第6話
目が覚めると豪華な部屋にぽつんと一人、横になっていた。一緒に眠っていたリアンもおらず、とうに日は昇っている。
心地よい風が、私の髪を揺らす。ずっとこのまま過ごしたい欲求を抑えて、無理やり上体を起こす。
大きなベッドから降りて、寝室から出ると、豪奢な私室があった。品の良い調度品や絵画が、バランスよく配置されていて、部屋の中心に配置された机の上に、カットフルーツやパン、水差しが置かれている。
どうやら今日は、贅沢な朝食らしい。
着替えるのも面倒なので、そのまま席に座る。さっきは見えなかった、湯気が昇るスープもあり、美味しく頂いた。
気まぐれに、昨日入ってきた大きな扉のドアノブを捻ってみるが、開かない。どうやら鍵がかかっているようだった。
少し逡巡したあと、ノックする。
「誰かいませんか?」
耳をすませてみても、靴音一つ聞こえなかった。
普通、鍵は内側についているものなはず。王族の住む城は常識が当てはまらない様だった。
しかし困ってしまった。これでは店に戻ることができない。さらにここはリアンの私室であり、あらぬ噂がたってしまう。
無意識のうちに、部屋を歩き回っていた。
リアンが帰ってきたらそれとなく言ってみよう。一番無難な考えがまとまり、近くのソファーに腰掛けた。
何もすることがない。公爵家を出てからいつも仕事に追われてこんなにゆっくりできる時間はなかった。でもいざその時間ができると手持ち無沙汰で、退屈だった。
本でも読んで時間を潰そうと、本棚で視線を走らせる。リアンと趣味が合い、なかなかに興味深そうな本がずらりと並んでいた。
ふと、顔を上げると、ちょうど夕焼けの時間帯で、部屋は燃えるように赤く染まっていた。昼に起きたから時間が経つのが早く感じる。
同じ姿勢で読んでいたので、身体の節々が固まっていた。伸びをしてほぐす。
数冊程度なら集中して読めたけれど、ずっと同じ姿勢で読んでいたからか腰が痛くなってしまった。
一旦読書を中断して、本を仕舞う。
こんなに物音を立てていても人が来ないのは、リアンが人払いをさせているからかもしれない。
私としてはありがたいけれど。
そんなことを考えていた時、外に繋がる大きな扉が開いて、銀色の髪が見えた。
リアンが戻ってきたみたいだ。
彼はきょろきょろと何かを探す素振りを見せたあと振り返り、瞳が私を捉えると頬を緩めて微笑んだ。
「クレア、ただいま」
それはまるで、恋人に見せるような表情だった。少しだけ動悸が早くなる。
「……お疲れ様」
少しテンポが遅れた返事を返す。
「今日、何をしていた?」
リアンは気にする様子もなく、私に近づいた。
「遅くに起きたから、ほぼ睡眠と読書をしていたわ」
「そうか」
本当に他愛のない内容を、リアンはくすりと笑みをこぼして聞いていた。記憶のリアンと見違えるほど、性格が明るい。もしかして幻でも見ていたのかしら。
リアンは何かを思い出したように、私の腕を掴む。
「クレア、ついてこい」
「なに?」
リアンは急ぎ足でバルコニーに私を連れてくると、
「これが、俺の国だ」
そう言って両腕を広げて、眼下に広がる小さな模型のような王都を見せた。
「すごい……綺麗」
思わず声に出た賛辞に、リアンは頷き返して、透けるような眼差しで私を見た。
「だろう? クレアに見せたいと思っていた」
差し込む西日に目を射られて、彼の顔は逆光になる。どんな表情をしているのか見てみたくて、覗き込もうとすると、リアンが口を開いた。
「陽射しが当たってクレアの髪、光って見えるな」
「そう……かしら」
ふんわりと後ろの髪をおさえて、はにかむ。
「ああ、綺麗だ」
直球な言葉に、顔に熱が集まる。
「ありがとう」
小さく呟いた。
気恥ずかしい空気の中、しばらく二人で沈みかけている夕陽を眺めていた。
ある瞬間、背後から強く、爽やかな風が吹き込む。
「きゃ……」
私の声に反応したリアンが振り向く。波打つ金髪が、風に散らされて、リアンの頬に触れた。
視線が絡み合う。
リアンは私の顔を引き寄せて、長い睫毛を伏せた。
あと少しだけ、彼の瞳から溢れんばかりの恋情に、気づかないふりをしていたかった。
私も同じように、瞼を閉じて、それを受け入れた──
