第3話
薄情だと言われるかもしれないけれども、しかし事実として「その日」の事をしっかりと思い出す事は難しいのだった。
最初の思い出、そう、物語の始まり。
……草木まことが死んだあの日の事を俺はそこまで鮮明に覚えている訳ではない。
車に轢かれ、亡くなった事は覚えている。
その時の彼女の顔は――覚えていない。
覚えていたくなかったとも言えるかもしれない。
兎に角彼女はその時に死に、そしてあの輪廻は始まる事となった。
その事は、覚えている。
「侑くん?」
彼女の死に顔は覚えていない。
そして同時に、彼女がどのような笑顔を浮かべるのかもあまり覚えていなかった。
薄情な話だとは思うけど、彼女のその表情が抜ける「その時」から目を逸らした結果だとは思う。
だって――彼女は何時だって最期の時は俺に笑いかけて来たから。
「侑くん」
だから今のように彼女と再会して笑いかけられた時、俺はまずどのような反応をすれば良いのかまるで分からなかった。
学校に着いてなこ、そしてゆかりは一緒に手を振って「それじゃ、放課後に!」と自らの教室へと向かっていった。
そして俺もまた彼女達の背中をちょうど良いところまで見つめた後、教室に向かった。
で、教室で彼女は俺の事を待っていた。
より正確に言うとか彼女は教室の前にある廊下で掲示板をじっと見つめていて、俺が来るのに気づいたらぱっと表情を綻ばせて手を振りながら近づいてきたのだった。
彼女の身長は結構高めだがそれでも俺よりは低い。
だから見上げるようにこちらを見つめてくる彼女はとても可愛くて、思わず涙が出てしまいそうだった。
「どうかしたの?」
「い、……いや」
俺はぐっと我慢して頭を振る。
彼女が、彼女達が今もなお元気で生きている。
あの輪廻から抜け出す事が出来た。
勿論、あの「必ず何かの終わりがやって来る期間」が終わったとはいえ、彼女達が必ずしも「最期が老衰」になるとは限らない。
そもそもあのタイムリープは一言「ただの不幸な現実」と表現しようと思えば出来てしまうような事であるのは事実であり、今回四人……俺も含めて五人が生き残れたのは単に天上の神様が微笑んでくれたからなのだ。
だから、そう。
彼女達が今も生きていてくれている事に感謝しなくては。
「なんでも、ないよ」
「そう、かな?」
「そうだよ」
「違う、嘘。何か考え事、してるでしょ」
すっと半歩ほどこちらに近づいて来る彼女。
自然、上目遣いの彼女の顔が近づいて来る事になる。
桜色の頬、血の通った表情。
ボブカットの髪はサラサラで、瞳はキラキラと輝いている。
生気がみなぎっている。
「どうか、した?」
「いや、なんていうかその……」
俺はドキドキしつつ何と答えようか迷っていると、しかし彼女はそこで「ううん、大丈夫だよ」と一度にこりと笑ってから俺からすっと身を引く。
ちょっと距離が離れてしまった事に少しがっかり、したりしなかったり。
「侑くんにも事情があるもんね、何か考え事があるんだよね。それなら私も深く追求はしないよ」
「あ、ああ」
「それで、侑くん。なこちゃんとゆかりちゃんは? もう、教室の方に向っちゃったかな」
「うん。俺と一緒に登校して、それでさっき別れたばっかりだよ」
「そっか……うん、そっか」
何かを考え込むようにふむふむと頷いた彼女だったが、そこで「あ」と俺の方を見る。
いや、よくよく観察してみると俺ではなく俺の背後を見ているようだ。
その視線に釣られるように俺は振り返ってみると、そこで二人の生徒がこちらに近づいてきているのが見えた。
一人は、ゆかりだ。
そしてもう一人は俺や彼女達にとって上級生であり先輩である、氷室まどかだった。
「先輩、ゆかり」
「侑さん、おはようございます」
氷室まどかという先輩を形容するならば「温かい氷」という表現が正しいかもしれない。
冷たい訳ではないクールな女性。
人当たりは柔らかく誰とでも仲良くなれる社交的なところがあり、とはいえムードメーカーという訳でもない。
こう、深窓から離れた深窓の令嬢……みたいな、そんな感じ。
「お兄ちゃん、私は?」
「ああ、ごめんなゆかり……えっと、二人はどこで会ったんだ――ですか?」
一応この学校は学年によって使う階が異なっていて、一年生は三階で二年生は二階、そして三年生は一階を使う事になっている。
その二人が出会い一緒に来たという事は、多分それぞれ二階に降りて来た、あるいは上がって来た時にばったり出くわしたという事だろうか?
