瑠璃の洞窟

第一章 事件

事件(一)


 月和国つきわのくにでは、東宮の妃選びは春に始まり、春に終わるのが通例である。約一年の間、各領地から選出された六名の姫は、宮中で様々な試験を受け、その資質を見定められることになる。

「ほぅ、これが今回の瑠璃領の姫たちか」

 姫たちが東宮・晴彦はるひこの前で一堂に会する数時間前、中宮・紫苑しおんは自身と同郷である瑠璃領の姫たちを呼び出していた。この二人のどちらかが、ゆくゆくは自分と同じく次の帝を産むのだから、その前に品定めをしようとしているのだ。姑として、息子の妻にふさわしい女であるか見定める第一歩である。

「お初にお目にかかります、前橋まえはし家二の姫・蘭子らんこにございます」

 二人の姫のうち、最初に名乗り出た蘭子は、自分というものに絶対の自信を持っているような娘であった。常に自分が正しく、自分が一番美しい。前橋家は先先代の当主家で、瑠璃領の名家の中でも一番・皇后に選ばれている回数が多い。そういう生まれであることから、子供の頃から他のどの家の姫よりも高い水準の教育と品質の高いものに囲まれて育って来た。自分が選ばれることは当然だと、少々思い上がっている節がある。

「ふむ、なかなかに良い顔をしているな」

 姫たちの方からは、御簾の向こうは見えていない。だが、紫苑からはよく見えているようだと悟るにはそれだけで十分であった。蘭子は褒められたと思って嬉しそうに微笑んでいる。

「では次だ。面をあげよ」

 一方、もう一人の姫・桔梗ききょうは、蘭子とは違い、よく見せようと微笑みもせずに言われた通り面をあげ、御簾の向こうをじっと見つめる。

蓮池はすいけ家七の姫・桔梗にございます」

 紫苑はその名前と桔梗の面差しから古い友人のことを思い出し、息を飲む。

「蓮池の……ということは、そなた、菖蒲あやめの————」

「はい、妹にございます」

「やはりそうか。なんと、懐かしい」

 桔梗の姉・菖蒲は、先の東宮の妃選びで紫苑と共に正室の座をめぐって競い合ったうちの一人だ。現帝である朝彦ともひこが側室にも選ばなかった脱落者の一人で、表面上、病気のため辞退したことになっているが、実際は、違う。菖蒲はその辞退の原因が紫苑にあると考え、末の妹である桔梗を送り出す際、中宮には気をつけるように何度も念を押していたのである。だからこそ、桔梗は紫苑に対して良い印象を持っていない。

「確か、菖蒲は一の姫だったなぁ。七の姫ということは、後継は?」

「ご心配なく、私の下に双子の弟がおりますので」

「ほぅ、そうか。七の姫だなんて、女子おなごばかり産んで、男児を産めぬ体なのかと思ったわ」

 くすくすと、どこか馬鹿にしたように笑っている。桔梗は嫌味を言われたのだと理解していた。要するに、そんな女ばかり生む母親の子供である桔梗が、もし正妻となっても、皇子を産めぬ体では意味がない。そう言いたいのだろうと思った。同郷の姫を嫁にしたいと、そういう慣例であるからこうして目をかけているようなことをしているが、手塩にかけて育てた可愛い我が子が他の女のものになるのは許せないという部分もあるのだろう。

「まぁ、良い。東宮はそなたら二人のどちらかを選ぶであろう。しかし、いくら私が母であるとはいえ、最終的に決めるのは東宮だ。そこで万が一にも他領の姫を選ばぬよう、そなたらにこれを渡そうと思ってなぁ」

