無能の烙印と時の魔術師

@revival21

第1話既視感

「クロノ、お前をこのアルデバラン家から追放する」


 重々しい声が書斎に響き渡る。

 高い天井と、硬い石造りの壁が、その言葉の重みを幾重にも増幅させるように突きつけているような気がした。


(クラクラする……)


 僕の意識は空白に支配されていた。

 体から血の気が弾き、無力に立ち尽くす自分。

 いつかはこんな日が来ることは、分かっていた。

 今の僕は殆ど魔法の使えない、落ちこぼれ。

 この家を継ぐ資格もなければ、自らの役割も果たすこともできはしない。

 だけど、実の父親から告げられたその言葉。

 生まれ育った、我が家を追い出される。

 僕の17年間の人生の中で最も衝撃的な出来事の筈だ。


 だけど……僕の口から漏れ出たのは意外な言葉だった。


「これは……今は……何度目だ?」


 まるで白昼夢を見ているみたいに、ふわふわと彷徨う意識。

 なぜか、今ここに自分がいる事に現実感がなかった。

 僕は、思わず自分の手のひらを見つめていた。

 白く細長い指先。少し血管の浮いている手の甲。

 見慣れている筈のその手は何故か、少しだけ小さく見えた気がした。


「何度目だと?」


 前を向くと、そこには、夜を纏うような漆黒の黒髪の背の高い男がいた。

 父イオス・アルデバラン。

 このレグルス王国における、大貴族。代々賢者を輩出してきた、アルデバラン公爵の現党首。


「何度目?」


「……お前が今そう言ったのだろう?」


 僕が聞き返すと父さんは不思議そうにそう言った。


「僕が?」


「……ああ」


 なんでだろう。言ったような気もする。

 でも、言っていないような気もする。

 もし仮に、そう言ったとして、なんで、事を僕は聞いたんだろう?

 何度目? どんな意味だ?

 一体、何が、何度目なんだ?


 様々な疑問が浮かぶが、僕の沈黙に、気づけば部屋の空気が凍りついていた。

 父の鷹のように鋭い視線が僕を両目を貫く。

 その冷徹な蒼い瞳が、言い知れぬ疑念を携えていた。

 僕がショックでおかしくなったとでも思ったのだろうか?


「だが、まぁいい」


 父さんは、一瞬だけ困惑の色を深めたものの、すぐにその感情を振り払ったかのように表情を引き締めた。

 いつもの無表情な顔を取り戻すと、深く息を吐き、静かに首を振った。


「この決定は変わらん。理由は分かっているな?」


「……分かっているさ」


「お前にはもうアルデバラン家の長子としての役割を果たせないからな」


 父の声には、嘆きの色など微塵もなかった。

 ただ淡々と、冷たく運命を告げる言葉。


「……そうだね」


 歯を食いしばり、拳を握りしめて、僕は父さんの言葉を受け入れた。

 必死に努力してきたさ。

 だけど、どうしようもなかったんだ。

 そう、どうしようもなかったんだ。

 僕だって諦めたくなかった。

 僕はもう抗うことに疲れたんだ。


「お前が魔術を碌に使えなくなってから、もう二年になる。かつては魔術の申し子と言われ。あれほどの才を持つお前が賢者となり勇者様に同行するのなら、この世界も安泰だと。この家も安泰だと。だが……今では……初級魔法程度しか使えぬ始末……ッ!」


「……ッ!」


 僕は唇を噛み締めた。


「伝承によると、今年は魔王が復活する年だ。アルデバラン家の長男には勇者に同行する賢者の役割が与えられる。……これは、この国の——この世界の存続に関わるような役割だ———」


 僕は目を逸らさず、父さんを見つめ返した。

 分かっている。父さんの言葉は正しい事を。

 伝承によると代々魔王が復活する年には勇者に同行する賢者の役割がアルデバラン家長男に与えられていた。

 だけど、本当は少し半信半疑だった。

 だって、それは数百年に一度の出来事。

 本当に魔王なんてものが復活するなんて怪しいものだって。


 だけど、

 

「知っての通り、レグルス王家のアークライト王子の右手に勇者の聖紋があらわれた……おそらく、この家のものにも賢者の聖紋が現れる……よもや魔術の使えなくなったお前に聖印が現れるとは信じ難いが……」


 この国中が今はその話題で持ちきりだ。

 伝承通り、王家から勇者が選ばれた。

 そして、直に聖女も、聖騎士も、剣聖も、そして、賢者も選ばれる。

 魔王を倒すために必要な勇者の仲間たちだ。

 伝承では、賢者はアルデバラン家の長子から選ばれる。

 父さんは僕を追放して賢者の役割を弟に引き継がせようというんだろう。

 そんな時、僕と父の間に割り込む声があった。


「でも……だからって、兄さんをこの家から追い出すなんて……ッ!」


「ボッシュ……」


 振り返ると、そこにいたのは二つ年下の弟。

 その表情と、その声には抑えきれない憤りが表れていた。 


「こんなのは、間違っていますよ。父さん。兄さんを追い出したところで、俺に聖印が宿るかどうかなんて……わからないじゃないですか……ッ! 兄さんだって、もしかしたら、また昔みたいに……ッ!」


「いいんだ……ボッシュ」


「でも……兄さんッ!」


「僕みたいな出来損ないじゃなくて、ボッシュが家を継ぐのが正しいんだ……父さんの言っていることは正しいんだよ」


「……出来損ないだなんて……ッ!」


 悲しそうな表情を浮かべるボッシュ。

 父さんの方を見ると、父さんは、その表情を隠すように僕達に背を向けた。


「……ああ、そうだ。ボッシュには、今のお前をはるかに凌ぐ魔術の力がある。この家の未来を……世界を背負う者として、お前の代わりにアルデバランの名を継ぐのに相応しいのだ。……お前はその礎になるべきだ、クロノ」


「父さん……ッ」


「……そうだね」


 納得できる理屈だ。

 だけど、ボッシュの表情を見ていて僕は言葉に詰まった。

 彼に、何を言えばいいのだろう?

 父に返す言葉も、弟にかける言葉も僕は失っていた。


「……残念だ。お前には期待していた。……だが、お前に与えられる時間は、すでに尽きたのだ」


 父は冷たく告げた。

 その声は、過去に失ったものを惜しむ父親の声ではなかった。

 振り返った父の顔は、未来を選別する厳格な貴族の顔だった。


「クロノ……お前は、アルデバラン家の未来を担う者ではない」


「……はい」


「……去れ、クロノ」


 イオスは静かに繰り返す。

 その声は少しだけ震えているようにも思えた。

 僕は、ぎゅっと拳を握りしめ、そして深く頭を垂れると、ゆっくりと踵を返した。


「……さよなら、父上」


 僕は小さな声で呟くと、冷たい廊下へと足を踏み出した。


「待ってよ……兄さんッ!」


 そう言って最後に僕を呼び止める弟の声だけが、寂しく響いた。

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