第5話 リハビリ

 看護師の予告通り、栞は一ヶ月後にリハビリに入った。病院内の専用ルームでの歩行訓練である。手摺を握りながら、左足も床につけて歩いてみる。思った以上に右足の筋力が落ちている。両足の移動が何とか形になって来ると、今度はロミオのリードと杖を突いての歩行訓練。ロミオもまだ試運転だった。


 栞が初めて外に出て歩いたのは、入院から三ヶ月経った頃だった。少しの凸凹でもつまづいたりするので、まずは外来終了後でガランとした夕方の駐車場。松葉杖を左腕に抱え、右手にはロミオのリードを握る。ロミオは振り返って栞を確かめると、そっと歩き出した。数歩歩くと栞を振り返る。駐車区画の白線の前では一旦停止、栞の動きを確認し、黄色いランプを点滅させて注意を促してから歩き出す。


 駐車場での歩行訓練を暫く続けた後、栞はようやく病院の外に出られた。後ろからこっそりと理学療法士がついて来たが、すぐに『大丈夫そうですね』と声を掛けて引き返して行った。歩く感覚を取り戻しつつあった栞は、ロミオの実地テストをしようと思った。


「ロミオ、市民公園まで行ってみようか」


 ロミオのランプが緑に光る。ロミオは栞を引っ張って進み始めた。路地との交差点では一旦止まり、黄色ランプを点滅させながら振り返る。栞が『オーケー、ゴー』と言うと、左右を確認しながら歩き出す。


 ロミオ、凄いな。ちゃんと先導してくれている。何だかお姫さまになったみたい。あ、いや、ジュリエットかな。悲恋で終わりたくないけど。栞の不安は少しずつ軽くなった。


 ロミオには地図がインプットされているらしく、市民公園の入口で止まると、公園の内部を観察し、子どもたちの歓声にも耳を澄ましている。そして安全を確認した後、振り返って尻尾を振った。まるで『姫さま、公園のどちらへ参りますか』とでも言うように。


「ロミオ、遊歩道を歩こうか」


 栞は杖を持った手を左方向に差し出す。ロミオは緑ランプを点滅させて歩き始めた。遊歩道の路面には、所々に木の根っこが上がっている。ロミオは必ず立ち止まって栞を振り返った。


「あ、ワンちゃんだ」


 遊歩道のカーブの先から大型犬が見えて来た。大きなハーネスを巻いて、老人がリードを持っている。ロミオ、どうするかな。栞は見守った。


 ロミオの目が大型犬を認識し、栞をちょっと振り返る。注意信号よね。え? ロミオのランプは緑だった。


 ロボットだから、他のワンちゃんのことは怖がらないのか、それとも友好的なのか。


 するとロミオは遊歩道の真ん中を歩き出す。え? ぶつかっちゃうよ。栞はいざとなったら杖で撃退しようと左手を緊張させる。すると、大型犬が一旦止まり、こちらを睨んでガウガウ言い出した。ほら、やっば、向こうは喧嘩する気十分じゃない。それに気づいた飼主の老人がリードを手繰ろうと手を緩めた。その一瞬の隙に、大型犬はロミオに向かって飛びかかった。リードが宙を舞う。


 牙をむき出しにした大きな口がロミオの首を捉えようとしたその瞬間、 


 周囲に稲妻が走った。


 キャン! 


 地面に転がったのは大型犬の方だった。老人は慌てて駈け寄るが口から泡を吹いている。ロミオは得意そうに栞を振り返った。緑のランプが点滅している。この子、得意になってるの? 栞が何と言おうかと迷っていると老人は栞の杖を認め、立ち上がって頭を下げた。


「大変ご無礼しました。介助犬さんでしたか。お怪我無くて良かったです」

「い、いえ、そちらは大丈夫でしょうか」


 老人が大型犬を見下ろした時、犬はよろよろと立ち上がった。尻尾は後ろ足の間に力なくぶら下がり、老人の後ろに隠れようとしている。


「いや、すみません、頑丈なだけが取り柄なんで。失礼しました。ではお気をつけて」


 ロミオは老人に向かって尻尾を振り、老人は大型犬を庇うようにトボトボと歩いて行った。栞はロミオの傍にしゃがんで頭を撫でる。


「ロミオ、やるじゃん! 電撃?」


 ロミオは緑のランプを得意そうに見せる。ボディガードも出来るんだ。栞はAI搭載ロボット犬の実力を認めざるを得なかった。

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