 紫苑がそう言うと、女房が二人の姫のそれぞれの前に木箱を置いて、蓋をあける。中には割れないよう白い棉に包まれて、青色の液体が入った小瓶が一つ。

「これは、なんでございましょうか?」

 蘭子が訊ねると、紫苑は笑いながら言った。

「東宮が御渡りになったら、それを酒か茶に混ぜて飲ませなさい。そうすれば、子ができやすくなる。そういう、呪術がかけられた薬よ」



 * * *




「……まったく、何が呪術だ」

 自分の部屋に戻った桔梗は、薬が入った小瓶を眺めながら眉根を寄せた。どこか中性的で、男らしくもある美しい顔を歪め、紫苑に対する嫌悪感をあらわにする。

「姫様、そんな顔をなさらないでください。せっかくの美しいお顔が台無しです。しわになってしまいますよ?」

 女房の藤豆ふじまめは、そう言いながら桔梗の眉間を指でちょんとついた。

「痛い! なにするんだ」

「それから、その口調も! また男のようになっています」

「仕方がないだろう、ずっと男として育ってきたんだから」

 紫苑が嫌味を言った通り、確かに蓮池家は、中々世継ぎとなる男児に恵まれなかった。桔梗の父には前妻との間に四人つづけて姫が生まれ、やっと五人目に長男を産んだ。しかし、その際前妻はこの世を去ってしまう。残された長男も、生まれつき体が弱く、一歳になる前に死んでしまった。後妻となった桔梗の母との間にも、二人つづけて姫が生まれ、姑や小姑から散々な言われようであった。そんな中、生まれたのが桔梗と弟のひかるだ。性別の違う双子ではあるが、顔も声もそっくりで、桔梗は光と一緒に男として育った。子供の頃は、両親も姉たちも面白がって男装させていたくらいである。光の体調が悪い時は、光として代わりに行事に参加したことだってある。

 裳着を終えて、流石に男装もさせられなくなった頃、もともと妃候補となるべく育てられていたすぐ上の姉がどこぞの男と駆け落ちして行方不明となり、急遽、桔梗が候補者になってしまったのだ。

「蓮池家から皇后となる姫を……っていうのが、一族の悲願だってみんながいうから、仕方がなくここにいるけれど、呪術で子供なんてできるわけないじゃないか」

 紫苑が怪しげな呪術に精通していることは菖蒲から聞いてはいるが、まさか自分の孫まで呪術で産ませようとしているなんて、気味が悪いにもほどがある。桔梗はそんな手荒なことをしなくても、正々堂々、選ばれるように努力すればいいだけの話だと思っている。瑠璃領から最終候補の二人に絞られるまでの試験も、桔梗は自分の実力で通過してきたのだ。

「私も菖蒲様から中宮様の呪術の話は聞いてはいましたけど、逆に呪詛をかけられているようでしたけど? 一体どこまでが本当の話なんでしょうかね?」

 まだ藤豆が女童めのわらべであった頃、紫苑が体調を崩し、呪詛の可能性があると調べたところ、呪いの人形が見つかった事件があった。その人形を見つけたのは偶然にも藤豆で、犯人とされる紅玉領から来ていた女童は火災に巻き込まれ焼死したらしい。結局、藤豆は本当にその女童が呪詛を行なっていたのかどうか、後ろで手を引いていたのは誰なのか知る機会がなく、瑠璃領に戻っている。呪詛に精通しているはずの紫苑が呪詛にかけられていたなんて信じられないが、その目で人形を見ている藤豆は、菖蒲が妃選びで脱落したことを逆恨みして、言いがかりをつけているだけなのではないかと疑っているのだ。

「まぁ、一方の主張だけを聞いて判断するのは危ないとは思っているけれど……初日からこんなものを渡されたら、姉上の言っていることが本当だと思うだろ?」

 これが本物の場合だけど、と言いながら、桔梗はその小瓶を気味悪がって棚の奥に隠してしまった。


 そして、事件が起きたのはその翌日の明け方のことである。どうも、昨夜のうちに桔梗たちが寝泊まりしている棟に、さっそく御渡りがあったらしい。桔梗が何も知らないということは、相手は蘭子だ。


「————医師を呼べ!! 早く!!」


 眠っていたが、なんだか外が慌ただしくて桔梗も藤豆も目を覚ましてしまった。さらに、廊下から聞こえてきた声に驚愕する。


主上おかみ!! 主上!!」


 現帝である朝彦が、死んだのである。

 東宮である息子・晴彦の妃候補の蘭子の部屋で。



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