第Ⅴ話 調理
「ベルゼ伯爵が、フェンリル嬢をディナーに招待した。屋敷まで同行願おう」
狭い部屋なので、カイゼルだけが中に入る。
彼の威圧感で、部屋の温度が下がったように感じる。これは、令嬢をディナーに誘う雰囲気ではない。
「長い移動で疲れていると言えば、断ることが出来ますか?」
威圧感に負けじと、交渉を試みる。
「王都では、伯爵の命令を断ることが出来るのか?」
「王都では、レディーファーストという言葉が流行ってます」
実は、王都のことなど、よくは知らない。カイゼルは、私を王都からのスパイだと疑っているようなので、少し揺さぶってみたのだ。
私とカイゼルが向かい合うと、部屋の温度が、また下がったように感じる。
「レディーファーストは……もともと、令嬢が前に立って、主人を守るという意味だ」
彼はなかなかの知見を持っていた。
「今は違うがな」
ん? 古臭いタイプなのか、遠回しに私へ何かを伝えたいのか。
「断れば、聖堂に被害が及ぶこと、わからない訳ではないだろ?」
今度は、私を脅迫してきた。選択肢はないということか。
お腹が空いているし、もしかしたら名物料理を食べられるかも……行ってみようか。
「支度する時間くらいは、もらえるのよね?」
私は、むさ苦しい男どもは、外で待つように言う。
「外で待つ、早くしろよ」
カイゼルは、司教とともに部屋を出ていった。むさ苦しい男の下品な足音が遠ざかっていく。
「フェンリル様、伯爵の屋敷へ行くのは危険です」
ライザが止めてくれた。
「心配してくれてありがとう。でも、行くしかないでしょ」
彼女は優しい心を持っている。
「私は支度するから、ライザも自分の部屋に戻りなさい」
ライザは、何かを決心したようで、部屋を出ていった。
「さてと……」
部屋で一人、招待を受ける準備をする。
両手に、夜会のオペラグローブなど持っていないので、代わりとして黒のメイドグローブを着ける……その前に、拳に暗器のナックルをはめる。
さらに、スカートの中、ひざ下に短剣を仕込む。刃先が超振動して切れ味が格段に上がり、下級魔物の腕も斬り落とせる優れものだ。
《そんな装備じゃ、血統ある魔族は倒せないぞ》
左手の包帯の中から声がした。修道服は長袖だが、手首の包帯が見えてしまう。
「グローブの下の暗器は、高価なオリハルコン製よ。浄化の魔法陣も組みこんであるわ」
強がったが、気休めだ……これまでの下級魔族は、この暗器で殴る事で倒してきたが、血統ある魔族との戦闘は初めてだ。
◇
「やめて下さい、私は神に仕える身です」
外に出ようと歩いていると、聖堂内で司教の声が聞こえた。トラブルか……声のほうへ行ってみる。
「いいじゃねぇか、オレは何人もの女を天国に送っているんだ」
下衆が使うセリフ……私兵だ。
「ほら、このエメラルドの指輪をやるから」
むさ苦しい男が見せている指輪は、襲撃で捕まった女性が着けていた婚約指輪だ!
「あら、よく見せてよ、素敵な指輪ね」
私は、むさ苦しい男に声をかけ、指輪が欲しそうなフリをした。
「急に脅かすなよ……そうか、この指輪が欲しいのか」
「オレも若いシスターが欲しいと思っていたところだ」
いやらしい私兵の顔……ここで潰したくなるが、司教の前なので我慢する。
「ここでは人目がありますので、裏に回りましょう」
裏へ誘ったら、むさ苦しい男が無防備についてきた。司教には、部屋へ逃げるように促す。
「あら、この指輪には、血がついていますね」
私は、指輪を手に取って、そっとスカートの裾を持ち上げた。
「血がつかないようにと、手首から斬ったのに、おかしい……」
――バツ! ブシュッ!
短剣で、むさ苦しい男の声帯を潰し、手首を斬り落とした。
《まて、落ち着け、不意打ちするほどの相手ではないだろ》
突然の絶望感に凍り付くむさ苦しい男。その足元に六ボウ星が輝く。
「痛みが強く長いほど、貴方の罪は浄化され、天界へと導かれます」
男が、体中の骨が折れる痛みで、もがき苦しむ。
「お幸せに」
最後の祈りをささげると、男はチリとなって天に昇っていった。
《私の趣味を奪いやがって》
左手首の包帯の隙間から、黒く細い触手が伸び、落ちているむさ苦しい男の手を食べた。
◇
「街が荒れています」
のぼり始めたばかりの月の明り、馬車からのわずかな照明で見える街は、荒れていた。一部の建物は壁が崩れ落ち、窓は破れて、そのまま放置されている。
聖堂から伯爵の屋敷へと向かう途中、カイゼルと乗る馬車から見える夜の街だ。
「水道とガスは完備されていると言っていましたが、街の治安は悪いようですね」
窓の外を見ながら、カイゼルに質問をぶつける。
「テロの仕業だ」
カイゼルが、つまらなそうに答えた。
テロだけで、こんなに街が荒れるとは思えない。
街の内側と山側を仕切るアーチ状の石壁を馬車が通り抜ける。門扉は開いていた。
ここからは街の外なのに、道の両脇には街灯が点いている。
山道に入ったようで、少し上り坂になる。まもなく、大きな門の前で馬車が停止した。
「ベルゼ伯爵の指示で、お客様を案内してきた」
カイゼルの声で門が開いた。門番はいない。自動なのか、遠隔操作なのかは判らないが、この世界の技術ではない。
「着いたぞ、降りろ」
屋敷の前で馬車から降ろされた。終始、彼は不機嫌だ。
「なんだ、あの人形は?」
