「六埼六花です。さっきは、ありがとうございました」


 車いすに座りなおした私に視線を合わせるように、里桜さんはしゃがんで話す。


「怪我とか、してないですか」

「はい。私、ちょっと頑丈になったので」


 笑顔を顔に浮かべると、里桜さんも屈託のない笑みを顔に浮かべた。


「じゃあ、私はこの辺で――。六埼さん。——変なもの見ても、近づいちゃだめですよ」


 里桜さんは顔だけをこちらに向ける。


「待ってください! ——さっきのって、いったい……?」

「……話聞いてました?」


 里桜さんは露骨に嫌そうな顔をする。

 私は唯一動く右手で壁に触れ、コンクリートの壁を抉り取った。


「私も、ちょっと訳ありなんです」

「へ……?」


 里桜さんは目を丸くした後、申し訳なさそうに目を伏せる。


「もしかして、——嚙まれました?」

「噛まれるって、さっきの人にですか」


 噛まれてどうなるかはぴんと来ないが、幸い、私は噛まれていない。


「本当?」


 私が首を縦に振ると、里桜さんはぱっと表情を明るくして大きく息を吐く。


「よかったぁ……。うん、説明だったよね。——私、吸血鬼なの」

「——吸血鬼?」


 なんだろう。血を吸う鬼、と言うが、目の前の里桜さんはとても鬼のようには見えない。


「え……知らない? 吸血鬼」


 私が知らないというと、里桜さんは大げさに驚いて見せた後、丁寧に説明してくれた。


「——で、その食事の時に失敗して、一人だけ吸血鬼に変えちゃったの。今街で溢れてる成り損ないたちはそいつのせいで生まれた。……それも、私のせいだから。その吸血鬼を私は殺したい」


 事態は想像よりも深刻らしい。このペースで行くと、街が滅ぶのも時間の問題だろう。——それは、嫌だ。


「私も、手伝ったりできませんか?」

「……六埼さんのその力は?」

「神様の力です。今は十分の一ぐらいですけど」

「神様?」

「うまく説明は出来ませんが……。すごく力が出て、あと、すごく勘が良いです」


 里桜さんは空を見上げて、しばらく考えるようなしぐさを見せた後、言った。


「とりあえず、今夜! 一緒にいこっか」

「——はい!」

「あ、もう敬語はなしだよ。……六花ちゃん、で良い?」

「はい、——うん、里桜ちゃん」


 なんだか照れ臭いけど、これが友達なのだろうか。確かに、一気に距離感が近くなったように感じる。




   ◇




「ねえ、有矢さん。丁寧語、やめませんか」


 昼食のハンバーガーを食べた後、突然六花さんがそんなことを言い出した。


「……いきなりですね」

「なんというか、距離感感じませんか? これだと」


 全然実感はないが、六花さんと俺は姉弟なのだ。それが敬語で話しているというのも妙な話なのかもしれない。


「確かに、そうかもしれませんね」

「……どうします? もう、ため口にしましょうか」

「そう、ですね」


 流れで承諾してしまった。

 ——沈黙が続く。なんだか喋りづらい。


「そうだ。有矢さん。さん付けもなんだしさ、なんて呼ぼうか?」

「それは……好きなように」

「有矢くん? ……変かな」


 首を傾げる六花さん。上手く目を合わせられない。


「呼び捨てで、いいですよ……」

「そう? じゃあ、有矢。私のことはなんて呼んでくれる?」


 六花さんは目を細めて、口元を緩めて楽しそうな表情をしている。安心した。こうして笑えている六花さんが居ることに。そして、それを見て緊張している自分が、まだ人間であると再認識できたから。


