牛の畏霊


「一応ですが、幽世へ渡り三十分内にて反応が見られぬ場合、一時的に幽世を閉鎖し別班を要請します」


と注意事項の様に三人に言う。

付け加えて。


「内部の人間は全て死亡扱いとして下さい、万が一生存していても畏霊を祓った後に救出をお願いします」


そう付け加えた。

何をするにしても。

畏霊を祓う事が最優先であるらしい。


「分かってますよ…何遍も同じ事を言わなくても、大丈夫ですって、だって…俺たちゃ、救えなかった命って奴を、経験してるんで」


八峡義弥が軽くそう言葉を吐き捨てる。

だがその言葉の意味は何よりも重かった。

八峡義弥がこの祓ヰ師として活動している間。

多くの任務をこなし。

多くの命の犠牲を目の当たりにした。

初めは〈こんな弱者側じゃなくて良かった〉とゲロを撒き散らしながら思う八峡も。

今になっては〈こんな弱者側じゃなくて良かった〉と冷静に判断する事が出来る。

けれどそうした死に逝く人の姿を見て。

昔よりも今の方が、少しだけ虚しく感じてしまう。

その感情は今は楽観視している永犬丸も。

絡繰機巧の調整をしている葦北も。

恐らく、この祓ヰ師と言う職に就いている全ての祓ヰ師が。

命を見殺しにした経験をして、そんな虚無の感情を憶えているのだろう。

その為か、彼ら祓ヰ師は。

人の命に軽薄で、生きていれば良しと考えていた。


「準備は良いか?」


八峡が二人に問う。


「あぁ、万全だ」


永犬丸統志郎がそう言って爪を出す。


「〈翁〉も万全だよ」


葦北静月もそう言って絡繰機巧〈翁〉を起動させた。


「んじゃ、俺も……〈悌冰〉」


八峡義弥も予めに式神を呼び出しておく。

準備は万端だった。


「それでは皆さんご武運を」


結界師がそう言った。

八峡義弥たちは、〈門〉を潜って幽世へと赴くのだった。


「牛か」


墨の様な泥濘を歩きながら八峡は言う。


「牛だね」


隣に立つ永犬丸が見上げながら言った。


「牛……なの?」


絡繰機巧の肩に乗る葦北が疑問形の様に言う。

彼らの前には丸太の様な棍棒を持つ二足歩行の黒牛が立ち尽くしている。


「畏霊だから、牛、では無くない?」


「畏霊でも牛みてーだから牛で良いだろ」


八峡義弥はそう言って式神を操る。

式神が地面に淀む泥濘に触れると、一気に凍結して牛の畏霊の行動を制限させた。


「まあ、判別はイヌ丸に任せるわ」


「了解した」


牛の畏霊が凍結した泥濘に足を突っ込んでいた。

だがその二足は異常に発達していて、力むと氷が割れる音と共に拘束が解ける。


「え、判別ってどうするの?」


絡繰機巧から降りた葦北は〈翁〉を指弦で自在に操る。

外殻武装状態でも、〈翁〉は摩擦操作で楽々と地面の上を走る事が出来た。


「もちろん食べるのさ」


永犬丸がそう笑みを浮かべて靴を脱ぎ捨てる。


「絶対にやめて!お腹壊すでしょ!!」


牛の畏霊と〈翁〉が接近する。

丸太の様な棍棒を大きく振り上げると〈翁〉に向けて振り下ろした。

葦北は指を器用に動かしてその攻撃を回避。

背後に回って背中に向けて刃を貫いた。


「ん!?うわ、硬ッ」


「八峡、トシくんッ」


「この畏霊、すっごい硬い!」


八峡義弥は新しい式神の為に術式を練る。

永犬丸統志郎は狼としての身体能力を発揮して一気に牛へ近づく。


「イヌ丸ッ!硬いんだとよ!!多分、コイツ筋張ってんだ!噛み切れるか!?」


牛の畏霊が背後に居る〈翁〉に向けて振り向き様に棍棒を振る。

それを予期してか葦北が指を動かして〈翁〉に回避行動を取らせた。


「心配ない、我が友よ!ボクの咬筋は常人の非では無い!」


後に気取られている合間に永犬丸が牛の畏霊の後ろに乗って首筋に五指の刃を滑らせた。

滑らかに切れるものの、皮膚が厚い為に深手に至らない。


「二人ッ!食べる話しないでッ!」


葦北がそう叫びながら〈翁〉を撤退させる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る