「一応、私がゆかりさんを迎えに行って、そしてなこさんは少し野暮用があるから今すぐには来れないそうです」
「なるほど、という事はこの後ここにやって来る感じですか?」
「まあ、ショートホームルームが始まるまで時間はそこまでないので、だから彼女がそれまでにその野暮用が終わるかどうかは分かりませんけど」
「なーちゃんも別にここに来たくないって訳じゃないから、来れたら来るし来れなかったら来ないわよ。そこら辺はお兄ちゃんの良いところだけど悪いところでもあるわね。今までの事があるから仕方がないというところもあるとは思うけど」
「……今までの事?」
俺は首を捻り、ゆかりは少し「ん?」と顔を顰め、そしてまどか先輩は「こら」とゆかりの頭を小突いた。
「ご、ごめんなさい先輩」
「別に良いですよ、ただ今はその時ではないってだけです」
「難しいです、私はそこまで頭が良い訳じゃないので」
「情熱的なのはゆかりさんの良いところだとは思いますよ、私は」
「……もうちょっとクールビューティーになれればとは思ってます」
「?」
「侑くんはそこまで気にする事じゃないよ、どうせその内分かる事だと思うし?」
「んー」
この感じ、もしかして俺は仲間外れにされてる?
ただ何となく雰囲気から察するに「サプライズパーティー」を秘密にされているような疎外感があり、そこまで寂しいとは――いや、やっぱり寂しいな。
俺の事を邪険に扱っている訳ではないし、そしてここにいる三人が共有している秘密は俺の事を邪魔者として扱うような類のモノではない事も分かる。
とはいえ、やっぱり仲間外れはちょっと寂しい。
だから出来れば早く俺にその「秘密」を明かしてくれればなーと、そのように思った。
「侑くん、なんか難しい事考えているでしょ」
「いや、難しい事は考えてないよ。ただなんだか分からないなーって事を思っているだけで」
「あはは……そこに関してはあれだよ、世の中すべてなるようになるって事で」
むん、と胸の前で両の手を握って見せる彼女。
その仕草もまたどことなく懐かしく思えて、やっぱり涙が零れてしまいそうだった。
思わず天を見上げようとしたところで、ふと廊下の向こう側でばたばたと手を振りながらこちらに近づいて来る生徒の影が見えた。
ていうか、普通に今井なこだった。
「ごめーん、なさいっ。遅れましたー!」
と、肩で息をしながら呼吸を整えている彼女にまどか先輩が「なこさん?」と少しだけ怒ったような口調で言う。
「急いで来てくれたのは良いですけど、廊下は走るところじゃないですよ?」
「え、えー?」
「それ以前に走るならばもっとお上品に走った方が良いと思いますし、それ以上にあの走り方は運動神経の良い人のそれではなかったです。こう、両の手をぐっと握りしめて左右にばたばたさせるのではなく前と後ろに駆動させるんですよ」
「いや、まどか先輩。そこはそう突っ込むところじゃないわよ……」
ゆかりが呆れたように半眼になる。
「それと、なーちゃんは仕事をちゃんと終わらせてきたの?」
「ん! ちゃんと先生に提出してきた!」
「提出って、何か課題を出してなかったのか?」
ゆかりが課題について口に出していなかったという事はなこだけが提出する事になっている可能性が高い。
となると、あり得るのは「まだ出していない課題」か「彼女だけ特別に与えられた課題」かのどちらかであり、俺としては前者であると思いたかった。
しかし。
「いやー、赤点って取るものじゃないですねー」
「マジかよ……」
まさかの赤点だった。
ていうか、なんだかんだ学校らしいワード(らしいか?)言葉が出てきて思わず「う」となってしまった。
そう言えば、俺達は学校生活を送っているんだった。
タイムリープもなければ死という絶対的な終わりもない、ただ青春を送るだけのタイクツな日常。
それを取り戻す為に頑張って来たし、そして今はそれを取り戻した後の日常なのだ。
「しかし、なんだか現実味がないな」
「何か言った?」