「——姉さん。で、どう?」

「お姉ちゃんって呼んでほしいな」

「姉さんで」


 言って、二人で笑う。

 たぶん、俺は上手く笑えない。黒色で覆いつくして、上書きした表情の下にはとても人間のものとは思えないような、化物の顔が隠れている。




   ◇



 日が暮れた。黒色の空を無数の星が照らし、地上を人の明かりが照らす。初めて見た時は異界にでも迷い込んだかのように思えたこの風景にもだんだんと慣れてきた。

 慣れるといえば、右腕一本での生活も、ずいぶんと慣れたものだ。

 ベッドから起き上がると、有矢を起こさないように部屋の外に出た。


「お待たせ、待った?」

「いえ……。私も、今来たところ」


 駅前の広場で待ち合わせをしていた里桜ちゃんと合流する。


「じゃあ、さっそくいこっか」

「昼のあれとおんなじ気配でいいんだよね?」

「うん、お願い」


 私の勘はほぼ絶対に当たる。最近はそれを意図して使えるようになってきた。

 昼に出会ったあの人間を思い浮かべる。吸血鬼に成り損なった異形。だけど、あれも元々人間だ。


「わかった。あっち」


 私が方角を示すと、里桜ちゃんは私をひょいと抱え上げた。


「こっちの方が早いでしょ?」


 車いすは置いていくことになるが、盗まれたらまた有矢に作ってもらおう。


「それじゃあ、跳ぶよ!」

「え、——わぁ!」


 急に地面が遠ざかる。小さな段差を足掛かりにビルの壁を上っているようだ。そして、ビルの屋上から見た街は、満天の星空のようだった。

 星空の中を、屋上から屋上へと乗り継ぎながら駆けていく。頬に当たる風が心地いい。見上げると、里桜ちゃんと目が合う。


「あそこ、あの建物!」


 私の直感が示したのは、建築途中の雑居ビルだった。

 屋上はまだできていないようで、建物の中にはあっさりと侵入できた。


「どう?」

「もうちょっと下かも」

「了解」


 里桜ちゃんは私を背中に背負い、むき出しのコンクリートの床を歩いていく。


「——来る!」


 階段を二回下った。

 瞬間、脳に閃光が走る。痛いほどの強さで直感が危険を知らせる。

 里桜ちゃんは私の言葉と同時に後ろに飛び退く。一瞬遅れて、暗闇を爛れた腕が切り裂いていく。


「ほんとに居る……」

「大丈夫?」

「うん。——しっかり摑まってて!」


 瞬間、加速。すれ違いざまに吸血鬼の成り損ないを両断して、そのまま部屋の中へと突撃する。

 暗闇の中に蠢く無数の気配。どれもさっきと同じものだ。

 暗闇の中を縦横無尽に飛び回る里桜ちゃんにしっかりとしがみつく。

 指で数えれるほどの時間の後、無数の気配はすべて消え、化物は肉塊へと成り果てた。


「ふぅ……」

「すごい……」


 人一人を抱えながらこれほどの動きができるなんて、吸血鬼はとんでもない生き物だ。


「——これで全部?」

「うん……。いや、これは、似てるけど――」


 これはさっきの吸血鬼もどきよりも、里桜ちゃんに近い気配——。


「たぶん、強い」


 里桜ちゃんの説明を思い出す。

 ——吸血鬼に噛まれた人は吸血鬼になっちゃうけど、その強さは親となった吸血鬼の半分になる。でも、血を吸ったら強くなれる。たぶん、私が追ってるやつはもう私よりも強いかも。


