第3話 朔見屋敷 1
辰野泰時はいかにも武人の体格でありながら、粗野な印象は受けなかった。
所作は優雅であり、一緒に歩く杏珠と歩調を合わせるなど配慮を感じさせる。
目鼻立ちも整っていて、宮中で騒がられるのに十分な貴公子だ。噂では無慈悲だのなんだの言われているが、こうして話しているととてもそんな噂がある人物とは思えない。
──悪い奴ではない、か。
兄の正治だけではなく、叔父、
杏珠も一応、彼が伯父の不正を糾弾した事件のあらましの報告書には目を通した。身内の罪を暴いたことで無慈悲と言われることになったようだが、彼自身に全く非はない。
噂そのものは、糾弾された伯父、
もちろん、罪の糾弾にともなって、かなりの人間が粛清されたのは事実だ。だがそれは、泰時の独断ではなく法にのっとってのことであり、それらの人間は罪びとであったと記録には記されている。
「屋敷までは距離があります。お疲れになりましたらいつでもおっしゃってください」
「お屋敷はどのあたりにあるのですか?」
「
網代車に牛をつなぐのをみながら、杏珠は泰時と話をする。
花山は高位の貴族の大きな屋敷が多い。少々宮廷からは遠いが、その分、広い面積がとれる。屋敷の広さも貴族の『格』のひとつだ。
「実は、まだ引っ越したばかりなので、ご不便をおかけするかもしれません」
泰時は申し訳なさそうだ。
泰時の生まれた家は従六位で、もっと南に家を構えていたらしい。今回、従三位の位を得るにあたって、居を移したという。引越しをしてまだ二十日ちょっとで、荷解きがようやく終わったところだと泰時は話す。
「雇い入れた下人の数もまだ少なくて。私は都につてがあまりなく、お恥ずかしい限りです」
泰時は十三歳から軍に入っていたという。訓練と任務が忙しく、貴族にあまり知り合いはいない。また親類縁者とは、龍山の伯父の件もあって疎遠だ。
花山の屋敷を購入する際もかなり苦労したと、泰時は苦笑いをした。
「そのようなときに、押しかけるように嫁ぐことになって、申し訳ないわ」
杏珠は肩をすくめる。
「私もお話を聞いたのが十日前でしたもの。陛下も性急でいけませんわ」
おかげでいわゆる嫁入り道具というものはそろえることができなかった。
杏珠自身の生活道具はそのまま持ってきたのでそこまで困らないはずだが。けれど本来、臣籍降嫁の嫁入り道具は、皇室としての威信をみせつけるために用意するものだ。支度金は持ってきたのだから、それをもって良しとすればいいという考えなのかもしれないが。
「将軍も突然のことでお困りでしたよね。犬猫を飼うにしても覚悟も準備が必要ですのにご迷惑をおかけして」
「困っているのは、殿下をお迎えする用意があまり整っていないことで、迷惑などとは思っておりません。私は──」
泰時はまっすぐに杏珠を見ている。垂れ衣ごしでもそれがわかり、杏珠の胸は騒いだ。まるで本当に杏珠を望んでいたかのようにみえる。
「泰時さま、つなぎ終えました!」
「殿下、花山は遠い。お車にお戻を」
言いかけた何かを引っ込めて、泰時は杏珠を車のもとへと導く。
「ええ」
息苦しいほど胸が騒ぐのはなぜなのか。理由がわからないまま、杏珠は牛車に乗り込んだ。
日が傾き始めているのか、周囲の光景に色がつき始めた。
街の喧騒はなくなり、静かだ。
泰時たちは馬だが、杏珠の乗る牛車に合わせているため、歩みは遅い。褒賞を乗せた荷車は、徒歩の人足であり、こちらも牛車に合わせて動いている。さすがに、征魔大将軍の荷を狙うような盗賊はいないらしく、何事もなく道中はすぎた。
やがて牛車の歩みが止まり、開門を促す声がした。
「何?」
杏珠の首筋がちりりと痛んだ。
肌が泡立つような感触。
「──くっ」
ゆっくりと牛車が動き出すとともに、杏珠は何かにのしかかられるような圧迫を感じた。周囲は網代車の中の異常に気付いていない。どうやら杏珠本人を狙っている呪術のようである。
臨兵闘者 皆陣列在前
杏珠は胸元で印を結んだ。
すうっと圧迫が消えるのに合わせ、杏珠は袂から紙を取りだして人形の形に折り、自分の髪をはさんで、息を吹きかける。
すると、呪いの力が人形に吸い込まれ始めた。
──よし。
攻撃を一気に弾き返すこともできるが、そうすると証拠が残らなくなる危険がある。
この国で、人を呪うような術は禁忌だ。単純な呪術の力勝負ではなく、法で裁かなければいけないと山科の叔父から、杏珠は教えられている。
──呪具かしら。でも術そのものは強くないし、素人っぽいわ。僅かに香の匂いがする。この香りは女性のようね。
杏珠は眉間にしわを寄せた。
術者本人が呪いを発しているのであれば、杏珠が術を軽く弾いたことに気づく可能性が高い。
