一歩足を踏み入れると、そこにあるのは広大な空間。

 石畳、遠くに見える五重塔。立派な寺のような場所。

 その中央に、巨大な蛇が横たわっていた。否、これを蛇と呼んでいいのか、八つの頭、八つの尾。コケや杉の生えた体表に、赤く輝く目。

 異形の怪物。だが、それはすでに息絶えている。

 よく見ると、その周囲にもいくつかの人間の死体が転がってある。


「有矢——」


 気配はすぐそば、私は走り出した。


「っあ――!」


 私の瞳が捉えたのは、人が死ぬ瞬間だった。あっけなく、冷酷に、そして非道に、一つの命が断たれる瞬間。

 殺されたのは名も知らない男。殺したのは確認するまでもなく、有矢だ。


「——気付いてるでしょ」


 私と同じ勘があるなら、この距離でも私の存在に気付いているはずだ。

 有矢は振り向かない。服の裾から血が垂れる。


「姉さん、何かあった?」

「有矢が居なくなった」

「ああ……。今日中には帰るよ」


 声色は普段通り。


「そう、ならいいけど、じゃあ。——なにやってんの」


 沈黙。空虚な青空、不自然なほどに無い環境音。


「——お偉いさんがお呼びだから、急いでいかなくっちゃ」

「行ってどうするの、どうして――」


 答えはわかっている、意味の無い問。だが、問うことに意味がある。


「こっち見てよ」


 歩いて距離を詰める。無駄に響く足音、大きな背中。


「……有矢、私」

「ここは、危ないから」


 有矢の体が動く。私は咄嗟にその手を掴み引き留めた。

 振り払おうと手が動く。強く手首を握る。


「あの村、もう一回行ったよ。——あの時は、私……」


 違う、こんなことを言いに来たわけじゃない。

 何を怖がってる。何をしに来たかは、初めから決まっていただろ。


「——有矢。この先には、行かせない」


 有矢が振り向く。見開いた目、下がった口角。村で出会った頃にしか見たことがないような、おそらく素の表情。


「行きたいなら理由を言って」

「……危ないだろ、こんなの放っておいたら」

「危ないって、私が?」


 突然、有矢の腕が動く。すさまじい力、握った手は振りほどかれる。


「——俺が勝手にやることだから、ほっといて」


 再び有矢の手を掴む。


「お互いやりたいことをする、それでいい?」


 答えの代わりに、有矢は走り出す。

 目にも止まらないほどの速度、私でなければ捉えることすらできない。

 それを追いかける。第六感の力は半分、速度は同じはずだ。

 だが、有矢の方が速い――。


『器——。一般的に考えるなら、あの村で力を継がせるべきは、外で暮らしていた有矢くんではなく、六花ちゃんの方だ。なぜそうしなかったのか、あの村は強大な力に拘っていたようだ。つまりは有矢くんに継がせる方が強くなると判断した。と言っても、有矢くんの能力を見極めているような風には見えなかった。つまりは純粋な肉体、端的に言えば、性別による肉体スペックの差、ってところかな』


 長々とありがとう。だけど話は右から左へと抜けていく。

 先を走る有矢。私は目の前に黒色を伸ばす。

 世界を塗り替える黒色。私はその場に、真空を生み出す。

 私は前へ、有矢は後ろ。同時に引き寄せられる。

 再び腕を掴む。


「ねえ、有矢、ちゃんと夜寝てる? いっぱい笑ってるけど、ちゃんと泣いてる? 私はちゃんと過ごしてるよ、ねえ、有矢——」


 腕を強く引き、振り向かせる。

 俯いた顔。悲しそうな顔。涙は流れない。


「もう、無理だろ、俺は――」


 人殺し。決して認めていい行いじゃない。だけど、そのせいで未来まで否定しちゃだめだ。自分のために殺したのなら、殺した相手の未来まで背負って生きていかないといけない。それは決してネガティブな意味ではない。責任をもって幸せに生きていく。そういう意味だ。


「じゃあなんで殺したの。村で、あの時のことが、間違ってるって言うの」

「間違ってる。後悔はしてない」


 即答だった。有矢のまっすぐな瞳。それはこれ以上の会話は無駄だと告げている。

 ——どうする、どうすれば。


『いや、俺に聞かれてもな』

『聞いてないですよ、六花さんも。——うーん、ぶん殴ったらいいと思いますけどね、そいつ、ほんと、あの馬鹿』


 テレパシーは遮断した。

 説得、いや、否、否。言葉に囚われちゃだめだ。有矢が今からやろうとしていること、そして、有矢はあの日、あの村で誰のために行動したのか。

 ああ、わかった。


「有矢、教えてあげる――」


 有矢は振り向かない。

 私はその背中に、全力で蹴りを放った。

 死角からの不意打ち。だが、当たるわけがない。

 有矢の体が沈み、私の脚は空を切る。


「私の方が、強いって――!」


 それは過程。一言伝えるために必要なことだ。そのために、まずは有矢に勝たないと。

 続けざまに蹴りを放つ。形のない、雑な攻撃。だがその圧倒的な身体能力が、それを必殺の一撃へと昇華させる。

 しかし、身体能力は有矢の方が上、私の攻撃はすべていなされる。

 私と有矢の差、それは第六感の力。身体能力と勘は半分。そして、世界を塗り替える黒色が私、有矢は神秘殺しをそれぞれ使うことができる。神秘殺しは今の状況では役に立たない。なら、私のアドバンテージは明確だ。

