第4話 朔見屋敷 2
さすがに出入りした商人まで呼んでくることは無理なので、とりあえずこの屋敷にいる使用人すべてを、中庭に集めることになった。
泰時曰く、犯行が一人で行われたとは限らない。手を貸した人間、例えば箱を穴を掘って埋めた人物と術者が別の人物である可能性もある。
具体的な犯人探しをすぐに行うわけではなく、あくまでも陰陽寮から陰陽師が来るまで、逃亡を防ぐ意味の方が大きい。陰陽寮とこの屋敷との往復は馬を使っても、戻ってくるまでかなりの時間が必要だ。
ずっとこのままというのも現実的ではなく、厨房で働くものなどは軽く聞き取りをした後、仕事に戻ることになっている。
杏珠は泰時に促され、中庭を見渡せる部屋の奥に座り、体の半分だけ屏風で隠している。
ずっと素顔をさらしていることに抵抗があってのことだが、『呪いを発見した陰陽の術を使う皇女』として、姿を見せ続けることも逃亡や再犯の抑止には必要なことだ。
泰時はそんな杏珠をさらに隠すように前に座り、一人ずつ話を聞いている。
七星剣の鯉口は切ったままだ。それを見せつけるようにして、時折視線を刃に落とす。
破魔の剣とはいえ、術者を判定できるわけはない。が、はったりにはなるということなのだろう。
すべての使用人を集めたにもかかわらず、杏珠が想像していたよりもずっと人数は少なめだった。人が足りていないというのは本当だろう。おそらくは、泰時が従六位の時に住んでいた屋敷に仕えていたものばかりで新しい使用人はあまりいないに違いない。これだけ広い屋敷を管理するには足りていないだろう。
──それにしても、皇女というのはそんなに珍しいものかしら。
顔を隠している皇女が顔をさらしているということ、褒賞として嫁いできたばかりであるということなどから好奇心を刺激するのか、ずっと視線が注がれているのを感じる。
大抵の者は杏珠と目が合うと背けたり、うつむいたりする。見てはならないと思っているのか、それとも怪しい術を使う人間として恐れを感じているのだろう。
──あら。
一人の女房だけ、杏珠の方を全く見ていないことに気づいた。右手は常に袖の中に隠したままで、下を向いている。時折、顔を上げるが泰時の方を見ていた。
「将軍、あの方は?」
囁くように泰時に杏珠は問う。ほんの少し、泰時との距離が近くなると女房が杏珠を睨んだように見えた。
「ああ。私の従妹です。殿下付きの女房にと思いまして」
「随分とお若いですね」
宮廷の女房達はどちらかといえば杏珠より年上の者が多い。一度務めるとなかなか辞めない職場というのもあるが、教養を要求され、時に妃や皇帝の子たちの教育をするという立場にあるからだ。
その女房は杏珠より若いか、せいぜい同世代にみえる。
ただ、宮廷の女房と、貴族の家の女房では、求められるものが違う。杏珠の物差しで測ってはいけないものなのかもしれない。
「杏珠さま」
榊の声で杏珠は我に返った。
榊は他の者から見えぬように屏風の裏に膝をついて現れる。
「もう一つの呪具を発見いたしました。かなり地中深く埋まっておりまして、掘り起こすのは容易ではないかと」
「わかったわ」
杏珠は頷く。この屋敷の空気は澄んではいないが、そこまで危険な状況とは思えない。急に誰かが呪いで殺されるようなことはないだろう。
どのみち陰陽寮から人が来るのだ。あまり杏珠がしゃしゃり出るのもよくない。杏珠は陰陽師の勉強をしてはいるが、正式な陰陽師ではないのだ。正式な陰陽師となるには、まだまだ修行が必要であり、自分がひよっこであることはよくわかっている。
──七星剣が反応していないということは、呪いの対象がここにいないということかも。
杏珠への呪いには反応したのだ。
七星剣を持った泰時でさえ、今まで屋敷の呪いに気づかなかった。活性化していない呪詛に気づけるかどうかというのは、陰陽師としての修行が必要と杏珠も聞いている。
「殿下、お疲れではないですか?」
ふいに声をかけられ、杏珠が顔を上げると、泰時が杏珠を気づかわし気に見ていた。
「平気です。私は何もしておりませんから」
杏珠は首を振る。
「それよりも将軍は、こちらの屋敷をどなたのご紹介で手に入れられたのです?」
この屋敷は新築ではない。もともと誰かの屋敷であったものだろう。
「参議の
「親しくなさっていらっしゃるので?」
参議の
武人である泰時と森野の組み合わせは、杏珠には意外に思えた。
「親しいというほどでは。ただ昇進にともなって屋敷を捜していた時にお声がけいただいただけですよ」
泰時は親類縁者とあまり関係がよくない。まして、中央の貴族たちともつてがなかった。引越しの必要を感じてはいても、なかなか良い物件を探すことはできず、困っていたところをたまたま森野に声をかけられたらしい。
「……この屋敷は、もともとどなたのお屋敷だったかお聞きになられましたか?」
「森野さまのお身内の方が西域の仕事に就かれるということで手放されたと伺っております」
「なるほど」
都の外の仕事に任命されたのであれば引っ越しもやむを得ない。ただこれだけの広さを持つ貴族であったなら、かなり裕福な貴族であったはずだ。
とはいえ、杏珠は権力からかなり遠いところにいたせいもあって、屋敷の主に心当たりはなかった。
「泰時さま」
庭の下から声がした。イズナのようだ。
「陰陽寮から、
──河清兄さま?
杏珠は内心驚いた。
河静は、杏珠の従兄にあたる陰陽寮の陰陽師だ。山科左門の息子であり、杏珠の兄弟子にあたる。ゆくゆくは
彼が派遣されてきたということは、陰陽寮がこの事件に並々ならぬ関心をよせているということだ。
とはいえ、杏珠は、元皇女。しかも征魔大将軍の妻が呪われたとあれば、陰陽頭その人が出向いてもおかしくないのかもしれない。
「……そうか」
山科の名を聞いた泰時は一瞬、杏珠の顔をみた。山科家が杏珠の母の実家であることは周知の事実だ。気になったのかもしれない。
「こちらへ案内するように」
「御意」
イズナに命じた泰時の顔は、なぜか険しかった。
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