キャットウォーク

 クラブでの大立ち回りから二時間後──


 シノの姿はトシマ・オーツカの巨大な武家屋敷サムライ・ハウスにあった。

 辺りを超高層建築メガ・ストラクチャが埋める中、その一帯は緑も多く、立派な日本庭園カレ・サンスイと、母屋の他に幾つもの離れが連なっている。それはヤクザ・マスター、「バンサク・ネコヅカ」の私邸であり、彼の財力と、古式ゆかしい任侠道ニンキョー・ウェイを象徴するものだった。


 シノは今、どこまでも続くような畳敷きタタミ・フロアの一室に正座セーザし、バンサク・ネコヅカに対面していた。

 ネコヅカは先の戦争で脚を怪我し、上手く正座セーザできる状態ではなかったが、それでも極力サイボーグ化を避けていた。年齢から来る脳細胞劣化には逆らえず、デバイスのインプラントは行っていたが、基本的に加えても良いカスタムは「入れ墨ガマン・タトゥーだけ」というのが、ネコヅカの信条であるらしかった。


「ヤヤ・ヤマはやり過ぎた。ケジメを教えなくてはならない。あるいは刺し違えることになったとしても──」

 ネコヅカは、ときおり痛むらしい脚を摩りながらそう言った。


 ネコヅカは元々、臨時政府の副首相まで務めた政治家、モチウジ・アシカガと懇意であった。実に壊滅的な被害を出した情報消去戦争データロス・ウォーの後、強力なコネクションを背景にブラックマーケットの実権を握ったネコヅカだったが、モチウジが失脚すると少しずつ、その勢力を失いつつあった。


 特に、彼の兄弟分に当たるヤクザ・マスター「ヒキロク・ヤヤ・ヤマ」は、あらゆる手段でそのシマを削り取っていた。政治と法律、そして最後に限定的な暴力をチラつかせるという、昨今の巨大企業メガ・コーポのやり口を周到に真似ていた。


 時代の波を乗りこなすという意味で、ヤヤ・ヤマはやり手である。そしてネコヅカは、少しずつ溺れつつあるのかも知れなかった。その予感は、ネコヅカ組の中で汚い仕事を担当するシノのような人間にも明白であった。


 物言わぬシノの表情に、ネコヅカはそれを感じ取ったのかも知れない。

「なあに、心配するこたあない。儂にはまだ、後ろ盾があるんだ──」

 言うと、ずいぶん長い時間をかけて立ち上がり、床の間トコノーマに据え置かれた一本の刀剣ブレイドを手に取った。


「これは儂が、亡きモチウジ副首相から預かった名刀・村雨丸シャープブレイド・ムラサメマルだ。元々はあの『SUKEHIRO』が、売るでなく自分の為に鍛えた一振りだと聞く。抜けば内蔵された冷媒の作用により、露と冷気を発生させる仕掛けも施されておる。モチウジ副首相のご子息、ナリウジ氏と儂を繋ぐ接点だ。彼が政界進出すれば、必ずや再び儂の時代が来る! そうなれば、お前を本部長ヤクザ・チーフの立場に上げてやることもできるだろう。かつてのように、ニュー・トーキュー全域を治める日も近いのだ!」


 その言葉に、シノは激しい虚しさを覚えた。

 未だ若かった時分に、親子の盃サケ・カップ・イニシエーションを交わしたときのネコヅカは、老練で、自信と威厳に満ち溢れた男であった。それがたった数年で、ここまで変わってしまうとは──


 シノは、根拠なき希望にすがるネコヅカを、寂しい気持ちで眺めた。

 とはいえ、自分から親分を裏切ることはないだろうとも思った。それは忠誠心ロイヤリティでもなければ、義理オブリゲーションでもなく、また仁徳グッドネスの為でもなかった。


 信用できる者とだけ組む──いうなれば、純粋なる処世術キャットウォークの為であった。


「──お前、眼は大丈夫か?」

 ふいに我に返ったように、ネコヅカが言った。さっきからマニュアルとオートの切り替えを試していたのを、見抜かれてしまったようだった。

「ちょっと、問題があるかも。大した問題じゃないけれど──」

「うちの技術医師テック・ドクターに診てもらえ。近いうち、本格的な抗争ヤクザ・ウォーを仕掛ける。ヤヤ・ヤマは折れないだろうからな。──その時はよろしく頼むぞ、シノ?」


 シノは正座セーザの格好からする最敬礼ドゲザをし、ネコヅカの私邸を後にした。

 向かったのは、技術医師テック・ドクター、ヨシローのもとである。


 「サイバー・ホスピタル 四白」は、トシマ・モノレール駅の近隣にあり、地上五十階建てのテナントの二十階に位置していた。

 シノが自動ドアをくぐると、狭いコンクリートの院内に人の姿はなく、動くものはただ「SATOMI」の新製品のCMのみ。ヤクザと関わっている病院にありがちな、静けさと謎の正体不明感。どうやって経営が成立しているのか解らない、怪しさだけが漂っていた。


 受付のデータ認証を終えると、診察室の扉は独りでに開き、合成アナウンスが入室を促す。

 室内に座っていたのは、これまた正体不明感のある老人。

 最低限の強化骨格エンハンスド・スケルトンと、細胞注射メト・インジェクションという、ひと昔前の技術で生き長らえる医療仙人メディカル・センニン

 見ようによっては五十歳にも見えるし、百歳を超えているような印象も受ける。

 彼こそが院長のヨシローであり、ネコヅカに言わせれば、腐れ縁の昔馴染トモダチであるという。


 もっとも、シノがこの老人を信用していないのは、「SATOMI」を取り付けた張本人なだけではない。かつては巨大企業メガ・コーポの研究者で、最先端の危ない研究を繰り返し、挙句に追放された経緯を知っていたからである。


親分ヤクザ・マスターから話は聞いとる。おっと、私を恨むなよ? 不良品をつかまされて、こちらも迷惑しているのだから──」


 いかにも責任はないといった様子で、ヨシローは診察もそこそこに、シノを手術室へと招き入れる。 

「今度こそ、『ANZAI』なんでしょうね?」

 そう言いながら手術台に座ると、ヨシローはわざと装着前の部品をシノに近づけ、

「お前さんの言ったとおりの品だ。探すのに苦労したんだぞ?」と、眼球アイ・ボールに刻印されたシリアルを殊更に強調した。

 

 人間性は信用ならないが、「ANZAI」なら信用できる。

 シノは安心して、身体制御系を手放した。


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