無効化された最初の術を上回る力で攻めてくるのでなければ、術を返される危険がある。続けるのは愚の骨頂だ。愚直に一定の力で攻撃を仕掛けてきているということは、呪具の可能性の方が高い。この程度のものならば力技を使うと呪具が破壊されてしまい証拠が消えてしまう。それは得策ではない。
「榊」
杏珠の声にこたえて、式神が姿を現した。
狭い空間に合わせ、杏珠の手のひらに乗れる大きさだ。
「呪具を捜してきて。たぶん、埋められているはずよ」
「承知いたしました」
榊は言うなり、また姿が消える。
呪具を見つけるのは難しくない。気になるのは『誰』が杏珠を狙っているのかということだ。
「将軍!」
杏珠は御簾を上げて大声を出した。
「殿下、どうなさいましたか?」
泰時が馬を寄せ、問う。
「お伺いしたいことが」
牛車が止まると、杏珠は車から降りた。ちょうど門をくぐったばかりのようで、屋敷はまだ離れていた。
「殿下、それを捨ててください」
杏珠が手にしたものを見て、慌てて泰時は馬を降り、剣を抜く。
剣の刃が黒く染まった。泰時の剣は七星剣。破魔の剣と言われている。魔に反応すると黒く染まると聞いていたが、呪詛にも反応するようだ。
「切る必要はありません」
杏珠は泰時を制し、剣をおさめるよう伝える。市女笠をしていないことに今更気づいたが、顔を隠していては、相手の表情も隠れてしまう。
「それは、呪いでしょうか?」
「そのようです」
泰時の問いに頷き、杏珠は泰時をひたと見つめた。
「将軍にお聞きします。私の他に妻はいらっしゃいますか? もしくは 言い交わしたようなお相手は?」
「え?」
突然の問いかけに、泰時は驚いたようだ。
「責めている訳ではありません。事実を確認しているだけです」
杏珠を呪い殺そうとする相手といえば、どう考えても今回の婚儀以外に思い当たらない。
杏珠は皇族だが継承権も低く、政治的影響力など皆無だ。
それに、杏珠を知っている人間なら、呪詛で杏珠に害を与えようとはしないだろう。杏珠は、陰陽師の名家、山科の家とかかわりが深く、修行を積んでいることも知っているはずだから。
それに、呪詛の術の拙さ、女性が好む香の香りからみて、何も知らずに褒賞でやってくる『妻』を狙ったのだろう。
この国では一夫多妻が当たり前だ。
嫁ぐ相手に他に妻があっても不思議ではない。
ただ、制度として許されていても、妻が他の妻を容認しているとは限らないことは、杏珠も父親の妻たちを見て知っている。
「そのような相手はおりません」
泰時は首を振った。
「そう……」
杏珠はアゴに手をあてた。泰時は嘘を言っているように見えない。だとすれば誰が杏珠を狙うのか。
「杏珠さま」
ふわっと青白い光とともに、榊が姿を現した。
「え?」
「私の式です。お気になさらず」
驚きの声を上げた泰時に言い置いて、杏珠は榊から土のついた箱を受け取った。
「箱は寝室と思しきの部屋の近くの濡れ縁の下に埋められておりました」
「そう」
箱は何の変哲もない木箱だ。何の特徴もない。
「この屋敷には他にも呪具があるようです。そちらは巧妙に隠してあるので時間がかかります。杏珠さまを呪うものはこれだけのようでしたが」
「わかったわ。ではほかのも探しておいて」
「はい」
榊に命じると、杏珠は受け取った箱を開く。中には杏珠への呪詛の言葉を血で綴った紙と、何匹かの虫がはいっていた。
「殿下?」
「初歩的な呪詛です。これを仕掛けた人は私を殺したいほど憎んでいるようですが、術に関しては素人です」
杏珠は箱を閉じ、封印の札を貼る。これで呪いが杏珠を襲うことはない。
「いったい誰が……全く気が付かないとは」
泰時の顔が険しくなった。
「この術者は、将軍への褒賞が決まった十日以内にこの箱を埋められることが可能だった人でしょう。呪詛の基礎がなっていませんから、かえって私以外の人間が気付くのは容易ではないと思われます」
「イズナ、使用人を全て集めよ。それから十日の間に屋敷を出入りした者を洗い出せ。それから陰陽寮に連絡を」
泰時の声が鋭くなる。
「将軍、陰陽寮に連絡してもよろしいのですか?」
杏珠は泰時を止めた。
「山科の叔父に頼めば、内々に処理できるかもしれません。 陰陽寮で呪具を解析すれば術者は犯罪者になります。おそらく、術者は将軍の身近な方だと思われますので」
杏珠を恨んだ理由が、泰時への恋慕であるなら。彼にとっても大切な相手の可能性がある。
「殿下、私は殿下を呪うような人間は誰であれ許しません。たとえそれが血を分けた肉親であろうと関係ないです。今更、そのことで誰から何を言われようと、もともと伯父を将軍から引きずり落とした男です」
泰時は杏珠をまっすぐに見つめながら、自嘲気味にふうっと息をついた。
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