第7話 退院

 秋の終わり頃、栞はようやく退院となった。しばらくは通院してのリハビリになる。久し振りの自分の部屋は以前のままだ。しかし一つだけ増えたものがあった。


 フライングディスク。


 犬用のフリスビーである。愛犬とこれで遊ぶことが栞の幼い頃からの夢だった。確かにロミオは介助犬であるが、だからと言って、普通のワンちゃんと同じ楽しみを封印しなければいけないことはない。パートナーが了解なら、それはリハビリの一種とも言えるのだ。栞は歩けるだけではなく、ちゃんと走れるまでがリハビリと考えていた。そのためにはフライングディスクは最適じゃないか。ロミオは初体験に違いないが、私と一緒にディスクを追いかけるようになれば、その次は、競技会にも出られるかも知れない。ロボット犬はきっと初出場だ。介助犬からスタートしてチャンピオン犬になる。二人一緒に上がる表彰台。栞の野望は膨らんだ。


 ロミオは当初、家の中をウロウロした。間取りのマッピングを生成しているそうで、ロボット掃除機と変わらない。違うのは屋内の危険個所をきちんとチェックしていることだ。病室とは違って複雑な家の中、障害物も多い。介助犬としての知識データベースには様々な情報が蓄えられていった。


 バリアフリーとは程遠い家の中で、杖を突きながらの移動に慣れるのに、栞は一週間かかった。こんなちょっとしたことが障害になるなんて…、と幾度思ったことだろう。そう言った所もロミオは把握してくれていたのだ。


 しかし、一歩外に出ると、ロミオは相変わらず怠惰犬だった。当初は段差や信号に注意を払い、栞が躓かないよう、そっと引っ張っていたのが、最近はほとんど栞が先に歩く。道行く人は、


『あの子、足が悪いのに犬のお散歩させて偉いわねえ』


 と言う評価だ。介助犬の面目丸潰れである。しかしロミオは意に介さなかった。仕方なく栞は、権藤が言ったように『これもリハビリのうち』と自分に言い聞かせてロミオを引っ張った。


 ある日、いつも通りロミオを引っ張って帰宅した栞は、ロミオに言い聞かせた。


「ロミオ、あんた、太るわよ。ちゃんと歩かないと」


 ロミオは緑のランプを誇らしげに光らせる。


「そこ、偉そうにするとこじゃないから。まあ本当に太る訳じゃないけど、動かなくなったら只の燃えないゴミになっちゃうよ。だからさ、二人で一緒に運動しよう。私もようやく歩けるようになったけど、まだ走れないからさ、春までには走れるようにしておかないと、ほら、大学でカッコいい男の子の追っかけとか出来ないじゃん」


 ロミオは極めて無関心だ。よし、あれ見せてハッパをかけよう。二人の表彰台への第一歩。


 栞はロミオの前にフライングディスクを置いて見せた。すると、ロミオは瞳がくるりと動き、緑ランプが激しく点滅する。


「あれ? ロミオ、興味出た? これってフライングディスクって言うの。私が投げて、ロミオが走ってジャンプして、咥えて取るの。判るかな?」


 ロミオは尻尾まで振っている。何だかウケてる。栞はディスクを手に取ると、座ったまま投げるふりをした。すると、いきなり立ち上がったロミオは狭い部屋の中をクルクルと猛烈な勢いで走り回り始めた。

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