第Ⅵ話 戦闘


「魔族は、自分が食われると……考えたことは、ないのですか?」

 私の的外れな問いに、伯爵は戸惑ったような顔になった。


「考えたことなど、ないだろうな……魔族は、人間の上に立つ種族だからな」

 そう言いながら、伯爵の犬歯が、少し伸びた。


「シスター・フェンリルは、料理にも、手を付けないんだな」

 伯爵が、脳の顔を隠していた布を取り外した。

「!……」

 今度こそ、本当に言葉を失った。

 顔は、婚約指輪の女性だった。これは人間の脳だ。


「人間は家畜だ」

 人間への怒りを込めて、伯爵は言った。




「やはり、シスター・フェンリルは、危険な人物だ」

 伯爵の覇気によって、部屋の空気が凍り付く。

 この野郎は、私を取り除くつもりだ。


「ベルゼェ!」

 私の感情が、膨れ上がり、爆発した。


「元気百二十%、リミッター解除」

 魔法ではない。身体強化魔法を上回り、執行聖女だけが使える危険な秘技だ。


 私を包む空気の温度が上がり、陽炎が立つ。

 人間の体は、壊れないように無意識に負荷を制限している。それを、意識して無理やり解除することで、普段以上の力を発揮できる。しかし、安全を無視しており、体へかかる負荷が異常に大きい。




 伯爵が素手で殴ってきた。瞬時によけたが、風圧で私の体勢が崩れた。

 素早いステップで、一旦、距離を取る。


 後ろはガラス窓、次は後ろには逃げれない。


 じりじりと時計回りしながらも、伯爵との正対を保つ。人型の魔族であれば、急所は人間と同じだ。


「魔族が人間の女性を妻にして何が悪い」

 伯爵が、なにか言った。




「魔族を、魔族の妻を差別する人間が憎い!」

 何を言っているんだ? 戦闘中なのに、戦闘から私の意識がそれてしまった。


――ガシャン!

 突然、庭側の大きな窓が割れた。


 床に、停車場襲撃に使われた催涙ガスと煙幕の小さな筒が転がる。


 私と伯爵の動きが、一瞬止まった。




「むっ」

 庭から飛んできたクロスボウの矢を、伯爵がつかみ取った。

 高速で飛んでくる矢をよけるどころか、つかみ取ることも造作もない実力をもっていた。


「ベルゼ、覚悟!」

 テロリストが侵入し、長剣で伯爵に斬りつけた。


 伯爵が加速した。テロリストからは伯爵が消えたように見えただろう。


 私は、テロリストの周囲に食器を投げ、伯爵の高速移動の障害物にする。足元に散らばるガラス片と共に、伯爵の動きを邪魔する。




 投げ入れられた小さな筒から、催涙ガス、煙幕が部屋中に広がる。この匂いは、苦手だ。


 私は、新鮮な空気がある壊れた窓側へと移動する。


「フェンリル様」

 テロリストのリーダーの声、シスター・ライザだ。


 私は屋敷から助け出された……屋敷を背に走るが、伯爵は追ってこない。




 ◇


「ここは、私たちのアジトです」

 シスター・ライザが説明してくれた。彼女は停車場で見た男装へと着替えていた。

 頭に被っていたウィンプルを外した彼女は、令嬢の証ともいえる長い金髪ではなく、短く刈り上げられていた。彼女の覚悟の証なのだろう。


 街の中、どこかの建物の地下だ。このアジトで、休憩する。

 テロリストのリーダーは、シスター・ライザだと確定した。

 しかし、どうして、シスターである彼女が、テロリストを率いているのか疑問だ。


「国境の街コゥベリックは、どうなったのだ?」

 ライザに、街が変わり果てた事情をきく。

 しかし、彼女は、話して良いものか悩んでいる。


「安全な水です」

 彼女は、お茶を出してくれた。

 お茶は、香りがまったくしない。




《大丈夫だ、毒などは入っていない》

 左手首から細い触手が伸び、お茶を確認した。


「ありがとう、シスター・ライザ」

 私は、お茶を飲む。空腹の胃袋に温かさが広がった。


「全ては、水道水が原因だと思っています」

 彼女は、手洗い用の洗面器に、水道水をくんで持ってきた。


「飲まないでくださいね」

 私に、水道水を見せてくれたが、無色透明で、怪しい所はない。




「水道水は、触っても問題ないのか?」

 飲んではいけない危険な水道水なのに、手で触っても問題ないのだろうか?


「はい、手洗いに使って、狂った人間は出ていません」

 狂った人間?


 洗面器に左手を手首まで浸してみる。

《微量だが、魔族の人造DNAが混じっている》

 左手首から、小声が聞こえた。

 この水道水を飲むことは、魔族の人造DNAを飲むのと同じことなのか。

 狂った人間とは、魔族の人造DNAを飲んで、魔族のシモベとなった人間だ。


「この水道水を飲んだ人間が、伯爵のシモベに変ったのだな」

「そうです、地下水を飲んでいる一部の人たちだけが、狂わなかった……」

 彼女の顔は、悲しみに満ちていた。




「私は、この王国を豊かな国にしたかった。そのために、王太子妃になろうとさえ、考えました」

 ライザが王妃に……この王国の王太子は、国家反逆罪で処刑されたと聞いたが、このライザも関係していたのか?