並んで美しい景色を眺める。さらに奥には、西日を反射して輝く碧色の海も見えた。
「中に入ろう」
リアンが薄く笑った。
「……ええ」
その笑みは記憶で一番妖艶で、思わず胸が脈打った。
◾︎◾︎◾︎
ぼんやりと頭が覚醒して、私は薄らと瞼を開けた。外は日が沈み、濃い闇が世界を支配していた。
頭が割れるように痛む。隣にはリアンが寝息を立てていた。
窓に視線を遣る。
私が王城に連れてこられてからきっと、一週間は超えていると思う。
なぜそんなに日付に曖昧かと言うと、起きている時間が少なくなってしまったからだった。ここ最近、なぜかとても眠くて、とっくに体内時計も狂ってしまい一日の把握が難しくなった。
この部屋には時計もないため、今が何時なのかは月の位置で判断している。
今は夜中のようだ。
お腹が空いた。なにか食べようと、リアンを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。
保温されていたスープを口に運びながら、考える。
そろそろ本格的に危ないかもしれない。リアンは手こそ出してこないけれど、確実に前よりスキンシップは多くなった。
そして、目下の懸念点はお店のことだった。
薬局に戻りたいことをリアンに匂わすと、途端に雰囲気は冷たく、機嫌が悪くなってしまうので、最近は話題に出すことすら避けていた。
それでも、もう切り出すべきだろう。
カトラリーを置いて、惰性でドアノブを捻る。
やはり、閉まっていた。
もう癖になっているわね。自嘲して、明日に備えて寝ようと振り向いた私の目に映ったのは、無造作に重なっていた書類だった。
几帳面なリアンが出しっぱなしなんて珍しい。何気なく視線を向けると、
《ラフェリエール元公爵家の処罰報告書》
昔の家名が目に飛び込んできた。すぐに周りを見渡して、誰もいないか確認する。
なんでこんなところに放置されているのだろう。
素早く書類に目を通す。書類の末尾にはリアンのサインが書かれていた。それは、公の書類を意味している。
震える指で、ページをめくる。
『主犯、元当主のアザレス・ラフェリエールに続く四親等は予定通り、処刑が執行された。但し、殿下の御采配により、息女のクレア・ラフェリエールは例外とする。
五親等以降の血族は処刑適用外だが、最高位の国家侮辱罪に値したため、速やかに肉刑が処された。既に嫁いでいたものに関しては、関係は無しと見て無罪とする。国王陛下の名のもとに、速やかに処罰が下されたことをここに記す。王家に仇なしたもの、皆没したり』
文章の“殿下”に違和感を覚えて、再び末尾を確認する。日付を見ると、この書類は二年前に書かれていたものだった。
なんで今、こんなところに。
様々な想像が頭をよぎっては通り過ぎていく。
リアンはこれを見て、何を考えていたのだろうか。下手な勘ぐりは、リアンに失礼だろう。書類を元の場所に戻して、水をあおる。
もしかして、私に見せるためにここに置いていたのだろうか。仕事に関して完璧なリアンは普段こんなミスをしない。そう考えると、全ての辻褄が合ってしまう。
その考えに至った時、視界がぐにゃりと歪んだ。立っていることもできず、その場に座り込む。
──強烈な眠気に襲われる。
まるで首が座らない赤子のように、身体が段々と脱力していく。
せめてソファーまでは行こうと机に寄りかかるように立ち上がると、後ろから私を支える腕に気づいた。
「……え?」
「クレア、眠いんだろう?」
リアンの声がした。
あら? リアンは寝室にいなかったかしら。あれ、いつからそこにいたのかしら。
ふわふわとした視界の端に、空になったスープの皿を捉えた。
スープ……今は夜中のはず。なぜ置いてあったのかしら。そうそう、保温してあって……それは、いつも机に置かれていた。
いつもそこに──
「クレア」
リアンが私の名前を呼ぶ。
思考の渦に呑まれそうな私が引っ張り出される。
「何も考えるな」
影が落ちて、リアンが諭すように言葉を口にすると、
私の意識は暗転した──
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