きょとんとした顔でこちらを見てくるまことに対し俺は「いや、何でもないよ」と返す。
そう、何でもない。
何でもないし、今はこのままで良い。
そもそもあのタイムリープは終わったのだからこれで「めでたしめでたし」なのだ。
さっきも言った通りこの後続いていくのはタイムリープも死もない普通の日常。
平々凡々な日常で俺は退屈な時間に対して辟易としながら、そのありがたさを理解していかなくてはならない。
俺は、それらを取り戻す為に奮闘してきたのだから。
例え誰もその事を覚えていなくても――いや。
もはや俺だって覚えていなくても良い事なのだろう。
些事という訳ではないが、それでも過ぎ去った出来事としてアレ等はもう忘れ去ってしまって良い事のような気がする。
というか、ぶっちゃけ俺もあまり覚えていたくない。
彼女達、仲が良い四人が死んでその表情が消えていくその様なんて覚えていたって気持ちの良いものじゃないんだ。
何なら、その表情を浮かべる事が出来ない場合だって――いや、良い。
もうこの事を考えるのは良そう、あまりにも楽しくない話題だ。
俺は「ふう」と溜息を吐き、それから伏せていた顔を上げる。
そして、少しだけ「ぎょっ」とする。
何故ならいつの間にか彼女達四人は俺の前で整列していて、そして真面目そうな表情を浮かべていた。
周囲には何故か人影がない。
だからなんだか非現実的な光景なような気がしていて、それ以上に何故この四人がそんな表情で俺を見つめてきているのかが分からなくて混乱した。
「え、えっと……?」
「侑くん」
と、まことが言う。
「侑くんにね、伝えたい事は沢山ある。だけど、まずは一言、貴方に伝えるね」
そして彼女は、真面目な顔をいつものような花のような笑顔に変えて、そしてこちらに一歩半近づいてきた。
「大好きだよ、侑くん」
空気が。
……固まったように思えた。
言葉の意味が理解出来ない、訳ではない。
理解しがたいだけで、そして同時に「何故?」という疑問が湧いて来る。
状況とその言葉が結びつかない。
だって、そもそも、ここには他に三人がいて。
それで――
「大好きです、先輩」
悪戯っぽい笑みを浮かべてなこが言う。
「大好きよ、お兄ちゃん」
いつもにも増して真面目そうな表情のゆかりが言う。
「大好き、侑さん」
そして、最後にまどか先輩が笑った。
「私達はきっと、これから沢山の言葉を交わさなくてはならないと思う。それくらい、この時間は長過ぎました」
「だけど、私達はきっと「そこ」に辿り着ける」
「だから、先輩。それでも私達はまず「それ」を伝えたいって思って、だからこうして集まったんです」
まことは、何かを躊躇するように足にぐっと力を込めたかのように見えたが、しかしすぐにふにゃりとした笑顔に戻り、「うん、そうだね」と言葉を口にした。
「危ない危ない、ここはまだ「そういう」時じゃなかった」
その言葉の意味は分からないけど。
「よ、四人とも。えっと、これは一体……」
可能性として。
「その」始まり、まことが死んだあの日。
タイムリープの「前」。
俺がもうほぼ忘れてしまったタイムリープが起こる前の時に何かがあったのかと思った。
当然ほぼ忘れてしまっているので、もしそうなら俺はどうしようもない。
だからそれを尋ねようと思ったが、しかしそれ前に「それじゃあ!」とまことがにっと笑って距離を取った。
「それじゃあ、ちょっと私達用があるからこの辺で!」
と、四人はぞろぞろと俺の反応を無視して廊下の向こうへと歩いていく。
「え、ちょ。え?」
取り残された俺は、どう反応すれば良いか分からずその場に立ち尽くして「え、え?」と言葉を繰り返し零す事しか出来なかったのだった。
□
「ふー……うう、流石に唐突過ぎよ」
「顔、あっついです」
「あはは……少し大胆過ぎたかな?」
「ですが、これだけでは全然足りないですよ――」
「だって、私達は彼の事が心の底から大好きなんですから」
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