第2話 儀式

 支度金はしっかり確保できたが、さすがに嫁入り道具を揃える時間がなかった。十日では、衣類一つ仕上げるのは難しい。

 結局、反物は反物のまま、金銀は金銀のまま持っていくことになった。

 もっとも杏珠の私物で一番多かったのは、書物であったが。

「杏珠さま、そろそろ」

「わかったわ」

 榊の声に促され、杏珠は自分の部屋を見回した。

 もともと何もない部屋ではあったが、本当に何もなくなると感慨もひとしおだ。

 母を亡くしてから、幸せとは言い難かったが、それでも不幸ではなかった。山科の家から来た乳母は杏珠を愛しんでくれたし、父である皇帝から愛を感じたことはなかったが、皇女としての生活は保障されていた。

 ──それも今日で終わる。

 おそらく杏珠は、辰野泰時に望まれてはいない。

 愛を期待するのは欲張りだろう。飾られるならまだましで、冷遇される可能性だってある。

 ──愛はなくても、良い関係でいられたらいいのだけれど。

 山科の叔父も兄の正治も泰時は悪い人物ではないと言っている。噂はあくまでも噂だ。

「杏珠さまはこちらでお控え下さい」

 いつもの公式行事なら、杏珠は皇女の並びの端に座るのだが、今日は褒賞が並べられた中庭側の牛車の車の中で待つことになった。完全に品物扱いであるが、一人でいられる分、気が楽だ。

 場所が違うと見える風景が違う。

 建物側に皇族が御簾を隔てて並んでいる。気配はあるが、建物側が暗いこともあってはっきり見えない。

 中庭側の一段低い場所に辰野泰時が控えている。

 黒の位襖いおうをまとい、巻えいの冠けんえいのかんむりをした武官姿だ。周囲の人間に比べるとひときわ背が高く、大きな肩幅をしている。

 肌の色は日に焼けて浅黒い。

 貴族はどちらかといえば、色白な者が多いため、ひときわ目立つ。

「従三位、征魔大将軍に任ずる。辰野どの、御前へ」

「はっ」

 大臣に促され、泰時は皇帝がいると思しき中央へと歩み寄る。

 皇帝の前には、三方の上に目録と任命書が盆にのせられていた。

「泰時」

 御簾の中から遠雷の声が発せられ、泰時は床に頭を擦り付けんばかりにひれ伏した。

「そちの望み通り、第四皇女、杏珠を褒賞とする」

「……ありがたき幸せにございます」

 杏珠は頭を下げたまま礼を述べる泰時を見ながら、目をしばたたかせた。

 ──ええっ?!

 にわかには信じがたい言葉に杏珠は思わず体を動かしてしまい、車が少し揺れた。

 杏珠の動揺をよそに、儀式は粛々と進む。

 ──よく考えたら、望み通りっていっても少ない選択肢で希望を述べただけかもしれない。

 杏珠は頭を振った。

 兄、正治は、柘榴か杏珠が候補だったと言っていたが、実際のところはよくわからない。

 普通に考えれば、美しいと評判の柘榴と杏珠のどちらかと問われれば、柘榴を選ぶに違いない。ということは、単純に杏珠をいるかいらないかと、皇帝に問われたのだろう。そう言われれば、「欲しい」と答えるのが礼儀であるし、それでも「望み通り」なのだ。

 ──それに、私の顔を見たこともないはずだわ。

 基本的に皇女は儀式でも御簾ごしでしか人前に顔をみせないのだ。もちろんそれは、柘榴も同じだけれど。

 ──いけない。ついうっかり、勘違いするところだったわね。愛や恋の相手として望まれているわけではないことくらい、最初から分かっていたはずなのに。

 もし本当に杏珠を望んでのことだったとしても、それは杏珠本人というより、征魔大将軍として、陰陽師の名家である山科の家と繋がりたいということだろう。征魔大将軍ともなれば、軍を率いて境界の結界を守るだけでなく、都の検非違使や陰陽師も束ね、魔を倒す使命もある。

 ──陰陽師の養成はそれなりに時間がかかるものね。

 杏珠はようやく腑に落ちると、静かに儀式が終わるのを待った。



 儀式が終わり、貴人たちが去ると、褒賞と杏珠の嫁入り道具をのせた荷車が中庭から運び出されていく。

「殿下、窮屈ではございませんか?」

 泰時が車の中にいる杏珠に声をかけてきた。

 低く優しい甘い声に、杏珠はどきりとする。

「随分と長い間、ここに押し込められていらっしゃったので、よろしければ一度、外に出られてはいかがでしょうか?」

「はい」

 杏珠は頷いて、手許にある市女笠をかぶり、ゆっくりと外に出た。

 本来ならば、儀式のときは物具装束もののぐしょうぞくをまとうべきだが、今日の杏珠はいわゆる壺装束つぼしょうぞくだ。正装は裾が床にふれるため、歩いたり移動したりするのに全く向いていないからである。

「足元に気をつけてください」

「ええ」

 泰時に手を借り車の外におりた杏珠は体を伸ばす。狭い車内で座っていたせいで思った以上に体が強ばっていた。

 そして隣に並んでみると、泰時の体は思ったよりもずっと大きかった。身長は、杏珠の頭より頭一つ分ほど高い。袖から垣間見える腕は太く、鍛え上げられていることがわかる。大きな目は思ったより優しい目をしていた。

「殿下?」

「牛は表ですよね? そこまで歩いてもいいですか?」

 牛車といっても、中庭まで牛を連れてこれないため、ここから外までは人力で運び出す必要がある。たいした距離ではないけれど。

「それは──」

 泰時は困惑したようだった。

 皇女は基本、外を歩いたりしないものだ。杏珠はこっそり外に抜け出したりしていたから、歩くことに抵抗はない。人足たちも楽できる。

「ここで私が歩くと将軍のご迷惑になりますか?」

「いえ」

 泰時は首を振った。

「殿下がそうお望みなのであれば、なんの問題もございません」

「ありがとう」

 その時、傘の垂れ衣が風でめくれ上がった。

「や、やだ」

「やっぱり綺麗だ」

 思わず手で顔をおおった杏珠には、泰時のつぶやきは聞こえなかった。



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