第2話 PASSING BREEZE

 スキルが無い。


 早くも輝かしい異世界生活に暗雲が立ち込めてきた。

魔物に生きたまま、足から喰われる未来が容易に想像できる。


 どうしよう、宅配便が届くことを忘れていた事にして、この話、無かった事にして貰おうか……


「あの……担任の先生を’’お母さん’’と呼んでしまった様な顔してますけど、大丈夫ですよ」


 ルピナス様がとても気の毒そうな顔で俺を見る。


「そ、そこまで絶望的な顔をしてましたか……」


 そういえば小学校の時、優しくて美人だけど俺にだけ当たりの強かった大谷先生から、『自身の考えに没頭して先走り、不用意な発言をする事が多い』と通知表に書かれたっけ……


「はい、他人事ながら見ていて心が痛くなりました。ですけど大丈夫ですよ。

そもそも、格が一つ違うだけで力や魔力、身体能力等に結構な差があるのです。

ましてや、地球の格は’’拾’’で、ミネルバトンは’’伍’’ですよ?

そう簡単にくたばったりしませんよ」


 ちょいちょい言葉が乱れるな。この美女。


「それに、先のお話ほど素っ頓狂なものでは有りませんが、木村さんの適性にそった可能性を高めて、能力へと具象化する事ができます。これってスキルっぽくないですか?」

 

 おお、言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ!


「さっそく木村さんの適性を視てみましょう。ちょっと時間が掛かるので大人しくしていて下さい」


 むむむと、険しいけれどステキな表情で俺を見つめるルピナス嬢。

こんなに熱心に美女に見つめられるのは、電車で痴漢に間違われた時以来で、ちょっとそわそわしてしまう。


「視えてきました。視えてきましたよ……これは……風、かな?……風の様です!木村さんの適性は風です!」


 風!風属性か!

風と言えば、カマイタチで敵を斬り刻んだり、竜巻で周囲を吹き飛ばしたり、音を消して敵の背後から不意打ちしたり、空を飛んだりもできるかもしれない。


 風属性の強キャラも多い!

良いぞ!夢が広がるな!輝かしい異世界生活が視える、私にも視える!


「続けて適性を具象化、定着させますね」


 むむむと、再び険しいけれどステキな表情で俺を見つめるルピナス嬢。

頑張れ!俺の為に!あなたと同じくらいステキな能力を頼むぞ!


「ん?……あれ?……え?何コレ……あー、えっと……その……定着できました……木村さんの能力はですね……おなら……です……」


「へ?」


「屁です」


「屁?」


「屁」


 見つめ合う俺と美女。


「あの、俺、何か悪い事しましたかね?」


「こんな能力が有るなんて……何に使えるかさっぱり分かりませんが……きっと、役に立つ事が……無さそうですけど……

あ、ほら!先程の話にあった、ユニークスキルって奴ですよ。


 オンリーワンの、あなただけの能力って事で……あ!能力は相応しい名を付ける事で覚醒するのです。

能力に認められれば、名前が勝手に思い浮かぶそうですよ。なにかピンと来ませんか?」


 ルピナス嬢が痛いほど気を使ってくれているのが分かる。良い子だなぁ……

でもね、名付けで覚醒するって、おならが?

認められたらって、おならに?


「あの……やり直す事って――――」  


「無理です。もう定着してますし……それに仮に出来たとしても、木村さんはおならです。

なんどやっても、絶対におならになります」


 驚愕の事実。母さんごめん。俺、おならだった。


「ちょっと、自分を見つめ直してきます」


そう言って、この場をそそくさと離れる。


「あまり遠くに行かないでくださいね。戻ってこれなくなって餓死しますよ」


 




 おなら、おならねぇ……

何もない空間を、とぼとぼ歩く。


 29年間、こんなにおならの事を考えた事はないってくらい、頭の中がおならで一杯になる。


 使えるのか?使える訳ないよなぁ……まさに屁のツッパリにもならんですよ。

あぁ、そういや、あの牛丼王子、屁で空を飛んでたな……俺にも出来るのか?


 大空への翼をこんな事で得る羽目になろうとは……


 まぁ悪態を吐くのもお角違いだよなぁ。俺、何もしてないし。

それに、必ず活用しなくちゃならないって事もないしな。

身体能力がかなり底上げされて、魔力も有るっぽい。

下手な小細工で強くなるより、シンプルに剣と魔法で強くなろう。

 

 戻るか。戻ってルピナス嬢に謝ろう。あの逃げるような態度はないよな。


 踵を返し、俺を待つ美女の元へ向かう。


 しかし、名前かぁ。おならのスキルの名前って……

屁だろう?おなら、握りっぺ、すかしっぺ、臭い、拡散、エレベーター、んー……あ、ライターで火を点けるって芸があったな。爆発……


 限界だ、連想じゃダメだ、意外と思いつかないもんだな。


 今この世で最もおならについて考えている俺。


 発想を変えて逸話はどうだろう。屁に関する逸話。

んー……思いつくのは、人の前で暴発して笑われたって話ばかりだなぁ……

いや……あれは確か……昔ゲーム雑誌で、俺の大好きなドライブゲームの作曲者のインタビューが載っていて、笑った記憶が……


 カッコ良い曲名をつけたら、それ、おならって意味だよと、指摘されて慌てたって話だった。

曲名は……3曲有ったよな。どれも名曲だったが、くだんの曲の没になったタイトルは……


 ’’PASSING WIND’’


