第15話 幸平

 兵部省ひょうぶしょうで泰時は書類仕事をしていた。

 遠征に行くとなれば、膨大な書類の確認が必要になる。人事から、補給に関してまで、もちろん一から十まで泰時がやらねばならないわけではないが、すべてに目を通さねばならない。

「泰時さま、三の皇子、幸平ゆきひら殿下が」

「幸平殿下が?」

 泰時は慌てて書面から顔を上げ、立ち上がって、訪ねてきた皇子を迎え入れ、膝をついて頭を下げた。

 皇子は直衣のうし立烏帽子たちえぼし姿だ。目鼻立ちが整っており、才気にあふれ、自信に満ちている。

 三男で側室の子ではあるが、母は、右大臣である沢藤さわふじの娘であるため、次期皇帝の有力候補だ。

 人当たりは悪くはないが、感情の読めない目をしている。時折軍部にこうして顔を出すが、何度話しても泰時はこの男が何を考えているのかよくわからない。

 正直、皇帝よりも理解不能な男だ。

「私用ゆえ、苦しゅうない。楽にするがいい」

「はい」

 言われて、泰時は膝をついたまま頭を上げた。

「忙しい時に来てすまない。ちょっと気になることがあってな」

 口元に笑みを張り付け、幸平はそのまま上座に腰を下ろす。

「正治がそなたの屋敷に行ったと聞いたが?」

「……はい」

 隠すことでもないので、泰時は頷く。

「私は留守でしたので、お会いすることはかないませんでした。妻の顔を見た後、すぐお帰りになられたそうです。それが何か?」

 そもそも日中の勤務時間の訪問だ。泰時に会いに来たわけではないことは明らかである。

「いや。宮帰りにわざわざ寄ったと聞いてな」

 幸平は探るように泰時を見る。

「数日前、杏珠から文が来たようだったので、何か体調でも悪くなったのではないかと案じておった」

「……左様にございますか」

 泰時は頷く。

 杏珠から、事件のあらましについて兄、正治に手紙を送ったことは聞いている。そして、昨日の訪問は、そのことに関して他人を交えたくなかったかららしい。

 それにしても、もし杏珠を案じてならば、杏珠の心配を先に口にするべきだろう。幸平は杏珠を案じているのではなく、正治が訪れた理由を知りたいだけに違いない。

「妻は正治殿下とは親しくしていたようですので、つい里心がついて文を送ったのでしょう」

「ふむ」

 幸平は納得していないようだった。

「それでわざわざ様子を見に行ったということか?」

「おそらくは……」

 泰時はさしさわりのないことを答えたが、考えなおす。下手に隠しだてすればかえって痛くもない腹をさぐられる。みなまで話さずとも、公式に発表されることは話しておくべきだろう。

「いえ。いずれ分かることですので、お話いたします。私の不徳といたすところでございますが、妻が嫁いですぐ、呪詛による騒ぎが起きました。陰陽寮と検非違使庁で調査中でございますので、ここで詳細をお話しすることは控えますが、そのことで妻もかなり動揺していたのでしょう」

「呪詛?」

「はい。幸い、山科河静どのが来てくれましたので、事なきを得ましたが、妻に怖い思いをさせてしまいました」

 実際に呪詛に対応したのは、杏珠だが、杏珠がどの程度の術の使い手なのかということは、限られたものしか知らないらしい。式神を使えることは宮殿の人間はみな知っているようだが、式神を使えることがどの程度の熟練度が必要なのか知るものはいないのだと、以前、河静から聞いている。

「ほほう。では、参議の森野のところに調査が入っているというのはそれが関係しているのか?」

「左様にございます。河静どのの話によれば、我が屋敷には他にも古き呪詛が残っておりました。ゆえに、屋敷を紹介した森野さまがどの程度そのことを把握なさっていたのか、ということを調べる必要があるとのこと」

 これは嘘でもなく、全て本当のことだ。森野がちょっとした悪意であの屋敷を紹介しただけなのか、それとも何かたくらみがあったことなのかを確認する意味での調査だ。もっとも確認する術はあまりないが。

「私一人のことでしたら大きな問題にはしたくはなかったのですが、なにぶん、妻の安全にかかわることですので、うやむやにしておくのも問題です」

 言外に杏珠の安全にかかわることは皇族への悪意だと滲ませる。

「なるほどね」

 幸平は腕を組んだ。

「ならば朔見屋敷にずっと住み続けるのも不安であろう? そなたが遠征の間は特に怖いであろうしな。どうだ? 何なら私が沢藤のおじに頼んで良き屋敷を紹介してやろうか?」

 にこりと幸平は笑みを浮かべる。

 だがその目はあいも変わらず鋭い。じっと泰時を観察している。

「ありがたいお言葉ですが、妻がそれを望んでおりません」

 泰時は首を振った。

「どのような経緯をもった屋敷であろうと、現在は山科河静どのの結界で守られており、どこよりも安全であり、安心できるとのこと。新しく移り住むことのほうが恐ろしいそうです」