 正面に黒色を展開する。生み出されるのは、再び真空。空にと共に、私たちは引き寄せられる。否、引き寄せられるのは有矢だけだ。

 私の背後に生み出した黒色は同時に真空を生み出し、私を背後に引き寄せる。結果、私はその場から動かない。振り上げた拳。それを受け止めようとする有矢。私も引き寄せられるはずだと考えていた有矢はタイミングをずらされる。


「——っ」


 無言のまま、有矢が迫る。小細工など通用しない、圧倒的な反応速度。私の突き出した拳は掴まれ、投げられる。

 だが、黒色はすでに地中を埋め尽くしている――。

 地面の消失。そして、崩落。

 有矢を中心として円形に穴が開く。そして、その上を黒色が埋め尽くす。

 重い、金属。——金。

 巨大な金を生み出し、穴に落とす。圧倒的な質量、当たればただでは済まない。

 地面が揺れる。妙な気配はしない。直撃した――? 

 いや、有り得ない。どこかに潜んでいるはず。


「は――?」


 金塊が動く。わずかな震えが起きたかと思えば次の瞬間、穴から金塊が飛び出した。

 そして、穴の中から人影が飛び出す。——否、それを人影と言っていいのか。ぼんやりとした光が人の形を作り、その所々に肉片が混じっている。

 それは有矢だ。状況から考えても、姿を見ても。私の勘もそう答える。


「……こいよ」


 戦闘が始まってから初めて有矢が口を開く。

 誘っている。罠、いや、あれは圧倒的な自信。

 なんにせよ、私は正面からぶつかるだけだ。


「似合ってないよ。挑発なんて」


 地面を蹴る。コンマゼロ秒、有矢の目の前に迫る。同時に突き出した拳は、確実に有矢を捉える。

 手ごたえはある、人の感触。鮮血、首が宙を舞う。


「え……」


 やりすぎた。そう思った瞬間。——有矢の頭が再び形作られた。


「終わり?」


 攻撃を続ける。すべてが直撃、致命傷。だがそのすべての傷が瞬時に再生される。

 黒色を広げる。それは有矢の体を覆いつくす。——が、変化しない。神と戦った時のように、黒色はただ消えただけ。

 私の脚が止まる。有矢は一歩も動いていない。


「——ごめん、ちゃんと、話をしよう」


 巡っていた思考がその一言で停止する。その提案を断る理由はない。


「うん、わかった」


 数歩、歩み寄る。


「俺は、六花さんを守りたい。そのために人を殺した、今更引き返せない。ここは、ここの人は危ない。さっきは本当に死にかけたし、六花さんにも会おうとしてたらしい。だから、殺す」


 一息で有矢は言い切る。光の体、表情を見ることはできない。


「それは、だめ。有矢はここで止まらなくちゃだめ」

「——なんで」

「有矢が守らなくても、私は死なない」


 だから、それを証明するために有矢を倒そうとしていた。


「それは、いい。わかった。……でも、それは六花さんが俺にかかわる理由にはならない」

「——好きだから」


 だから、有矢には向こう側に行ってほしくない。

 長い沈黙の後、有矢はゆっくりと口を開いた。


「…………それは、あの村で植え付けられた感情じゃないの?」

「——」

「洗脳、みたいな。そうしてないほうが不自然だ」


 それは、そうだ。間違ってない。


「この、バカ野郎——っ!」


 声と共に、上空に穴が開く。これは少し前に見たものと同じ、九条さんの扉。その扉から飛び降りた人影。それは拳を突き出し、有矢の頬を殴る。


「おい馬鹿、戻れ!」


 現れたのは充輝ちゃん。唇をかんで、有矢の正面に立つ。

 九条さんは何やら慌てているようだ。この扉は使えないと言っていたが、やはり噓つきか。


「六花さん! このアホ、ぶっ飛ばして――!」


 強い瞳。ああ、そうだ。ありがとう。


「気持ちがどこから来たかなんて、知ったことか――」


 経緯が、原因が、過去がどうであろうとも、その上に成り立った今の自分。それは間違いなく、本物だ。


「好きだから、幸せになってほしい」

「——押しつけだ、それは」

「お互い様でしょ。……私をここに連れてきたんだから、責任取りなさい」

「——わかった、いいよ、なら勝負だ。——九条さん」


 九条さんは無言で頷くと、充輝ちゃんを回収して扉の中へと戻っていった。


「ここまでくると、もう意地だ。——止めれるものなら、止めてみろ――!」


 有矢の脚が動く。腰を軽く落とし、初めて戦いの構えを見せる。

 ぼんやりとした光の体。その光が強まったような気がした。


「ああ、私が、止めてあげる」

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る