、この、
「血の交わり」
というものをテーマにした話もあった。
というよりも、
「一人の小説家の、専売特許」
といってもいいだろう
昭和の終わりから、平成に至る頃の推理小説というと、
「一つのパターンに則った形の話が、その作家の色として、専売特許と言われるようになった」
といえるだろう。
つまりは、
「密室トリックといえば?」
であったり、
「ルポライターが探偵をする小説」
などというのもあったりした。
だから、
「一つのジャンルを確立すれば、似たような話であったり、パターンが一緒であっても、内容によっては、読者や視聴者は飽きがこない」
といってもいいだろう。
ドラマなどでは、時代によっては、
「このジャンルのドラマは、ゴールデンでは鉄板だ」
と言われる話もあったりする。
例えば、昭和から、平成の後半にかけて、ずっとゴールデンでは幅を利かせていたのが、
「時代劇」
というジャンルである。
たとえば、
「水戸黄門」
であったり、
「当山の金さん」
などがそうである。
何十年も、途中で俳優が変わることはあっても、ストリー的にはほとんど変わりない。
「水戸黄門」
などは、毎回のように、黄門様が、助さん格さんを連れて旅をしているのだが、いつも、
「悪代官と、悪徳商人がつるんで、庶民に迷惑をかける」
ということである。
特に時代は、
「士農工商」
という身分制度のあった時代。
ちなみに。身分制度は、三代将軍家光の時代から始まっていて、水戸黄門の話は、
「犬公方」
で有名な、五代将軍綱吉の時代なので、時代考証的には間違っていない。
しかし、実際に、黄門様が、
「諸国漫遊」
というものができたなどということはありえない。
なぜなら、黄門様には、
「大日本史」
という歴史書を著したという事実があるのだ。
「諸国漫遊などができるはずがないのだ」
ということである。
だから、水戸黄門というのは、実際には、関東でも、江戸から少し行ったくらいのところくらいまでしか行ったことがないはずである。
しかも、不思議なのは、
「どうして、庶民が、印籠を見ただけで、水戸黄門だ」
と分かるというのだろうか?
徳川家であれば、誰だって持っているわけで、普通なら、
「将軍家では?」
と思うはずなのに、なぜなのだろう?
もっとも、
「こちらにおわすお方をどなたと心得る」
という口上とともに名前をいうからであるが、たまに、すぐに、
「黄門様だ」
と分かる時があるのだ。
それを思うと、
「いかにもおかしい」
ということのなるのではないだろうか?
もっといえば、学校で勉強していて、江戸幕府の仕組みであったり、誰が、どこの藩主かなどということは、藩士であれば分かっているかも知れないが、商人などの庶民が知っているというのは、どういうことなのか?
と誰も思わないのだろうか。
商人などは、確かに、それくらいのことは知っておかないと、商売にならないということかも知れないが、庶民の人が知っているというのもすごいことである。
江戸時代であれば、庶民といえば、
「字を書けない」
あるいは、
「読めない」
という人もたくさんいるだろう。
そんな時代に、教科書のようなものがあったとしても、それを読み書きもできないというのに、
「水戸黄門」
という存在を分かっているというのは、少しおかしなものだといえるのではないだろうか?
