第60話






 ヘルオーガを撃破した凛は、よろよろと先に進んでいく。

 結局、二日ほどかけて依頼されたダンジョンの攻略を行った。

 けれども、喜びはなかった。ただ、また一つ自分の心が削られていった感覚だけが残っていた。



 ダンジョン攻略を終え、協会に報告のメッセージだけを送り、凛は部屋へと戻った。

 疲れ切った体を引きずりながら、自室のベッドに倒れ込む。

 思い出されるのは、ダンジョンでの戦いのこと。そして、母の言葉。ネットの批判。

 ネットでの批判が減るということはない。

 テレビなどでも、凛を貶める発言が増え始めているらしく、それらの切り抜きなどが出てくる。


 皮肉なことに、ここ数日でそういった情報を調べるのに慣れてしまった。

 これまで、あまりスマホが得意ではなかったというのに、エゴサをすることにだけは慣れてしまっていた。

 そして、心ない書き込みをいくつも見て、涙を浮かべる。

 世界の全てが敵になったような感覚。

 どうにかしたくても、どうにもならない現実に、凛は涙を流しながら、


「…………晴人」


 その名前を口にした。連絡先に登録されている彼の名前を見て、その番号に電話をかけようと思った。

 以前も、自分を助けてくれた彼なら、もしかしたら――助けてくれるかもしれない。


 今はただ、その声を聞くだけでもいい。

 だが、同時に不安もあった。

 もしも、同じように拒絶されてしまったらどうなるのか。


 凛はスマホを手に取ったまま、動けなかった。

 震える手が「発信」のボタンを押せない。


「……迷惑、だよね……?」


 彼だって同じように自分を嫌っているかもしれない。

 それに、声をかけてしまったら、彼を巻き込んでしまうかもしれない。

 そもそも、凛は晴人が批判されているとき、何もできなかった。

 ほとんど知らなかった部分もあるが、彼の困っているときに何もしていないのに、自分だけが助けを求めるのは都合が良すぎる。

 そんな思いが、指を止めた。

 けれども、どこにも逃げ場がない現実が彼女を押しつぶしていく。


「……助けて……」


 震える声が、夜の静寂に溶けて消えた。



 俺は自室でスマホをいじりながら、一息ついたところだった。

 ネットを見ていると、案の定また俺の名前がいくつか話題に上がっている。

 なんか最近増えてんだよな、Sランク探索者として復帰がどうたらって記事。


 ……俺をSランク探索者に戻すべきだとかなんとか。

 ただ、俺が申請しない限り、協会の一存だけでは決められないような規定になっているからな。

 また作り直せばいいんじゃないか? とは思うが、この前作ったばかりで修正するというのはお偉いさんたちのプライドが許さないのかもしれない。あるいは、世論がそれを許さないのか。


 向こうとしては、俺に「戻してくれ」といわせたいみたいだが、もちろんそんなつもりはない。

 そもそも、こちとら協力するつもりもないしな。

 俺に対する批判もちょこちょこと増えていたが、まるで興味はなかった。

 そんなことを考えていると、隣の部屋から由奈の声が響いた。


「お義兄ちゃん、ちょっといい?」


 ドアをノックする音も待たずに、彼女は勢いよく部屋に入ってくる。


「どうしたんだ?」

「凛の話なんだけど、最近晴人連絡とってない?」


 俺は一瞬、間が抜けたように目を見開いた。


「……凛? なんでだ?」

「……ネット掲示板とか見てない?」

「俺の名前で検索かけてみることはあるぞ?」


 家族を批判する者がいたらチェックするためにな。

 そんなことを考えていたのだが、由奈がこちらへとスマホを向けてきた。


「……凛、かなり今批判されてるのよ」

「え? マジで?」

「マジよ。ほら、こんな感じ」


 由奈が手に持っていたスマホを受け取り、じっとみる。

 画面には、ネット掲示板の一つが映し出されていた。

 そこには凛の名前が並び、明らかに彼女を非難するようなコメントが続いていた。


「ほら、これ。すっごいことになってるの」

「うわ……」


 覗き込むと、凛への悪意に満ちた言葉が並んでいる。


「……なんだよこれ」


 俺に向けられてたのが、そのまま凛に向いてるみたいじゃないか。

 なんでこいつらはサンドバッグを見つけたがるのだろうか?


「なんか最近、凛が全然仕事してないとか、拒否してるとか、そんな話ばっかり出てるの。だから、ちょっと凛が心配でメッセージ送ったんだけど、返事ないのよ」

「……そういうことか」


 状況をすぐに理解する。

 Sランク探索者として、桐生さんが活動を休止中のため、今は凛一人に負担がかかってしまっているのか。

 そんなもの、そもそも二人で対応していたものを一人でやっているのだから無理に決まっている。

 すぐに人員が補填できないのはわかっているんだから、こうなる未来は想像できるはずなのに……なんでこんなに叩かれているのか。


 ……毎日ダンジョン攻略なんて、普通にしていたら無理だ。

 普通に学校を行ったり、会社に行ったり……そういうことだって毎日やっていたら大変なのだから、ダンジョン攻略にだって休みを設けるのは当たり前だ。

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