第12話 藍川家

 正治は宮参りのと言ったが、明らかに杏珠に会いに来たのは間違いなかった。杏珠と正治は腹違いの兄妹であり、どちらも母親の実家はそれほど政治的に重要な位置にない。そのこともあってお互い気楽さもあり、仲が良かった。

 ただ、杏珠が泰時の妻となった今、訪ねてきたというのは、ある意味では正治らしくない。

 周囲から正治が泰時と手を組んだように見えてもおかしくないからだ。

 正治は今まで、臣籍におりたいと公言していたし、政治的に野心があると思われるような行動は控えていた。

 お調子者にみえる言動も、洒落ものであるのも事実だが、あえてそう振る舞っている部分もある。

 杏珠の身を案じてだけではないはずだ。それともこの持ってきた書類が、他人に託せないものなのか。正治の本心がわからず、正治を見送った杏珠は、正治の持ってきた書類の束を前に考え込む。

──とりあえず読めばわかるはずよ。

 杏珠は書類を読み始めた。



 藍川家の当主、藍川水雲あいかわすいうん玄蕃寮げんばりょうの頭をつとめ、名を挙げ、財をなした。

 かなりのやり手で、異国の言語も堪能だったらしい。金があったため、モテたようだが、妻は一人しか持たなかったため、子は一人しかいなかった。

 それがである。

 水雲は、藍川の家に婿養子を取ることにした。

 治部省の長官、穂積重蔵ほずみじゅうぞうの三男である、穂積垂水ほずみたるみだ。


「穂積?」

 杏珠は読み進めていた手を止めた。

 正治の母親の実家だ。重蔵は、正治の母の父にあたる。ということは垂水は、正治の叔父ということだ。

 

 穂積垂水は優秀な男であったが、三男のため、穂積の家を継ぐことはできず、藍川家への婿入りの話は渡りに船だった。

 水雲は、婿を迎え入れるにあたって、屋敷を花山に新たに構えることにした。それが、朔見屋敷である。

 ところが、朔見屋敷に移り住んで、一年ほどたったころ、水雲は、流行り病で命をなくし、仕事も屋敷も垂水が継ぐことになった。

 問題はそれからだ。

 垂水は、水雲が亡くなってすぐ、外に女を作った。当時の使用人の話によれば、当時、は妊娠していた。父の死を受け入れらない状態で、夫の不貞を知り、はかなり体を壊しつつあったらしい。

 そして、そんな中で生まれた子供は、生まれてふた月ほどでなくなってしまったようだ。

 だが、は子の死を受け入れられなかった。

 死んだ子を抱き続けるに恐怖した垂水は、を物置小屋に閉じ込め、別の女を妻として屋敷に連れ込んだ。

 への仕打ちを不服として垂水に訴えた、藍川家に昔から仕えてきた使用人のほとんどはやめさせられた。

 あまりといえばあまりの暴虐無人ぶりに、そのうちの一人が、垂水の実家である穂積家に、助けを求めた。

 養子に出したとはいえ、放置しては醜聞になる。

 が。

 重蔵が、朔見屋敷の調査に乗り出した時には、既にの命は失われ、垂水と、垂水が連れ込んだ女はいずこかへと消えていた。重蔵は、を弔うと、朔見屋敷を売った金を使って、使用人たちに口止めし、ことを収めたようだ。

 穂積家の人間が、このような非道をしたと知られるわけにはいかなかったのだろう。

 その後しばらく重蔵は垂水の行方を捜したが、まったくわからなかったらしい。



「なるほど。お兄さまとしては、これは外に知られたくはないことだから、直接持ってきてくださったのね」

 杏珠は納得した。

 もちろん、少し調べれば、藍川家に穂積家から養子が出されたことはわかるだろう。が、がどのような経緯で、呪詛を決意するに至ったかまではわからない。呪詛の解析だけでは、彼女の境遇を赤裸々にするには限界がある。

「それにしても、藍川垂水はどこへ消えたのかしら」

 呪物の効力が消えていなかったということは、まだ生きていると考えて間違いない。

「この屋敷から出たとしても、たとえ東の国境に逃げたとしても、あれほどの呪いから逃げられはしないだろうに」

 考えられるのは、垂水自身が呪術の使い手であるか、もしくは彼を助ける呪術の使い手がいるということだ。

 ただ、それだけの使い手であれば、呪術を返し、無効化ができるはずで、そうしないことに何の意味があるのか、杏珠にはわからない。

「それにしても、の聞いた『声』は何なのかしら」

 呪詛をけしかけるような『声』の主は、いったいどこの誰なのか。

 藍川水雲が亡くなったのをいいことに、家を乗っ取った藍川垂水だが、結局、家も仕事も捨てて出ていくはめになった。それを仕組んだのは、『声』の主なのだろうか。

の恨みは理解できる。垂水の利己的な行動も理解できなくもないわ。だけれど、声の主はいったい何をしたいのか、わからない」

 藍川垂水個人を恨んでいる者だろうか。それとも、を不幸に陥れたかった者だろうか。


「何か起こるとしたらそこだ」


 正治は何か知っているのか。

 杏珠は、不安が広がるのを感じていた。

 

 

 

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