それを考えると、
「時代劇というのは、半分はフィクションで、かなり盛る形で、ストーリー展開を面白くしていて、エンターテイメント性を豊かにしているんだろう」
ということになる。
だから、見る人が飽きないということなのかも知れない。
歴史関係の小説に、
「時代小説」
というものと、
「歴史小説」
というものとの二つがあるという。
「歴史小説というものは、基本的には、史実に則っていて、時代考証もしっかりしていなければいけない。つまり、誰か一人にスポットライトを当てれば、まるで伝記小説のような形で、書かなければいけない」
という。
だから、
「歴史小説というものを読んだ人は、それを事実だということで信じてもいいということになる」
といってもいい。
歴史の勉強をするという意味で読むのであれば、歴史小説ということになるであろう。
「時代小説というのは、逆に、ノンフィクションである必要はない。もちろん、登場人物に実在の人物がいてもいいし、その人が行ったことでもないことを面白おかしく変えてもいい」
というのが、時代小説である。
あくまでも、
「エンターテイメント性を重視するものであり、下手をすると、歴史が変わっても構わない」
ということだ。
歴史に、
「もし」
ということはありえない。
と言われるが、時代小説では、その、
「もし」
があってもいいのだ。
ただ、面白くなければ、まったく意味がない。エンターテイメント性を生かすという意味で、時代背景が、
「歴史上の時代だ」
ということで、史実に則る必要はまったくないということになるのだ。
「輪廻転生」
という言葉があるが、
「人間というものは、生まれ変われるものである」
という発想である。
ただ、これも宗教であったり、その中でも宗派によって、いろいろな考えがあったりして、そこから、
「どう生まれ変わるのか?」
ということにかかわってくるというものである。
ある宗派の話であるが、
「死後の世界を4つに分けて、一つは、神の世界。つまりは、彼らは生まれ変わることもなく、ずっと極楽という神様仏様の世界で暮らすことになるので、人間に生まれ変わることはない」
というものである。
もう一つは、
「神になるための、途中の道で、一種の修行の世界というか、菩薩の世界のようなもので、これも、人間に生まれ変わることはない」
ということだ。
もっとも、この二つというのは、ほとんど人数的には少ない。一種の、
「エリート中のエリート」
といってもいいだろう。
そして、3つめであるが、これが、いわゆる、
「死んでからいく人の、一般的な世界」
ということで、
「人間に生まれ変わるための準備をする世界」
といってもいいだろう。
これが、宗教によっては、一種の天国と呼ばれるところなのかも知れない。
そして、最後は、どの宗教にも共通しているといってもいい、
「地獄の世界」
である。
この世で何か重大な悪いことをしたために、
「地獄に落ちる」
というものだ。
一度地獄に落ちてしまうと、這い上がることはできないとも、
「生まれ変われるとしても、それは、人間以外のもの」
といってもいいだろう。
そして、
「天国と地獄」
という二極性の考え方の世界では、ある意味、
「地獄以外が天国だ」
といってもいいかも知れない。
ただ、これを考えてみると、
「神様仏様」
として君臨する人は、ごく少数であるだろうが、少なくとも、地獄に落ちる人は相当数いることであろう。
世の中の三分の一の人が地獄に落ちるとしても、人間に生まれ変われる唯一の世界にいく人は、単純に考えて。三分の二であるといえるだろう。
となると、人間の数は、次の世代になると、
「三分の二に減ってしまう」
ということになる。
しかし、実際には、人間の数が減るどころか、人口が増え続けているところもある。
逆に、戦争などが起こって、減って行っているところもあるではないか。
それを考えると、何か、納得のいかないというような状況が生まれてくるのであった。
今の世の中、世界的な人口は増えていっていて、今から百年くらい前に。
「世界の人口の増加で、食料問題が深刻化する」
ということが言われ、
「深刻な社会問題」
となったのだ。
この問題は、当時の科学者によって発明された、
「ハーパーボッシュ法」
という、空気中の窒素から、アンモニアを生成するということで、
「化学肥料の大量生産を可能ならしめる発明」
ということで、一挙に食糧問題が解決に向かい、
「数千万人という人が、飢餓の恐怖から救われた」
ということであったのだ。
しかし、時代は、その後、最悪の時代に突入した。
というのは、
「人類は、大量殺戮という、消すことのできない罪を歴史に書き残した」
