電気猫

 ソウナの住む超高層メガマンションは、ブンキョーにあった。

 地上百二十階建ての八十階。

 本来なら、シブヤかスギナミ──出来る限り、ヤヤ・ヤマ事務所オフィスから遠い場所に住みたかったのだが、それは抗争ヤクザ・ウォーのときに問題だからと親分に止められていた。


 ソウナが唯一ここで気に入っているのは、その高さ故に「TAKIDA」の飛行車エアカーを全て下に見られることだ。以前住んでいた物件はちょうど車の飛行経路にあり、全く気が休まらなかった。


 一階のホールでスキャニングをし、全ての安全を確認したあと乗り込んだエレベーター。

 無限に続くかのような上昇の中、ソウナは眩暈を覚えた。


 ──


 あえて身体の制御を止め、なんとか卒倒を避けた。


 高度情報処理オーバーマインドが可能になったウイルス感染──


 その後から、度々悩まされている症状だった。

 エレベーターの窓を、隣接する別のビルが流れて行く。


 けれども、ソウナの視界には違うものが見えていた。

 ハックされたときのようなノイズ──そして、溶けるように流れ込むマトリクス。


 ──いや、これは仮想現実バーチャルではない。


 

 どこかの街を行く、リアルタイムの映像ヴィジョンだ。


 その人物は走っていた。


 息遣いと心拍がデータとなって伝わり、激しい恐怖と生存への執着がアドレナリン過剰を引き起こす。


 逃げている。何かに追われている。

 薄暗く崩れかかった路地──


 ここは一体、どこなのだろうか──?


 細かな飛沫が弾けるように、全てのヴィジョンが消え去った。

 ソウナは制御を戻したが、激しい吐き気に襲われた。


 よろめくようにエレベーターを出る。

 自宅のドアを何とか開けたが、そのまま中へと倒れ込んでしまった。



「にゃーん」


 しばらく玄関の床に伏していると、キジローが来た。

 自分の頭をソウナの頭に擦り付けながら、甘えた声を出す。


「──お願い。薬液注射器インジェクタを持って来て」


「にゃー」

 キジローは駆け出した。やがて、口に三センチ程度の円筒を咥えて戻って来た。

 ソウナは首元のソケットに、それを差し込んだ。


 緩やかに吐き気は治まり、眩暈も遠退いて行く。


 キジローは電気猫エレクトリック・キャットだった。

 あらゆる動物の遺伝子が権利化され、自由な閲覧は主に博物館の展示物だけになった昨今、電気で動かない愛玩動物ペットは居ない。


 それでも、ソウナはキジローが好きだった。

 報酬としてデータで作った魚を与えてやると、喉を鳴らして喜んだ。

 ソウナは気分が完全に戻るまで、しばらく床に伏したままキジローとじゃれ合った。



「──ソウナか? 俺だ。お前だけに頼みがある」


 シャワーを浴びてスッキリし、ソファの上でキジローを撫でていると、ヤヤ・ヤマから通信が来た。

 こちらの精神の奥深く、心の襞まで探ろうとするかのような暗号通信だった。


「──なあ、ソウナ? 俺はお前の事を一番信用してる。アボシの態度、腹が立ったよなあ? だから、お前だけに頼むんだ。──解るだろう?」


 もし肉体の交わりが性交セックスなら、記憶領域の深い部分まで触れ合うのは精神の性交セックスだ。


 この男はデリカシーなく、──いや、あえて最深部まで繋がろうとする。


 勿論、ソウナの防壁は砕けない。

 この男に対する、激しい嫌悪はバレてはいない。


 ヤヤ・ヤマは、ソウナに亡くなった母の面影を見ているのだろう。


 あるいは──その代用品を求めているのかも知れなかった。



「──何でもネコヅカをブッ殺したのは、同じ組のモンって話だ。俺の唯一の不安は、そんな危険な奴が野放しになってるって事だ。何で揉めたのか知らねえが、残党は全て消しておきたい。──なあ解るだろ、ソウナ? 俺の可愛いソウナ──」


「了解しました──」


 そういって通信を打ち切って、ソウナはキジローがもがいているのに気が付いた。

 知らず知らずの内に力が入っていたらしい。


「ああ、ごめん! ごめんね?」


 放してやったキジローは、恐れるように逃げ去った。

 以前なら規則正しい思考ルーチンによって、すぐさま甘えるような態度を取ったろう。


 あのウイルス感染の後、ソウナのマインドに変化があったように、キジローもソウナと繋がる過程で変化が起きているようだった。


 ソウナは、意識に溶け込んで来た映像の分析を開始した。

 親分の仕事もいずれやらねばならないが、今はあの人物だ。


 ウイルスがそれを見せたがっている──そんな直感インスピレーションがソウナを動かしていた。


 映像に映っていたのは超高層建築メガストラクチャの真下、下層下町アンダーダウンタウンであるのは間違いない。


 問題は、どのダウンタウンかだが──


 画像分析に引っ掛かったのは、情報消去戦争データロス・ウォー前の道路標識だった。

 ノイズにまみれた情報を綺麗にすると──と読み取れた。


「ごめんね、キジロー? ちょっと行って来るね」


 ソウナは幾つもの魚を置くと、ガンラックから「OSAFUNE」のMBマルチ・バレルピストルを取り出し、マンションを出た。

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