第58話
その言葉が凛の心に重くのしかかる。
彼女の視線がスマホの画面から離れなくなる中、その子の笑い声だけが教室に響いていた。
凛は一瞬、意味が分からず首をかしげた。
「……なに、これ」
ダンジョン攻略を断っている我儘女とか男を食いまくっているビッチとか。
好き勝手なことが書かれていた。
もちろん、擁護の声などもあったが、それは数少ない。
初めてネットのそういったものを見た凛は驚きで目が離せなかった。
「あっ、でも……結構悪口もあるから神崎さんは見ない方がいいかも?」
「……」
凛は無言で俯く。彼女が何を言おうとしているか、もう察していた。
「とにかく、あんまり気にしないようにねー」
悪意ある言葉を投げ捨てるようにして、その子は笑いながら立ち去っていった。
凛は、これまでほとんどインターネットを利用してこなかった。もともと情報に疎いのもあるし、ダンジョン攻略が忙しく、余計なことを調べる余裕もなかったからだ。
けれども、先ほどの悪意ある言葉が気になってしまい、凛は自分のスマホを見る。
「……ネットで、私の名前……」
恐る恐る、自分の名前と「探索者」というキーワードで検索をかける。
画面には、掲示板のスレッドやSNSの投稿が次々と表示される。興味本位でいくつか開いてみると――。
「神崎、ダンジョン攻略断りまくってるらしい」
「整形疑惑あるんだよな」
「男食いまくってるって噂」
「ビッチ」
画面に映し出される文字列に、凛の心は徐々に冷たく締め付けられていく。
見なければいいのに、と思いながらも凛はそれを目で追っていってしまう。
あまりにも露骨で醜い悪意。それが、画面越しに押し寄せてくる。
「……私、こんなふうに……言われてるんだ」
知らなければよかった――。そう思った瞬間、胸が痛む。
「……」
銀色の髪が肩にかかるのをそっと掴む。自分の髪を見つめながら、小さな声で呟く。
「なんで、こんなこと……」
泣くつもりはなかったのに、気づけばポロポロと涙が溢れ、頬が濡れていた。
「……ぷっ」
笑い声が聞こえた。顔をあげた凛は、自分を見て小馬鹿にしたような笑みを浮かべている女子たちがいた。
慌てて、凛は顔を覆うが、彼女たちは凛の泣いている姿を見て、楽しそうに話をしていく。
学校が終わり、家に戻った凛は部屋に閉じこもりながらもじっとスマホを見ていた。
気づけば、何度目かも分からないネット掲示板のページを開いている。
「神崎って本当に整形じゃね?」
「体売ってるって話もある」
「探索者のくせに仕事してないってどんだけ甘えてんだよ」
「親が金目当てで娘に働かせてるらしい」
「子が子なら親も親だな」
視界に飛び込むのは、いつも自分を否定する言葉ばかりだ。
「……なんで……私が……」
震える指でスマホを握りしめる。どれだけ画面を見つめても、そこには救いなんてなかった。
家族の期待に応えようとして探索者になったのに、いざなってみればこの仕打ち。
誰も彼女を認めていないように感じた。
もともと仲のいい友人もほとんどいない。学校では異能者であることもあって、普通の子たちと馴染めなかったし、美貌のせいで女子たちには嫉妬され、男子からは一方的に好意を寄せられるだけで、誰も彼女を「凛」として見てくれなかった。
「私が何をしたの……?」
呟いた声は、自分でも驚くほど小さく、消え入りそうだった。
けれど、ネットに書かれた言葉は消えるどころか増えていく一方だ。
その夜も、布団の中でスマホを握りしめていた凛に、母親から電話がかかってきた。
画面に映る「母」という文字に一瞬だけためらう。けれどもこのまま、一人でいるのは嫌だった。
その不安を誰かと共有したくて、凛は通話ボタンを押す。
「……はい」
「凛! あんた、ちゃんと仕事してるんでしょうね?」
電話越しの母の声は、いつものように鋭く、冷たいものだった。
「してるよ……ちゃんと」
『本当に? 最近、ニュースであんたのこと言ってる人もいるけど、何もしてないとか言われてんのよ! 私たちだって、変なこと言われるんだからやめてよね! ちゃんと働いてくれないと、私たちの生活どうなると思ってるの?』
凛は拳を握りしめた。昔からこうだ。自分のことなんて考えず、ただ利用するための道具のようにしか見ていない。
「……分かってる」
『本当に分かってるの? 探索者ってだけで高給取りなんだから、もっと頑張らないとダメでしょ』
母の言葉は容赦なく突き刺さる。
「やってる……お母さん、あの、私……ネットとかで変なこと書かれて――」
『あんたが悪いんでしょ!? しっかりやりなさいよ!!』
そう言い残し、通話は一方的に切られた。
それから、少ししてからだった。
協会からのメッセージが届いた。新しいダンジョン攻略の依頼だった。
「……行きたく、ない。でも……行かないと」
また、いろいろと言われてしまうかもしれない。
凛は布団の中でスマホをぎゅっと握りしめたまま、涙をこぼした。
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