 杏珠はたとえ何が待っていても間違っても恐ろしいとは言わないだろうなと内心では思いながら、泰時は答える。そうでなければ、遠征についてくるなどとは言わないはずだ。

「ふむ。夫より、山科の結界を信じているということか? 河静といえば、確か杏珠の従兄だったな。杏珠が希望通り山科の家に下れば、いずれはあの男の妻になっていたやもしれぬ」

 幸平は泰時を煽る。杏珠の河静への信頼は愛情からではないかと揶揄をしているのだ。

「残念ながら、私と妻との付き合いはそれほど長いものではありません。河静どのと同等の信頼を得るにはまだ時間がかかるかと存じます」

 泰時は挑発には乗らず、首を振った。

 もちろん、泰時自身にも、河静に嫉妬する気持ちはある。昨夜、意を決して告げた過去も、杏珠にとっては『皇帝が杏珠を守れと命じた』という点のほうが衝撃だったようで、泰時の気持ちは流されてしまった。もし、告白をしたのが河静であれば、杏珠の気持ちはともかくとして、頭の中はそのことでいっぱいになったに違いない。杏珠にとって、泰時はまだ希薄な存在なのだ。

「なるほど。しかし、おぬしもどうせ皇女をもらうなら、柘榴の方がよかったであろうに父上の気まぐれにも困ったものよ」

 幸平は自分の煽りに乗ってこない泰時をみて、杏珠への気持ちがないと判断したのかもしれない。

──なるほど。陛下は、私が杏珠さまを望んだことをあまり公言しておられないのか。

 儀礼の時に、『望み通りに』と皇帝が言った言葉は、『皇族の嫁が欲しい』くらいの意味だと周囲は解釈したのか。杏珠も何度も泰時が望んだと言っても理解していなかった。もちろん彼女自身に、泰時に望まれる理由がわからなかったせいもあるが。

 褒賞について問われたとき、あの場にいたのは、皇帝と、太政大臣、それから一の皇子、法長のりながだった。つまり、それ以外の人間は泰時が望んで杏珠を娶ったとは思っていないのか。以前より親しくしている正治や、河静あたりは気づいていそうだが。

「妻に不満はまったくございませんが、参考までに、柘榴殿下は、それほどまでにお美しいのでしょうか?」

 泰時は杏珠ほど美しい女性はいないと思っているが、貴族の間では柘榴こそ美しいと評判であることは知っている。正直な話、皇女の顔など、たいていの人間が見たことがないはずだ。

「まあ、外見だけでいえば、杏珠もそれほど悪くはないのだろうが。柘榴は音曲や詩歌に優れておる。また控えめで男をたてる性質だ」

「左様にございますか」

 つまり、見た目だけではなく、皇女としての教養が高いこと、楚々とした雰囲気も『美しい』との評判のひとつなのだろう。泰時には全くわからないが。

「婚姻は最初が肝心。元皇女が妻ゆえ、そなたも言いにくいとは思うが、夫として言うべき時は言うべきではないのか?」

 杏珠のわがままに付き合わず、泰時の意思に従うようにせよと幸平は言っているのだ。

 幸平はおそらく杏珠に全く興味がなかったのだろう。母親を早くに失くしたこともあり、杏珠は宮廷内での影は薄かったという。母の実家の山科の家は、皇帝にその力を認められていながらも、権力からは遠い。

 杏珠と少しでも向き合っていれば、杏珠がわがままを言う女性ではないこと、そもそも呪詛に怯えるような女性ではないということくらい見抜きそうなものだ。

「私は遠征で屋敷を留守にすることが多いゆえ、妻が良いというのなら特に問題はございませんので、ご心配には及びません」

「なるほど」

 幸平は納得したようだった。

「それにしても、杏珠も薄情な。今後は正治だけでなく、私にも文をよこせと伝えてくれ」

 にやりと口の端を上げ、幸平は笑む。

「……承知いたしました」

 泰時は形だけは丁寧に頭を下げた。



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陰険漫才を久々に書いた(≧∇≦)


おまけ 設定のお話。

生まれた順


1の皇子 法長 のりなが 側室の子 (土村)

2の皇子 在昌 ありまさ 正室の子 (永本)

1の皇女 芙蓉 ふよう  側室の子 (金本)

3の皇子 幸平 ゆきひら  側室の子 (沢藤)

2の皇女 木通 あけび  側室の子 (金本)

4の皇子 正治 まさはる 側室の子 (穂村)

3の皇女 柘榴 ざくろ  側室の子  (釜石)

4の皇女 杏珠 あんじゅ 側室の子 (山科)

5の皇女 柚子 ゆず   側室の子 (沢藤)

5の皇子 成康 なりやす 正室の子 (永本)

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