第Ⅶ話 悪い予感


「バフ。私は、これからフェンリル様と聖堂へ戻ります。その前に、次の作戦を打ち合わせましょう」

 そう言って、ライザは、バフと部屋を出ていった。

 テロリストの地下アジトには、いくつかの部屋があるようだ。


《この街の闇に、踏み込んでしまったな。もう、戻れないぞ》

 私の左手首、包帯で隠している宝石の声だ。


 街は狂った警備兵に制圧されているが、駅馬車が運行している今、明日の朝一番に、街の外に出ることは出来る。

 国王の命令で、私とは別に潜入したであろう仲間とは、連絡が取れない。潜入していないか、消されたか。


《テロリスト側の情報が、伯爵側に洩れている可能性も考えろ》

 そうか、私と連絡を取ることが、別の潜入者にとってリスクなのか。




《さっき、屋敷で伯爵を倒せたか?》

 伯爵が王国騎士兵襲撃の黒幕だという証拠はない。執行の魔法陣を発現させることは、できなかっただろう。


「百二十%では、少し足りなかった……伯爵は強い」

 相手は再生能力のある魔族だ。長期戦になれば、ジリ貧で、私が……いや、最後に立っているのは私だ。


 ◇


「フェンリル様、こちらです」

 夜の街、月明りの中、私はライザの後ろをついていく。

 彼女は、隠された地下通路と、建物の隙間を使って、聖堂へと向かう。


「静かに……」

 通りで備兵がパトロールしていた。私とテロリストを探しているようだが、灯りを手にしているので、容易に発見し回避できる。




「悪い予感がする」

 私のつぶやきに、ライザも首を小さくうなずいた。

 司教と女性職員を、街の外へ逃がすべきだ。今の伯爵は、この街の人間全てを、妻のカタキとして見ている。


 ◇


 地下通路に入り、通路の天井にある隠し戸を少し押し開けた。そこは小さな部屋だった。誰もいない事を確認し、床に隠された片開きの戸から、室内に出る。


「ここは聖堂、私の部屋です」

 灯りを点けたら、ライザの部屋も小さく、ベッドだけだった。


「司教様を呼んできます」

 ライザは司教の部屋へと向かった。




 ◇


「司教様、ここの女性職員と一緒に、朝一の駅馬車で街を出て下さい」

 私から司教へお願いした。


「ベルゼ伯爵はとても危険な状況です。街の人間全てに憎悪しています」

 状況をかいつまんで説明する。


「まさか、私は、王国から派遣された職員ですよ」

 司教は、信じられないという表情だ。王国の職員は法で護られており、特別な貿易の街であっても、職員に何かあれば、王国の騎士団が乗り出してくる。


「伯爵は、王国に戦争をしかける覚悟です」




「あなたたちも、一緒に街の外に出るのですか?」

 司教は、もちろん一緒だよねという顔である。


「私は残って、伯爵と戦います」

 ライザは残る決意だ。彼女は困っている人を見捨てられない性格だ。


「私も残る。助けてもらった借りがある」

 私も決意を示した。本当は、騎士兵襲撃の犯人を見つけるためなのだが。


 ん? 廊下で、ドカドカと無粋な足音が近づいてきている。私兵が来た。

 予想よりも早い。ライザがテロリストだと知られたのか?

「ここは、逃げましょう」

 ライザが、床の隠し戸を開けた。




「私は残ります」

 司教は、女性職員を置いて逃げれないと言う。胸のロケットペンダントを握りしめ、祈るような面持ちだ。ロケットの中に、微笑ましい家族写真が見えた。

 無粋な足音が近い、もう時間がない。


「必ず助けます」

 ライザが、司教に誓い、床の隠し戸に潜り、戸を閉めた。


――バン!

 激しいドアの音、部屋に私兵が入ってきた。

 私たちは、ゆっくりと、音をたてないように地下通路に潜む。


「シスターをどこに隠した!」

 むさ苦しい男の怒鳴り声が聞こえる。

 シスターとはライザのことか? いや、私か?


