第2話何度目

 辺りからは鉄臭い匂いがした。

 赤黒く灼けた大地に倒れ伏す、無数の肉塊。

 辛うじて人の形を保っているものもあれば、そうでないものもある。

 数多の死の狭間に男は立ち尽くしていた。


「……だ、誰か……ッ!」


 その場を包んでいたのは静寂だった。 

 目を凝らすが、ぴくりと動く人影すら見えず、耳を澄ましても、吐息の漏れる音さえも聞こえはしない。

 血の海の中を歩きながら、積み上げられた屍の中に、男は一つの生を探すが見つかることはない。


「……みんな……ッ!」


 充満する死の中に、見知った顔が無数にあった。

 同じ釜の飯を食んだ、ここまで旅を共にした仲間達。


「……勇者様」 


 そして、選ばれし世界を救う男は無惨に、その右腕を引きちぎられた亡骸となって地面に横たわっていた。

 突きつけられる絶望。

 わらわらと、力を失い崩れそうな体を、輝く紋章の宿る右手に持った杖で支える。

 ガタガタと、震える男の前に、更なる黒い絶望が舞い降りた。


「残ったのはお前だけのようだな」


 そう呟く、翼を生やした人の形をした獣のような存在の額には、一対の牡牛のような角が生えていた。

 その言葉一つ一つが破壊を撒き散らすような存在感を放っている。


「……これほどまでの強さなのか……」


「──貴様らの抵抗は見ていて滑稽でさえあったわ。はははッ!」


 笑い声は低く、しかし同時に高く、重厚で、耳をつんざくように響いた。

 その紅い瞳が男を見下ろし、冷笑を浮かべている。

 魔の王に相応しい、その力と姿。

 それと対をなし、それを唯一倒せる存在は砕け散った聖剣を握る腕すら失い地面に倒れ伏していた。


 そして、彼を庇うように倒れ伏す少女の姿。


「エリザ……」


 事切れた少女の名を呼びながら男は歯を食いしばる。

 かつては婚約者だった少女の無惨な姿。

 幸いなことなのか、否かは定かではないが、彼女はまだ人の形を保っていた。

 その美しい髪も顔も薄汚れ、地面に赤い水溜りを作り横たわっている。

 右の手のひらに輝く紋章は光を失い、その胸が上下することもない。


「今代の剣聖、そして聖騎士はそれなりだったようだが……所詮はこんなものか」


 そう言って足げにされる大男の姿。

 脳裏に焼きつく、強大な魔物の軍勢にも引くこともなかったその勇姿。

 だが、その逞しい肉体も、精悍な体も、今は微動だにすることもなかった。


「ガイウス……」


 男は聖騎士と呼ばれた者の名を呼んだ。

 世界の希望の光を呼ばれた仲間達は一人を残して全て息途絶えていた。

 蒼白に染まる男を見て魔王と呼ばれる存在はただ嗤う。


 そして、

 

「……しかし、問題なのは勇者だ……この我も舐められたものだ……よもやそのような紛い物に率いられて、我の前に姿を現そうとはな……」


 呆れたように言う黒い獣。


「……紛い物だと?」


 耳をぴくりと動かす男。


「……ああ、そうだとも。よりにもよって、この勇者は偽物ではないか……ッ!」


「……な、んだと?」


「……まさか気づいていなかったとでもいうのか? 聖剣がこんなに脆いものだと?」


「それは……」


 言葉に詰まる男。


「賢者の名を冠する貴様が……か?」


 訝しむ様子の黒い獣は問いかける。


「……ッ!」


「その顔……薄々勘付いていたと言うところか? ……なんだ、一体。全く、滑稽なものだな。これでは、そこでくたばっている剣聖も。道なかばで死んだ聖女も。この聖騎士も……全ては無駄死にでしかなかったようだな……ふふ。あはは、あははははッ!」


 耳をつんざくような高笑いが響く。


「……」


「なぁ……賢者? 間抜けなお前のせいで皆、死んだぞ? お前の仲間は皆死んだぞ? 間抜けなお前のせいでな? ふふ……あはははッ!」


 小馬鹿にしたように言う魔王と呼ばれる存在。


(やっぱりそうだったのか……、やっぱり、この勇者は偽物……僕のせいだ……僕がちゃんと気づいていれば……ッ! じゃあ、本物の勇者様は……)


 男は魔王の言葉を否定しようとは思わなかった。

 あの軽薄な態度や行動は勇者に相応しいとは思えなかった。

 そして、その実力も。

 そして、何より決して輝くことのない、その紋章。


「どうする賢者? お前たちの旅は全て無駄だったようだが……全てを投げ出して、お前一人だけ逃げ出すか? 我は一向に構わんぞ?」


「……まだだ……」


「ほぅ……抗うか?」


 立ち上がる男を見て魔王は興味深そうな視線を向ける。


「……お前を倒さなければ、この世界は……」


「まぁいい。それでいい。抗うがいい。抗い続けるがいい、その先に待つものが本当の絶望だという事を知るのには、まだ早いようだ……」


 魔王の声は冷たく響く。

 その背後には無数の魔物たちの群れが控えていた。

 辺りを取り囲む漆黒の闇が押し寄せ、残されたわずかな光をも飲み込もうとしていた。

 だが、男は手にした杖で力なき体を何とか支え、魔王を睨みつける。


(僕は、どうすればいい……)


 絶望的な状況の中、その瞳に希望を探す男。

 そんな彼の姿を見て、魔王と呼ばれる存在は、辺りを見回すと少しだけ肩を竦めて問いかけた。


「……なぁ、時に、賢者よ……」


「……なんだ?」


「貴様、今は何度目だ?」


「何度目だと?」


 魔王の言葉に、眉を顰める男。


「ああ、そうだ。お前は何度目でここまで辿り着いたのだ?」


「……?」


「……おやおや、質問の意味すら分からないのか?」


「……一体、何を?」


「……まさか、初めてでここまで来たのか? ならば……いや……これは、貴様が恐ろしく有能だったと言うことでもあるのか? 聖女も居らず、あのような紛い物に率いられてここまで来るとは……」


 少しだけ感心したような表情の魔王。


「……何を言っているんだ?」


「分からぬなら、それでいい……いずれわかる、嫌というほどにな」


 魔王が嘲笑と共に言い放つ。

 そして、その手のひらに生まれる巨大な火球。


「……くそ」


 その言葉を理解することも、逃げ出すこともできず、男は毒気づく。

 目の前に広がる絶望に、抗う術はなかった。


「……ではな、さらばだ。いや、また再び相見えようぞ……アルデバランの賢者よ」


 目の前に迫る死と共に、遠くなっていく意識の感覚と、ゆっくりと時間の流れが静止していくのを男は感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無能の烙印と時の魔術師 @revival21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