私の前の玄関ホールに、メイドを模した機械がいる。顔は四角い板で、猫の顔のような絵が動き、移動はロングスカートの下に付いた小さな車輪を回しているようだ。この自動人形も、この世界の技術ではない。
「屋敷の自動人形だ。詳しくは俺も知らないが、人に危害を加える物ではない」
「この先は、あの自動人形は案内する」
案内が、カイゼルから自動人形へ替わった。
「じゃあな」
カイゼルが馬車に乗って帰ろうとする。
「すぐに帰るから馬車で待て」
私は、伯爵に挨拶したら、すぐに失礼する予定だ。帰りの馬車が無いと、面倒だろ。
「すぐ帰る? それは無理だ」
私の願いを無視して、カイゼルを乗せた馬車が屋敷から去っていく。
屋敷の各所で、明かりがコウコウと灯っている。玄関前に立っただけで、大きな屋敷だと判る。門をくぐってから、この玄関までの前庭も広かった。
《異世界の技術と、この世界の技術が、無駄に融合している》
私の左手首が、驚くような、あきれるような声を出した。
照明はガス灯の優しい灯りではなく、同じオレンジ色だが、赤く染まった満月が、自分で眩しく発光しているような灯りだ。
メイドを模した変な形の自動人形の案内で……機械的な音声、四角い画面での案内……これを案内だと解釈すれば、案内だと言えるが、心がこもっていない。
部屋に入ると、異世界の技術で描いた大きな姿絵が目に入る。等身大の令嬢の姿絵だ。
《油絵ではない。異世界の光画と呼ばれる技術だ》
言われてみると、油絵の具の匂いがしない。
「でも、美しい」
細部まで描かれているとか、美しいドレスのことではない。立ち姿、顔立ちが、気品と優しさにあふれ、思わず美しいとつぶやいてしまうほどの令嬢だ。
「私の妻だ」
突然、後ろから声がした。油断した。気配を感じなかった。
伯爵の声である。彼の妻は、最近、王国騎士兵への襲撃に巻き込まれ、亡くなったと聞いている。
「伯爵様、ディナーへの招待をありがたく思います」
「しかし、私は一介のシスター、伯爵様とテーブルを一緒にできる立場にありません」
遠回しにディナーを断る。
「シスター・フェンリル、既に食事の用意はできている。食べていきなさい」
伯爵の示す方向には、庭が見える大きく高価なガラスの窓、その前のテーブルには、既に食器や、クローシュと呼ばれている金属製の丸い蓋で覆われた皿が並べられていた。美味しそうな香りは感じない。
仕方なく、席に着く……お腹が空いているので、いや、淑女は食わねど高潔な態度である。
テーブルの真ん中のクロージュを、伯爵が開けた。
「……」
私は声が出ない。皿の上には、脳みそが乗っていた。
「サルの脳みそだ。美味しいと評判で、今日の献上品だ」
異国の猿脳という料理は、聞いたことがあるが、見るのは初めてだ。
顔の部分は布で隠されている。私への配慮か?
とてもじゃないが、出された料理に手を伸ばせない。
落ち着け、私……これは、伯爵が私を試しているんだ。
「料理に使うお金を、この街のために使ってはどうですか」
目の前の料理から目をそらし、私は伯爵に進言する。カイゼルは、伯爵は魔族だと言った。ここでの下手な会話は、私の命にかかわる。
伯爵は、この街を任されている。街の全てを見たわけではないが、月明りの下で、一部を見ただけでも、街が荒廃していることは分かった。街の荒廃は、伯爵の評判を下げることになる。進言は、彼の損にならないはずだ。
「妻も同じことを言った。それで、水道やガスなどの生活環境を整えた」
伯爵は、姿絵を見て懐かしそうだ。
この街に水道とガスが整っているのは、伯爵夫人の助言があったからなのか。
なら、なぜ、街が荒廃しているのだ?
「しかし、その妻は……人間に命を奪われた」
伯爵は、眉間にしわを寄せ、怒りに震え、悔しそうに言う。
「人間は野獣だ!」
興奮して言い放った!
「シスター・フェンリルは、私の計画の不確定要素だ」
計画? 停車場で襲撃された際のことを言っているのか。
やはり、ワザと矢を身体で受けようと考えていたようだ。テロリストを一掃するのが、伯爵の計画なのだろう。
私がこの街に来た目的は、王国騎士兵襲撃の犯人を捕らえることだ。伯爵の計画を邪魔しに来たわけではない。
場合によっては、伯爵と手を組むこともあると思っていた。料理を目にするまでは……
「少し興奮してしまったようだ、赤ワインはどうかね」
伯爵が赤ワインを勧めてきた。年代物かもしれないが、私に銘柄の知識はない。
しかし、ボトルが結露するほど、ワインが冷やされている。これは、赤ワインは常温という私の常識から外れている。伯爵と、友達には、なれそうもない。
「聖職の身であり、アルコールは口にしません」
ウソだ。酒を飲み、肉だって食べる。自分を律して酒におぼれず、食べ物には感謝することで、聖職者は普通に生きている。
「そうか」
伯爵は、赤ワインを自分のグラスにそそいだ。ワインの色を見て、香りをかぎ、口に含んで、基本どおりにテイスティングした。
ここに、人の気配は無いが、血の匂いが広がった。
「よく冷えている。これが、新鮮な人間の血だとしたら……冗談だよ、怖い顔をするな」
「昔は生き血を吸う魔族もいたが、今は出来の良い血液錠剤がある」
私は硬い表情を崩していないが、一方の伯爵は余裕の顔だ。
次の更新予定
シスター・フェンリルは執行聖女 甘い秋空 @Amai-Akisora
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