第5話 朔見屋敷 3

 案内されてきた山科河静やましながせいは、白の狩衣かりぎぬ姿で現れた。馬を飛ばして来たせいだろう、額に汗が浮かんでいる。

 河静は濡れ縁から部屋に入ると、泰時の前でひれ伏した。

「陰陽寮から参りました陰陽師、山科河静でございます」

 山科河静は泰時と同じように長身だが、対照的に色が白く全体的に線が細い。

「遠路ご苦労だった。久しいな。河静どの」 

「辰野さまは随分とご出世をなされ、遠いお方になりましたね」

 ふわりと河静は微笑む。

 泰時と杏珠以外のそこにいた人間が息をのんだことに、杏珠は気づいた。

 中性的で整った顔立ちのせいか、河静の笑みは男女を問わず人を惑わすとの評判だ。

「このような状況で申し上げるのもいささかおかしゅうございますが、ご栄達おめでとうございます」

「ああ」

 杏珠は二人が顔見知りとは全く聞いていなかったが、二人とも官吏としての務めが長い。部署は違えど、会う機会があったのだろう。

「杏珠さまにもご無沙汰しております」

「お久しぶりです。河静兄さま」

 杏珠は扇で顔を隠した状態で屏風から顔を少しだけ出す。

 もっとも、河静には杏珠の素顔は知られていて、今更ではある。

 杏珠は十三歳から十五歳になるまで、宮廷を時折を抜け出ては山科の家で陰陽師の修行をしていた。十六歳をすぎると宮廷を出ることがかなわなくなり、杏珠の修行は書物による独学のみになってしまったけれど。

「積もる話もございますが、先に呪物をこちらにいただいても?」

 杏珠は頷いて、木の箱を扇で指し示した。

「とりあえずはこれだけよ。もう一つあるのだけれど、それは私を呪ったものではないから」

「もう一つ?」

 泰時が聞きとがめる。

「かなり深い地中に埋められているのを私の式が見つけました。人手が必要ですので、後程ご案内いたします」

 そういえば、杏珠はまだそのことを話していなかったと思いいたり、説明をした。

「殿下に害が及ばぬなら、問題はないです」

 泰時は頷く。

「河静殿はどうみられる?」

「ふむ。そちらは古い呪いのようです。現在、発動はしていない。杏珠さまのお見立て通り、急ぐ必要はないでしょう」

 河静は大気に流れる気の流れを読んでから答えた。

「まずは、こちらを片付けてしまいます。それにしても、山科家の血縁である杏珠さまを呪いで害そうなどと、なんて世間知らずな人間でしょう。この国で、そんなことが可能な者など数えるほどしかいないというのに」