「来る――。右!」


 空気が裂ける。おそらく、拳が横切ったのだろう。


「怪我したら、ごめん」


 里桜ちゃんはそう断ると、力いっぱい地面を蹴る。

 目視できないほどの速度。吸血鬼は反応することすらできず、拳は胸に突き刺さる。


「ちっ――、硬い」


 突き飛ばされた吸血鬼は壁へと衝突する。

 追撃のため、再加速。

 ——だけど、足りない。もう一撃じゃ、足りない。


「里桜ちゃん! 私を――!」


 背中から前に乗り出す。右腕を思いっきり振りかぶり、吸血鬼との衝突の瞬間に振り下ろす。

 拳に走る鈍い衝撃。続いて、爆音。そして、目の前には夜空が広がっていた。


「壁が――。っわ」


 二人重なって後ろに倒れる。私は気にならないが、反動もすさまじいものだったようだ。

 月明かりに照らされて、互いの顔が見える。


「ふふ……、真っ赤」

「あれ、私もだ」


 赤色は血の色。黒い赤。建設途中のビルの中には無数の肉塊と、血の水溜まり。凄惨たる状況の中心に居るのに、なんだかおかしくなって、二人で笑った。


「ああ、もう。どうやって帰ろっか」


 赤いカーペットの上を歩く。階段を降りる。不思議なことに、その下の階も肉塊と血だまりで覆われていた。


「さっきのが、私から見て孫ぐらいの吸血鬼。よくあるよ、共食いとかは」


 里桜ちゃんはそう言っているが、おそらくその予想は外れている。

 たぶん、これをやったのは有矢だ。気配が近くにある。



   ◇



「……や、久しぶり」


 六花と別れ、一人になった増見里桜に一人の少年が話しかける。

 里桜とは同じ中学校に通っていた少年。中学の頃とはずいぶんと雰囲気が変わったように感じる。


「えっと、浅上くん?」

「六埼だよ」

「……六埼くん。ひさしぶり」


 里桜は軽く微笑んで見せる。目の前の六埼有矢も同様の笑みを浮かべる。


「大丈夫? 連絡つかないって、宗二から聞いてたけど」

「そっちこそ、しばらく行方不明だったんでしょ?」


 お互いに他愛のない会話を続ける。


「で……なにあれ」


 膠着した会話を破ったのは、有矢だった。里桜は目を泳がせながら、言葉を濁す。


「何って……?」

「いや――。いいよ、後はごゆっくり」


 有矢は案外あっさりと引き下がって、そのまま背中を向けて歩いていく。

 それと入れ替わるように姿を現したのは、正岡宗二だった。


「里桜——!」


 宗二は息を切らしながら里桜の方へと駆け寄る。


「宗二、なんで――」


 里桜にとっては、この件に蹴りを付けるまではできるだけ会いたくない人物だった。


「どこ行ってたんだ、家にも帰らず……」


 宗二は心底安心したような緩み切った表情で、心配を口にする。


「それは――」


 里桜は宗二と上手く目を合わせることができなかった。

 できれば、宗二はこの件に一切巻き込ませたくないという気持ちがあった。

 ——だが、その思いは叶わない。


「伏せて――!」


 宗二の背後から、尖鋭な槍が襲い掛かる。その槍は赤黒く、血を連想させるような色をしていた。否、それは血そのものでできた槍だった。

 里桜が宗二の上から覆いかぶさるようにしてアスファルトの上に押し倒す。

 二人の頭上を過ぎていった槍はとても長く、どこかから伸びてきたものだと推測できる。その槍は空中で直角に軌道を変え、再び二人へと襲い掛かる。


「立って、走れる?」


 横に転がって槍を躱す。アスファルトの破片が里桜の肌を切り裂いていく。


「待て、なんだよあれ――」


 戸惑う宗二を半ば無理やり立たせ、背中を押して背後へ走らせる。

 里桜は槍を掴み、それを全力で手前に引く。

 長い長い槍の先、血の槍を放った張本人が、槍と共に引き寄せられる。


「え……」


 引き寄せられたのは、血で形作られた人形。しかし、その人形の首から先は何者かに破壊されたかのように乱雑に切り取られていた。


「死んでる……?」


 里桜はこの血が吸血鬼の能力によって形作られたものであることを知っていた。そして、その規模の能力を使える吸血鬼は一人だけだ。


「宗二、今すぐ帰って。——今日のことは忘れて」


 里桜は冷たい声色で呟く。


「待てよ。……何があったかぐらいは、聞かせてほしい」


 宗二の真剣な眼差しに耐えきれなかった里桜は小さくため息をついて、経緯を話し始めた。



   ・・・



「あいつが……」

「そう、私はあの子を、殺さないといけない」


 悔しそうに俯く里桜。宗二は話を飲み込もうと必死になって頭の中を整理している。


「俺に、何か……」


 里桜は何も言わず、首を横に振る。


「ごめんね。宗二」


 それだけ言い残して、里桜は逃げるようにその場を立ち去った。



   


 


 


 




 

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