第2話 葉二、妻の癒やしは。

 それはとある休日の昼下がりのことである。

 亜潟葉二が神戸市北野にある、行きつけの美容室で散髪をすませて帰ってくると、妻のまもりが死んでいた。


「…………は?」


 正確には、死んだように寝ていた。

 リビングのソファに青ざめた顔で丸まり、命綱のようにスマホを握りしめている。

 ちなみに葉二が出ていく時と、まったく同じ姿勢である。

 確認のため、葉二はその妻に近づいてみた。息はある。何かうわごとのように喋っているのでいるようなので、耳もそばだててみる。


「……あーもう、犬飼いたい……犬……」


 息も絶え絶えに、こんなことを言うのである。


「こら。いきなりなんなんだよ」

「だってさあ、葉二さん。こういうの見てるとほんと羨ましくて」


 まもりが寝たまま、スマホを差し出してきた。

 どうやらインスタグラムを見ていたらしい。


   ***


 こんにちは! Cafe BOWです。

 先日のお客様ワンコです。

 ミニチュア・ダックスフントのフンフン君と、バーニーズ・マウンテンドッグのカイザーちゃん。

 見てくださいこのサイズ感。カイザーちゃんはフンフン君の何倍も大きいですが、二匹はとっても仲良し。河川敷のドッグランに行ってきた帰りだそうです。

 またのご来店お待ちしております!


 #CafeBOW #川口西公園 #川口駅 #川口市 #ドッグカフェ #ミニチュア・ダックスフント #バーニーズ・マウンテンドッグ 


   ***

 

 画面にはお菓子のエクレアそっくりのダックスフントと、その十倍ぐらいは体重がありそうな大型犬が写っている。サイズの差は激しいが、どちらもピンクの舌を出してこちらを見上げ、かなり機嫌は良さそうだ。


「どこかと思ったら、埼玉のドッグカフェかよ。そんなのフォローしてどうするんだ」

「いいのー、べつに。ここの写真、犬もお料理も可愛いから見てるだけだし」


 確かに看板犬の『ヨーダ』に加え、たまに出てくるモーニングやランチメニューも、かなり凝っている。料理の参考にもなりそうだ。


「どうせ今は、三宮だろうが梅田だろうが行ける気分じゃないし……うぷ」

「大丈夫かよ」


 タオル片手にえづく妻は、現在妊娠三ヶ月だ。当人いわく、駄目な時は『水飲んでも気持ち悪い』らしい。

 葉二がソファの隣に腰をおろすと、まもりがあらためて体を預けてくる。

 こちらの散髪したての前髪を遠慮なく触って、「さっぱりしたねえ。男前だ男前」と顔をほころばせた。

 十一も年下で、こうも華奢な体でがんばっているのだと思うと、感謝の念と同時に愛しさもこみあげてくる。


「犬飼いたいって、うちはペット禁止だろ」

「わかってる。ベランダの野菜もあるしね」


 そもそも俺は猫派だと、そんなところで意見を戦わせるつもりはなかった。


 ──規約で飼えないなら、引っ越せばいいじゃないか。買うとか建てるとか。


 実際にこれ口に出したのはだいぶ先の話で、まもりは「あなたの話はいつも突然」と憤慨するが、突発の思いつきだったことは一度もないのである。

 ああ、カフェのお客様ワンコに賭けてもいい。

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