「王都での私は狂っていました。この街に来て、自分を見つめ直すことが出来ました」

「でも、今度は、街のほうが狂った……」

 彼女の顔が、怒りでゆがむ。


「王国の騎士兵が襲撃された事件を、知ってる人間はいるか?」

 シスター・ライザに聞く。私の目的は、騎士兵襲撃の犯人を捕らえることである。


「なぜ、そんな事件のことをきくのですか?」

 彼女は、不思議そうな顔をした。私のことを怪しんでいるのか。




「犯人が判れば、王国が動いて、この街に進軍してくると思わないか」

 思う、思わないではなく、王国は確実に進軍してくる。そして、この街の、伯爵の持つ最新の……いや異世界の技術を奪うのが、王国の目的だろう。


「ライザ、ちょっといいか」

「バフ、大丈夫だ」

 テロリストの仲間が来た。


 バフという男だ。黒髪に黒い瞳、鼻は低めで、ライザよりも年上に見えるが、この王国では見ない顔立ちだ。

 停車場の襲撃の時、攻撃の指揮を執っていた男だ。


 中肉中背で、珍しい形の弓筒を背負っている。筒の断面は、通常の丸型ではなく、長方形になっており、その上にクロスボウを固定している。




「さっきの救出作戦で、一人、帰還できなかった」

 バフは、私に視線を合わせないように、ライザへ報告した。


「わかりました……また、一人減りましたね」

 沈み込むライザ。私も難しい顔をして、黙り込む。


 あの時、テロリストが部屋に入って伯爵に斬りかかった時、私は食器を投げて彼を守ったが、私が逃げた後、彼は部屋に留まって、シンガリを務めたようだ。

 それで、伯爵の追撃が無かったのか……いや、彼一人の力で、魔族である伯爵を足止めできたとは思えない。


「フェンリル様、王国騎士兵への襲撃の犯人は、私たちではありません」

 ライザが、意を決した。

「このバフが、襲撃後の惨状を見ています」

 襲撃ではなく、襲撃後を見た?




「はい、俺は、騎士様と、伯爵の奥様の身体には、弓では開けられないほどの、大きな穴がたくさん開いているのを見ました。あんなことを出来るのは、私兵だけです」

 新事実だ。伯爵夫人は巻き込まれたのではなく、騎士兵と一緒に襲撃されたのか。しかも、私兵は、襲撃の前から、この街にいたのか。


 しかし、身体に大きな穴?


「伯爵は妻を愛していたのに、自分が雇った私兵に襲撃させるとは信じがたい話だ」

 私兵ならば、人間の体に大きな穴をたくさん開けられる……でも、どうやって?


「奥様を亡くし、伯爵は狂いました。魔王の下へ、何かしらの進言を行なうため、出かけたのは、たぶん、人間をせん滅するためです」

 このバフという男の話は、時系列がおかしい。すぐには、飲み込めない。




「伯爵が雇った私兵が犯人ならば、国王に直訴すべきだ」

 二人に提案してみる。


 国王は、まずは信頼できる部下をこの街に潜り込ませ、証拠を集めるだろうな。

 信頼できる部下……私のことか? いや、私への依頼は王妃からのものだ。まさか、私以外にも、この街に潜伏している人物がいるのか?


「国王は、私の話を信じてはくれないでしょう。騎士兵は、私の様子を探りに、この街に、密かに潜り込んでいたのですから……」

 ライザが明かした……彼女は王都で、何をしでかしたんだ?

 騎士兵は、国王の直轄部下である。しかし、戦闘には適しているが、スパイ活動には不向きだ。


 騎士兵と伯爵夫人を襲撃した犯人は、まだ、どこかに隠れ、笑っている気がする。




「ここは国境の街、魔族との共存試験エリアだ。王国の法律で魔族は裁けない」

 バフという男が話し始めた。


「国王側は手を出し難く、逆に魔王側も手を出し難い。両陣営とも、全面戦争は避けたいと考えているからだ」

 バフが情勢を分析する。


 国王軍と魔王軍は、百年ほど前に不可侵条約を結んだ。王都に攻め込んだ魔王を、勇者パーティーが封印できたからだ。

 その魔王は、2年前に復活した……らしい。魔族側が言っているが、魔王を見た人間はいない。復活した魔王の姿を見たと言っているのは、一部の上級魔族だけである。




「バランスがとても大事なんだ」

 彼の言うとおりだ。

 戦争なんて、ほんの小さな事件から始まるのが、世の常だ。

 そして、この街は、独立した自治が認められた特別な街なのだ。


「そして、伯爵は切り札『黒のクイーン』を持っている」

 彼とライザは、伯爵の切り札と言うものを、なぜか知っている。私は、伯爵とカイゼルの会話から、切り札の存在を知った。

 切り札は、駆け引きの道具となる。しかし、使わないから、切り札と呼ばれるのだ。使えば、正体がバレて、対策を講じられ、切り札としての価値がなくなる。


「使えば……全面戦争になる」

 彼は、なぜそう思うのだろう。伯爵の切り札は、兵器だと知っているのか?

 他にも、魔族の後ろ盾、人質、機密情報とか、考えられる切り札はあるはずだ。


「俺たちは、切り札を壊すことが出来なかった。場所すらもつかめなかった」

 壊すということは、機械的な兵器なのか? 制御装置という場合もある……バフは切り札の正体を知っているのか?




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