第3話 看護師の提案

 看護師の予言通り、それから二時間ほど経ってから、母が現れた。母はカーテンを開けるなり、栞の点滴がない方の手を握り、自分の頬に擦り付けた。


「あー、良かった生きてて。もう栞は黄泉の国へ行っちゃったのかと思ったよ…」


 母は栞の頬をつっつくと折畳椅子を取り出して座り、厳かに口を開いた。


「犯人は逮捕されました。恐らく起訴は免れません。裁判はお母さんがしっかりやって来ますから安心なさい。犯人の年齢を考えると多分獄中死よ」


 そう言って母は新聞のコピーを取り出した。


『91歳 アクセルとブレーキを踏み間違え女性をはねるも過失を否定。女性は意識不明の重体』


 とある。意識不明のまま三日間熟睡、いや昏睡だったわけだ。もはや女子高生とは書いてもらえない。この日付なら卒業の二週間後、しかも大学の入学前だから女子大生でもない。栞は妙なところでプライドを傷つけられた。母は続ける。


「それで、入院は3ヶ月以上って言うし、リハビリもあるから大学は1年間、休学にしました」

「え? 休学?」


 じょ、女子大生はどうなるの? 花の女子大生は1年遅れなの? 母は栞の顔色を敏感に読み取った。


「大丈夫。休学時の費用は慰謝料でぶん取るから」


 いや、そっちじゃない…、そっちも大事だけど。


 背後に控えていた先程の看護師が、おずおずと切り出した。


「あのう、先生のお話ではこれまでのような歩行は難しいし、当面は一人で外出も厳しいんじゃないかと仰っていまして、大学に通うにしても工夫がいると」


 母も顔をしかめた。


「そうね。お母さんが一緒について行くしかないと思ってるの。流石に授業には入れないから、行き帰りだけでもね」


 えー、母付き? 保育園児か? じゃあ帰りにみんなでスイーツ屋さんでお喋りとか、サークル活動で素敵な男の子を探したりとか、二十歳になったら仲間と『かんぱ~い』とかはどうなっちゃうの? この三年間頑張ったご褒美の未来予想図は…母付き?


 更に曇った栞の顔色を確かめるように、看護師は前に出る。


「そこで、ご提案があります」


 母と栞は同時に看護師を見た。


「麻井さんは足の筋力の維持や、可動域が狭くならないようにとかで、多分、4週目くらいからリハビリに入ります。理学療法士と相談しながらですけど、砕けた骨がちゃんとくっついて来れば負荷をかけるリハビリに入って、そうですね、3ヶ月位したら『外へ出てみましょうか』になると思います。でもね、幾ら杖を持っていても、今までのイメージ通りにはなかなか歩けないものなんですね。お母さんが付き添われるならそれもありなんですが、実際問題、互いがイライラして親子喧嘩になったりして、却ってマイナスになったりするし、もう一度こけたらそれこそシャレになりませんから、慎重、かつ前向きにゆかねばなりません」


 看護師は母娘を見渡した。


「そこで、私は介助犬の導入をお勧めします!」

「介助犬?」


 あまり生き物が得意でない母が呆けた声を出した。一方の栞は微かな光をそこに見た。夢だったペットライフ。母の意見で退けられてきた過去とおさらばできるかも。


「はい、ワンちゃんです」

「いや、ウチは犬はちょっと…」


 看護師は母の顔色を見て微笑んだ。


「マンションはペット禁止とか、犬アレルギーとか、いろいろ事情は伺います。でも大丈夫。その子はロボットなんです」


 看護師の得意気な顔に母娘は口をポカンと開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る