と言われる、
「大量殺戮に繋がる戦争の歴史」
というものを作ってしまったのだ。
第一次大戦においては、
「戦車」
「潜水艦」
「飛行機」
などと言った、
「乗り物兵器」
であったり、さらには、
「相手を抹殺する」
ということに特化した、
「毒ガス兵器」
「化学兵器」
というものが、生まれてきたのだ。
これらの威力で、第一次大戦では、かなりの数の人間が亡くなったのだ。
そこから、20年ほという短い時間で、今度は、
「第二次世界大戦」
というものが起こった。
この戦争は、
「起こるべくして起こった戦争」
といってもいいかも知れない。
理由はかなりの数あるのだが、たとえば、
第一次大戦の敗者となったドイツに対しての、戦勝国による、賠償の求め方であったり、
「二度と戦争を引き起こさないようにということで、手も足も出ないような、
「これでもか」
というほどの締め付けがひどかった。
さらに時代は、ソ連による社会主義革命が起こったり、昭和大恐慌が世界を襲い、それによって、
「強い国と弱い国」
という格差が生まれ、強い国同士で、勝手に協定を結んだりしたものだから、格差がどんどん広まっていく。
そこで生まれたのが、
「自分たちの民族が一番であり、強い指導者の独裁によって、国家を強くするという、一種の、
「全体主義」
と言われる、
「ファシズム」
というものであった。
その典型がヒトラーであり、ドイツ民族の復興への、
「強い指導者」
ということで、現れた救世主として、国民は、彼に国家の未来を託したのであった。
だから、ファシズムの台頭というのが、軍備増強と、他国に侵略しての、国土拡大であった。その頃のドイツの経済状況、食糧問題を解決するには、それしかなかった。
ナチスによって、失業問題もある程度回復したことも、
「ドイツ国民による、ナチス指示」
に拍車をかけたのであった。
これが、
「第二次世界大戦というものを引き起こさせる要因」
ということになったのだ。
そして、これが、
「大量殺戮の完成」
という悲劇を生むのだった。
第二次大戦の一番の問題は、
「一般人への無差別攻撃だ」
といってもいいだろう。
ここでは、厳密にいえば、それ以前の、
「前哨戦」
というべき、
「スペイン内戦におけるナチスドイツによる、ゲルニカ爆撃」
などが、そうであり、ここで特筆すべきは、
「ゲルニカ爆撃」
を中心としたスペイン攻撃は、
「ナチスの新兵器の実験場だった」
という事実は隠しきれない衝撃的なことであった。
そして、
「大日本帝国による、シナ事変においての、上海などへの、渡洋爆撃」
などというのも、一般市民もるともを攻撃する、無差別爆撃だったのである。
だから、
「大東亜戦争において、アメリカ軍による、日本の都市への毎日のような絨毯爆撃」
というのも、
「ある意味仕方がない」
といってもいいのだろうか?
しかし、攻撃された市民は、
「軍がやったことで自分たちには関係がない」
というのかも知れない。
ただ、一つ言えることとすれば、
「戦争というものなのだから、ある意味相手への攻撃は仕方がない」
ということなのかも知れないが、あくまでも、それは、国際法や、陸戦協定を守ってからであろう。
このような、一般市民を標的にするような攻撃は、許されていないはずなので、やはり、まずかったということに変わりはないだろう。
そうなると、
「アメリカ軍による、無差別爆撃であったり、一発の爆弾で、大都市と壊滅させた原子爆?さんの使用は、許されることではないだろう」
ということだ。
特に原爆は、その二次災害から、
「放射能汚染」
というものがあり、結局、
「最後には、皆死んでしまう可能性がある」
という、悪魔の兵器である。
いくらアメリカが、
「戦争を早く終わらせるため」
という表向きの理由や、
「戦後の冷戦状態を見据えて」
ということで、
「ヒロシマ」
「ナガサキ」
というのは、実験であり、さらに、諸外国に見せつけるための、一種の
「見せしめ」
のようなものだということになったのではないだろうか?
結局、最後には、
「核戦争の恐怖」
という禍根を残して終わった世界大戦。
原爆の出現で、
「これで、戦争はできなくなった」
と言わしめた一種の、
「核の抑止力」
というものも、結局は、
「核開発競争」
というものを巻き起こし、最後には、
「世界の滅亡」
という恐怖によって成り立っているということに人類全体が気づいたのは、戦後、約20年近く経った、
「キューバ危機」
だったのである。
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