 河静はにやりと口の端を上げる。まるでそこにいる誰かを挑発するかのようだ。口調は柔らかいが、かなり怒っているのかもしれない。

「相変わらず、見事な符でございますね」

 河静は木箱を手にするとうっとりと杏珠の張った符を見つめた。

「陰陽寮の陰陽師でもこれだけの符を作れる者は少ない。やはり杏珠さまの霊力はずば抜けて素晴らしい」

「世事は結構です」

 杏珠はコホンと咳払いをした。

 河静が杏珠の昔から霊力の高さを認めているのは事実だ。が、重要なのはそこではない。

「我が妹弟子は褒められるのに慣れてはいないようですけれど。符で相手の術を封印することはかなり難しい」

 河静はちらりと使用人たちの方を見る。その視線は冷ややかだ。

 陰陽師は呪法を悪用する者を憎む。

 呪詛は陰気を吸って膨れ上がり、やがて大きな禍を呼び込むからだ。だからこそ、元から立たねばならぬと、杏珠も学んでいる。

「解析を始めましょう。杏珠さま、結界は自分でなんとかできますよね」

「はい」

 杏珠は顔を隠しながら立ち上がり、麻ひもで円を作り自分はその中に入る。呪いの対象が結界に入ってしまえば、呪術は発動しない。

 河静ほどの術者であれば、杏珠を守る結界を張りながらでも十分解析は可能だ。が、結界に力を注がなければ、そのぶん、解析の速度と精度があがる。

「辰野さまもよろしいでしょうか?」

「よろしく頼む」

 河静は念のためというように、泰時に声をかけ、木箱に張られた符を破った。

「なるほど。技は稚拙。しかしそこそこの呪力ですね。相当に恨んでいる」

 河静は目を閉じたまま立ち上がった。そろそろとあるのほうへと足を向ける。

「くそっ、お前さえいなければ!」

 突然、一人の女が立ち上がって河静の脇をすりぬけた。

 その手には抜き身の懐剣があり、ぎらりと光る。

 呪術結界は、術は防げても物理的な攻撃は防げない。だが──。

「榊!」

 杏珠は式の名を呼ばわった。

「なっ」

 突然、目の前に現れた榊に、女の足が一瞬止まる。榊は、足を上げ、女の腹を蹴り上げた。あまりの痛みに、女は体を折る。

 その隙を逃さず、泰時は、女の喉元に七星剣をつきつけた。

「や、泰時さま」

 女は驚愕の表情を浮かべる。

「刃を捨てろ。さもなくば斬る」

「な、なぜ……私はずっと、ずっとあなたさまをあなたさまだけを思うておりましたのに」

 泰時の表情に本気の殺意を見た女は青ざめ、ぶるぶると震え始め、手にしていた懐剣が床に転がった。

 同時に、女の袖からぼろぼろと数珠のような玉がいくつもこぼれおちた。玉に刻まれた何かが黒い光を帯びるとそこから陰気が吹きあがる。

「いけない!」

 杏珠は叫ぶ。

「があぁぁ」

 女が言葉にならない声を上げて叫ぶと、女の爪が伸び始めた。口から牙がのぞきはじめ、頭皮に角が生える。人でありながら、人でないものに変わりつつあった。

生成なまなりじゃあ!」

 悲鳴とともに、使用人たちが逃げ惑う。

「殿下!」

 女の振り上げた爪が杏珠を切り裂こうとしたのを泰時が割って入った。爪は泰時の衣を引き裂き、泰時は七星剣を抜いた。

「斬ってはなりません!」

 杏珠は叫ぶ。

 傷つけた場合、怒りでさらに人の意識を手放してしまう。もちろん七星剣であれば、『鬼』でも斬れる。だが、そうなれば命はない。

 杏珠とて、この状況で自分を呪った女を救いたいなどとは思わないが、この女は確か、泰時の従妹だ。伯父に続いて、身内をまた害したなどという悪名を自分のせいで泰時に背負わせたくはなかった。

「身体束縛! 急急如律令」

 杏珠は麻縄を女になげつけた。するすると縄は女に巻き付いた。

「くそっ。お前さえいなければっ! 憎い! 憎いぞ!」

 女は血の涙を流しながら、じたばたと暴れながら杏珠をにらみつける。

 杏珠は胸元から紙を取り出し、必死で筆を走らせた。急がなければ、人に戻れなくなる。

「六根清浄!」

 書き上げた紙を女の額に張り付ける。

 女の肌がどんどんと黒色に変化し始めた。辺りの陰気を吸いあげて鬼化が進んでいるのだ。

 うまくいくかどうかは、彼女の運と、杏珠の霊力しだい。

 杏珠は印を結ぶ。


 臨兵闘者 皆陣列在前


「嫌! 嫌ぁ!」

 杏珠の九字が完成すると女は絶叫を上げ、そのまま泡を吹いて倒れた。



「殿下、お怪我はございませんか?」

 女が動かなくなったのを確認して、泰時が杏珠を見る。

「いえ。私はなんともないです」

 杏珠が首を振ると、泰時はよかったと胸をなでおろした。

「殿下は、昔から私に守らせてくださらない方ですね」

「……昔から?」

 言われた意味が分からず杏珠は首を傾げる。心あたりが全くない。

「どうです? 私の妹弟子の実力は?」

 河静が楽しそうに口をはさむ。なぜか得意げだ。

 そういえば、河静が一緒にいたのだから、杏珠が一人でやる必要はなかったと気づく。もちろん河静は解析中だったのだから、加勢は簡単ではなかっただろうが。

「河静殿は、手を抜きすぎだ」

 ふーっと、泰時はため息をつく。

 それについては、杏珠も同じ意見だった。

 




 


 

 



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