「ピッ」
伊賀ヒロシ
「ピッ」
子供の成長を見るという事は、人間の「初めての体験」を目の当たりにするようなもの。それは時にとても愉快である。
まだ娘が分別のつかないくらいの年齢の時の話。
多分、その日が彼女にとって、
「お店に置いてあるものは、(お金)というものを払わないと何も貰えない。」
というのを初めて体験した日だったのだと思う。
それまでは子供を連れてお店に行っても、抱っこしていたり、ベビーカーで寝ていたりと、その「買い物」体験を娘自身がした事が無かったような気がする。
ある日の出来事。
娘も一人で歩き、少しは「うろうろ」する事を覚えた頃の事だった。
スーパーのお菓子売り場の所を通り過ぎ、会計をしようとレジ前に立った私の横に娘がいない事に気付く。
「すいません!娘がいなくなってしまいました!少し待っていてください。直ぐに探してきます!」
という私に、レジの方はニコっとして返事をしてくれた。
そのまま通ってきた道を走って娘を探す。
すると、先程のお菓子売り場の所で、娘がちょこんと座ってお菓子を食べている姿が見えた。その姿があまりにも滑稽で思わず笑ってしまう。
「え?何してるの?もう食べてるの?そうか・・・、お店でお金を払わないと物が貰えない、という事を知らないもんね。」
と思った私は、お菓子を食べている娘をそのまま抱きかかえて急いでレジへと向かう。通路には、レジに向かう私達の姿を見てる人達がクスっと笑うのが見える。
「すみません!娘がお金を払うという事をまだ知らなくて、通路で袋を開けて食べてしまいました。本当に申し訳ございませんが、このままの状態でレジを打ってもらっても大丈夫でしょうか?」
笑いながらレジの方が娘の顔の横までバーコードの機械を伸ばす。
そして、食べ続けている娘のお菓子の袋へとその機械が触れた時、
抱き抱えている娘の口元の近くで「ピッ」という音がする。
私とレジの方でお互い笑いながら頭を下げる。
そんな事も知らずに、娘が無表情で黙々とお菓子を食べ続けている姿が、さらに周りの人達にも笑顔を与えていた。
そんな私は、可笑しいやら恥ずかしいやら・・・。何とも言えない気持ちになった。
でも、これが娘にとっての、「お金を払ってからじゃないと物が買えない」という初体験だったのかも知れない。
それ以来、娘が通路でお菓子を開けて食べてしまうという事はなくなったが、その姿が見れない事に少しだけ寂しさも感じる。
自分の心のどこかで、振り返ったら通路でまたお菓子を食べている娘がいるんじゃないか?なんて、期待している部分があったような気がする。
人間の初体験を目の当たりにするという事は、なかなか奥深く、面白いものだと感じたその日の娘の行動。
次はどんな「初体験」を見せてくれるのだろうか・・・。
あの時の「ピッ」は、忘れられない音として今も耳に残っている。
「ピッ」 伊賀ヒロシ @takocher
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