「なんだぁ、この床のトビラは?」

 マズい! むさ苦しい男が、隠し戸を見つけた。


「なにをしている、帰還命令が出ているぞ!」

 この声は、カイゼルだ。この男の足音は静かなので、聞き取るのが難しい。


「うるせえな、いい所なんだよ」

 むさ苦しい男の不満そうな声……警備兵はカイゼルの命令に従っていたが、私兵はカイゼルの部下ではないのか、素直に従わない。


「雇い主である伯爵の命令には、すぐに従え!」

 カイゼルと私兵が言い争う声を背に、私たちは地下通路を急ぐ……



 ◇


 建物の隙間から通りを見ると、街をパトロールしていた警備兵は、さっきよりも少なくなっている。どこかに集結しているのだろうか。


「司教を投獄したらしいぞ」

「凶悪犯を匿った罪らしいな」

 警備兵たちの会話が聞こえてきた。


「俺たちの警備署庁舎へ連れて行ったようだ」

「司教なのに地下へ投獄か」

 彼らの会話を信じれば、司教は拘束されたようだが、私たちをおびき寄せるワナかもしれない。


 先を行くライザの背中が、熱くなったような気がした。



 ◇


「着きました、フェンリル様」

 ライザは、月明りの下、私を先導しつつ、来たときとは別のルートで、テロリストのアジトへ戻った。


「リーダー、伯爵が戒厳令を敷いた」

 扉を開けると、アジトにはテロ仲間がいて、リーダーであるライザに、状況の変化を報告してきた。


「どういうこと、また、騎士兵と奥様が亡くなった時のような事件が起きたの?」

 ライザは驚く。

 この一言で、騎士兵と奥様が亡くなった事件は、テロリストの仕業ではなかったことが確定した。

 そもそも、テロリスト集団は、事件の後に結成されたらしい。


「伯爵が屋敷で襲われた……」

「それくらいのことで?」

 ライザはそう言うが、屋敷で襲われることは相当な事件だ。まぁ、伯爵は停車場でも襲撃を受けていたが。




「……襲った犯人は、王都から来たシスターだと」

「え!」

 ライザは、私を見る。


「私も王都から来たシスターですが……たぶん」

 彼女は口ごもった。


「そうですね、襲った犯人は私……シスター・フェンリルだと、伯爵は、そう言っているのでしょ?」

 ライザの言葉を遮り、王都から来たシスターは、私のほうなのかときく。

 テロ仲間は、小さくうなずいた。


「かまいません、伯爵の挑戦状、この私が受けて立ちます」

 私は、ニヤリと笑った。




「戒厳令は、俺たちのような狂わなかった人間を、あぶり出すためだ」

 テロ仲間が語り出した。


 見た目は白髪交じりのおじさんだが、目には光がある。


「街のほとんどの人間は狂ってしまった。伯爵が家を出るなと命令したら、命が尽きようと、家を出ない」

 そうか……街の人間は、伯爵の人造DNAが混じった水道水を飲み、絶対的に服従する人間になってしまったのか。


「でも、狂わなかった人間は、自分が生きるため、家族の命をつなぐため、家の外に出て、食べ物を捜す……そこを捕らえる作戦なのだろう」

 白髪交じりのおじさんは、なかなか良い推理を話してくれた。




 ◇


「明日、司教様を助け出します」

 ライザが宣言した。テロリストの幹部らしき数名が、リーダーである彼女の言葉に、うなずく。


「場所は、警備兵の警備署庁舎……これまで以上に、危険な作戦です」

 ライザの声が、緊張でかすれている。

 反対の声は、誰一人上げない。覚悟が出来ていると、言っているようだ。


「作戦は、まず、バフの部隊が、伯爵の屋敷を攻撃する……これは、陽動です」

「警備兵の目が屋敷側に向いた時を狙い、私の部隊が、警備署庁舎の地下を襲撃します」

 ライザが、作戦を説明する……


 ◇


「今日は、月が奇麗だな」

 私は、一人で外に出た。月の位置は高く、明日か明後日に満月になるだろう。

 周囲は静かだ。ここは、街のどの辺なんだろうか。




《王国は、何か策を考えているはずだ。数日、待つべきだ》

 左手首の宝石が提案してきた。

 だろうな……あの正妃なら、私をオトリにして、いつでも突撃できるように、街の近くに騎士団を待機させていることだろう。

 今回の私への依頼には、たぶん、裏がある。


「その数日で……司教の命があると思うか?」

《一人の命よりも、大勢の命のほうが重い》

 それは宝石の考えだ。


「数が違っても、命の重さは同じだ」

《人間とは、不思議な生き物だ》

 不思議かもな……


「そうだな……」

 人の命の重さなんて、未だに答えの出ない問題だ。

 しかし、私の答えは、いつも同じ……どちらも助ける。




 たぶん、王国は、この街の近くまで進軍し、攻撃の機会を狙っているのだろう。


 だが、伯爵の持つ切り札の正体がわからない。黒のクイーンとは何だ?

 テロリストのバフの言うには、何らかの武器のようだが……あの男は信頼できるのか?


「ん? 血の匂いだ」

 風に乗って、新鮮な血の匂いがしてきた。


 風上のほうへと、匂いをたどっていく……




 ◇


 ここは……さっきまでいた聖堂だ。匂いをたどって、聖堂の前に出た。


 中から、強い血の匂いがする。近くに警備兵はいない。これは、どういうことだ?


「うっ!」

 聖堂内に入ると、女性職員と思われる体が、床に並べられていた。司教の姿はない。

 誰かが、彼女を解体した……


「記憶を読めるか?」

 冷静に言ったつもりだったが、私の声のトーンが低く、荒い。




《まだ新しいから読めるが、被害者の記憶は……辛いぞ、いいのか?》

 宝石が読み込んだ記憶は、私にも流れ込んでくる。


「かまわない、私には全てを背負う責務がある」

 判決には、被害者の痛みを加味する。


《ほらみろ、正義感を丸出しにするからだ》

 命の灯が消える瞬間を、私は疑似体験し、無念さに苦しみ悶えた。


「まだ、シスターがいたのか」

 この下衆な声は……私兵、胸の赤い字はⅤ……いや、血で線が足されてⅥになっている。




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