第2話 病室

 目を開けたら白い天井が見えた。


 あ?


 私、ベッドに寝てる? 身体は・・・、えっと左足が動かないんですけど、何だか痛い…、頭も腕も動くけど、手首に点滴チューブが刺さってんですけど…、なんなんこれ? どう見ても怪我人だ。異世界なのかゲームの中なのか、それともまだ夢の続き? 18年の人生経験を総動員しても、『まじか』しか出て来ない。


 取り敢えず目をしばたかせ、顔と目を精一杯動かす。左側は白い壁、右側はクリーム色のカーテン。やっぱ病室にしか見えん。ってことは、アレがどこかにある筈…、


 あった!


 高校を卒業し、間もなく大学入学を迎える麻井 栞(あさい しおり)はベッドの格子に引っ掛けられたナースコールスイッチに手を伸ばした。手首の点滴チューブが気になるが、ナースコールは難なく押せた。何の音も響かない。ファミレスみたいにピンポーンとか言わないのかな。鳴ったかどうか確かめるには、どうやったら…


 ばたん! 


「麻井さーん、起きたぁー?」


 声と共にカーテンがシャッと開けられ、姉くらいの年齢の可愛い看護師が顔を出した。


「何も覚えてないでしょ? ここどこだか判る? って病院って位は判るかな。麻井さん、車にはねられたのよ。よくあるヤツ、高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えたってあれ。何か思い出したことある?」


 いきなりの数連射、高校時代の昼休みの友だちみたい。喋りたいことが一気にほとばしり、私は目を丸くして聞いているだけ。でも最後には必ず聞かれるんだ。


「それで、栞はどう思う?」


 結局、肯定して欲しいだけだから『うん、私もそう思うよ』とか『いいじゃん』しか言えないんだけど、果たして今もそうなのかな。尤も、今はまじで何も思い出せんのだけど。


「いえ、なにも」


 出た声は魔法使いの婆さん並みにしわがれていた。今の話が事実なら、少なくとも丸一日くらいは喋ってないから仕方ない。看護師は満足そうににっこり笑った。


「だよねぇ。麻井さん、ぶつけられて吹っ飛んで、ガードレールにぶち当たって脳震盪起こしたんだもん、仕方ないよ」


 キュートな看護師は、人をボロ雑巾みたいに例えながら、バイタルメータの数値を読んで手元のバインダに書き込み、栞の足が拘束されている櫓の向きを変え、そして栞の顔をまじまじと見た。


「うん。お顔は無事だよ。傷も無くて良かった。目も綺麗だし大丈夫よ。目は口ほどに物を言いってね」


 それ、医学の世界でも通じるのか? 若干の疑問はあったが、私は一応頷いた。


「じゃあ先生には経過良好って伝えとくね」


 語尾に音符マークでもついていそうな明るい物言いで、看護師はカーテンを閉めようとした。え? それだけ? 


「ちょ、ちょっと待って下さい」

「ん? 何? 今日の夕食メニュー?」


 なんでそうなるんだ。私は意識が戻ったばかりの、多分、重傷患者だぞ。あんた、放課後の友だちかよ。マック行く?それともミスド? じゃないんだよっ。


「いえ、ここは何処ですか? このことって家族は知っているんですか?」

「勿論よ。警察から連絡が行って、すぐにお母さんとお父さんが来られて、初めの一日は、お母さん、寝ないで付き添っていらっしゃったのよ。流石に今日は三日目だから、一旦戻りますって帰られたけどね」

「み、三日?」

「そう。私も初めてよ、こんなに良く寝る患者さん。薬、間違えたんじゃないかって、先生焦ってたわよ。お母さんが、この子、良く寝るんですって仰って納得してたけど。あ、お母さんには病院から連絡しておくから、夕方には来られると思うよ。今が午後2時だから、もう少しだね。で、ここは平井山総合病院、おうちがご近所だってね」


 平井山総合病院、バスで前を通るところだ。どうやら異世界ではなさそうだ。


「それで、私の怪我はどうなんですか?」

「ああ、左足は複雑骨折で元に戻るかどうかはビミョーだけど、生命には関わらないから安心して。じゃ、後で入院生活の説明あるから、しばらく起きててね」


 シャッとカーテンが閉まり、足音が遠のいた。動かない左足からジワジワと痛みが這い上がって来る。


 一気にキャパオーバーとなった栞には、『やれやれ』と言う言葉しか思いつかなかった。

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