37 月明かり

 花柳と同居を始めて、俺の家に凄まじい変化が起きた。

 まずは家がすごく綺麗になって、冷蔵庫の中に食材や食べ物などがたくさん入っている。それに洗濯もやってくれる。そんなことしなくてもいいって言ってあげても、「私がやりたいから!」って言ってくれるから止められなかった。


 もちろん、俺も手伝うけど……、花柳のやり方と違うから怒られた。

 まあ、俺は適当だからさ。

 そして花柳は今の生活がすごく楽しいって、ずっと平穏な日常を過ごしたかったって、夕飯を食べながらそう話してくれた。俺には当たり前の日常だけど、花柳にはこんなことすら許されなかったみたいだ。


 なんか、悲しくなる。


「今日もありがとうございます、美味しかったです」

「へへっ、いっぱい食べてくれるから私もすっごく楽しい!」

「小冬さんの料理は美味しいですから」

「うん! そういえば、今日も学校でいろんな人たちに声をかけられよね。本当に付き合ってるって……」

「なんか、すみません。俺のせいで……、やっぱり余計なことを言った気がします」

「ううん、そんなことないよ! 私、すっごく嬉しいから!」

「え、えっ? どうしてですか? 恋人ごっこなのに、これ……」

「恋人ごっこだとしても、大切にしてくれるのが分かるから……。それがすごく嬉しい。そして迷惑をかけてごめんね、私のせいでうるさかったよね? 学校で」

「いいえ、俺はあまり気にしません」


 ソファでコーヒーを飲みながら、しばらく花柳と休んでいた。

 そういえば、体のあざ……消えたのかな? あれから時間がけっこう経ったと思うけど、まず腕のところにあるあざは消えたように見える。なぜ、そんなことを気にしているのか分からないけど、花柳のことがすごく心配だった。


 よく分からない。なぜだろう。


「小冬さん」

「うん、千秋くん。どうしたの?」

「体のあざは全部消えたんですか?」

「見てないから分からないね。千秋くんが見てくれない? 腕のところにあるのは消えたけど、背中とかは見えないからね」

「あっ……。はい。じゃあ……」

「脱ぐからちょっと待ってて」

「い、いや! ぬ、脱ぐ必要は……」


 さりげなくTシャツを脱ぐ花柳がくるりと背を向ける。

 うん。時間がけっこうかかっちゃったけど、背中のあざはほとんど消えた。とはいえ、花柳はブラジャーを俺に見せても大丈夫なのか? いや、こうなったのは俺がいきなりあざのことを話したからだろ? 悪いことをしたような気がする。


「はい、ほとんど消えましたね」

「本当に? よかった……。背中……、綺麗になったのかな? 腰とか、お尻とか」

「お尻は見てませんよ。でも、背中は綺麗になりました」

「よかった……。実は……、千秋くんにこんな姿見せたくなかったから……。早くあざが消えてほしかったの」

「そうですか……。もう6月ですから、消えない方がおかしいと思います」

「ありがとう……。私のことを大切にしてくれて、本当にありがとう……」

「いいえ。俺も……小冬さんのおかげで毎日が楽しいです。ありがとうございます」

「ひひっ」


 女子のことはずっと苦手だった。

 嫌いってわけじゃないけど、女子と二人きりになると何を話せばいいのかよく分からないから。その距離感が難しかった。そして今まで俺に声をかけた女子たちは、なぜか俺に何かを要求しているように見えたからさ。俺を見る時の目とか、その振る舞いとか、ずっと俺に何かを求めていたからなるべく距離を取ることにしたんだ。


 その距離を縮めてくれたのが先輩だったけど、俺はまだ100%女子について理解していない。そして俺は一体花柳とどうなりたいんだろう。それはいまだによく分からない。家で二人きりの時間を過ごしても、俺にはよく分からないことだった。


 そして両手でココアを飲む花柳を見つめる。


「うん? どうしたの? 千秋くん」

「いいえ、なんでもないです」

「ジロジロこっち見てたでしょ? 言いたいことでもあるの?」

「ないです。あっ、そういえば……」

「うん?」

「学校であったことは気にしない方がいいです。たまに……、ひどいことを言われているような気がして。心配です。そして小林と健斗の話も無視してください」

「ああ、それならいいよ。私は友達いないからね、千秋くんさえいればそんな噂はどうでもいいの」

「そうですか」

「うん! でも、てっきりエッチなことを考えていると思ってたけど……、そうじゃなかったんだ」

「まったく……」

「前にも言ったけど……、千秋くんは私のことを大切にしてくれるから……いいの」


 何が「いいの」だ。

 もしかして、あれをやらないと俺が花柳のことを追い出すかもしれないと思っているのかな? 定期的にあの話をしているような気がする。


 でも、それは花柳を傷つけることだから俺にはできない。

 さりげなく花柳の頬をつねった。


「ううぅ———。いはいよ」

「俺は小冬さんのことを大切にするって決めました。そんな小冬さんを襲うようなことはしません」

「そ、そうなんだ……。もしかして、私に魅力ないのかな?」

「そんなことないですよ? 小冬さんはとても魅力的な女の子です。料理も美味しいし、家事もできるし、頭もいいし、完璧すぎてこの世に滅多にいない女の子だと思います」

「ううぅ……。きょ、今日は月が綺麗だね! 一緒に見よう!」


 うわぁ、今露骨に話題を逸らしたよな。花柳。


「へえ、綺麗だね! 千秋くん」

「はい。綺麗ですね……、小冬さん」


 ベランダでこっそり俺の手を握る花柳、もう慣れたのか。

 そのまま指を絡めてくる花柳だった。


「…………」


 ぼーっと夜空を眺める花柳、そして夜の風は寒いかもしれないからそっと毛布をかけてあげた。


「ありがと……、千秋くんも入る?」

「えっ? 俺は大丈…………はい。失礼します」

「こっち来て、ふふっ」

「はい……」

「普通の人たちはいつもこんな景色を見ているかもしれないけど、私は……誰かとこんな風に月を見るの初めてだからね。楽しいよ、そしてそばにいる人が千秋くんで嬉しい、楽しい!」

「また一緒に見ましょう。時間はまだたくさんありますから」

「うん!!!」


 繋いだ手は離さないまま、花柳のそばでじっとする俺だった。

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