 歯車がカチリとハマった様な感覚がした。

 直後、雷に撃たれた様な衝撃が身体を駆け巡った。


 これだ……


 ルピナス嬢が言っていた事が今なら解る。名を付けた瞬間、物凄い万能感に包まれた。


 やれる!どんな魔物でも俺のPASSING WINDで!……って、おならだった。


 一瞬で冷静になる。


 ダメだわ。カッコよい名前が付いた事は良いのだけど、おならじゃ無理だ。





 あ、ルピナス嬢!良かった、戻ってこれた。餓死するとこだった。

顔が見える距離になると、彼女が心配そうな顔を浮かべていた事が判った。

ごめんよぅ……俺、おならだけど頑張るよ。頑張ってあなたの――――


 彼女との距離が10mほどになった時、目の前に突然機械が現れた。

歌やラジオの収録の時、ガラスに阻まれた、音声の調整をする部屋。


 そこに、鎮座する大きなサウンドミキサー。


 つまみが沢山あり、とても全ての意味や効果が覚えられない様な、ハイテクマシーン。


 それっぽい機材が俺の正面に浮かんでいる。


「おお?何コレ。ARみたい!凄い!」


 凄いけど、ホントなんだこれ。触ろうと試行錯誤するが、手が通り抜ける。

視線を向けると、スイッチやつまみが動くので、ホントにARの様な拡張現実的な存在らしい。


「あの……大丈夫ですか?気を落とさずに、元気出して下さい」


 彼女には、この謎のマシーンが見えていない様で、俺が突然パントマイムを始めた大道芸人に映ったみたいだ。

気落ちした俺じゃなくて、気が触れた俺を心配しているご様子。


 違うんだ、俺は正気だ。オカシイのは世の中の方だ。とかなんとか思いながら手当たり次第につまみをいじる。

すると、一番下の他より少し大きめなスイッチが薄く輝き、押せと主張し始める。


 逡巡の後……押した。


 ぶっ!


 美女から聞こえてはいけない音がした。


 それもおっさんが、横になってテレビを観ながら、遠慮なくブチかます様な力強い音が。


 ルピナス嬢の顔がみるみる赤くなる。

透き通る様な真っ白な肌なので、変化が離れていても良く分かった。


「な……なに……なんで……今……私……うそ……」


 ワナワナと震える美女。


 ここは紳士として気付かない振りをするのが正解だろうか。

それとも、’’そんな君も素敵だよ’’と抱き寄せるのが正解なのだろうか。

普段の俺なら悩みまくるところだが、俺は俺でそれどころでは無かった。


 彼女、ルピナス嬢の腰の辺りに、どす黒いモヤの様な物が漂っている。


 あれはなんだ?


 さっきまでは確実に無かった。彼女が、その……アレをアレした時に現れた様だ。


 って事は、アレはアレなのか?


「し……信じられない……この私が……女神なのに……人前で……へ……屁を……こんな……あぁ……」


 羞恥に耐えきれなくなった女神さまが、両手で顔を覆い、力なく座り込んでしまう。


「あ……」


 座り込んだ女神さまの顔が丁度、モヤの中に入ってしまい、声が出てしまった。大丈夫なのか?


「ううぅ……う?うぇっ!何コレ、く、臭!お……おぇぇえ」

 

 何度か、えずく女神さま。


 何とか耐えて最悪の事態は免れたようだが、勢いよく立ち上がり、ズンズンと足音が響きそうな勢いで俺の元に近寄ってくる。


 黒いモヤを纏ったまま。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!ちょっと待って!」


 あの黒いアレはアレだと知ってしまった俺は焦った。

焦って、つい、あっち行けと手で払う仕草をしてしまう。


 黒いモヤは、俺が手を払った方向に流れて行った。


「え?……まさか……動かせ――――」


 ガシッと首元を掴まれた。近くで見るとこの美女、まつ毛長いなぁ……


「木村さん!何をしてくれちゃってれら!酷いです!ひど過ぎて私――――」


 怒りでろれつが回っていない女神さまの動きがピタリと止まり、玉の様な脂汗が、花の様なかんばせに浮かぶ。


 ぎゅろろろろろろ


 ルピナス嬢の下腹部から音が鳴った。

これはあれだな。アレを放出したせいで、腸が活発化してるんじゃないかな。


 プルプルと生まれたての小鹿の様に震えるルピナス嬢。


「ちょ……ちょっと、宅配便が来ることを……わ、忘れていました。

す、直ぐに戻ってきますで、ちょっと待っていてください」


 そう言い残して、ルピナス嬢は瞬間移動で何処かへ行ってしまった。




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