第5話 これもイベント?

 昨夜の憂鬱な気持ちのまま、シバのいる執務室をノックし中へ入る。

「おはようございます」

「おはよう。今日だがこれをまとめてくれ」

「はい」

 またもやシーンとした空気が漂う。俺は「失礼します」と言ってシバに背を向けた。

「マニエラ」

 急に呼び止められ振り向くと、シバはじっと俺を見てから「茶を淹れてくれないか」とポツリと漏らした。俺は「はい」と返事をしてお茶のセットが置いてあるテーブルへ向かった。

 カップを温めて用意されたお茶を注ぐだけなので、その作業はほんの五分もかからない。俺はそれを昨日と同じく離れたテーブルに置くと、「では、失礼します」と言って扉の方を向く。

「待て。こっちに持ってきてくれ」

「分かりました」

 よっぽど喉が渇いていたのか、シバは俺から茶を受け取ると、それを目の前で飲んだ。湯気の出るそれを口に含み、シバの肩がビクッとはねる。

「あの、淹れたてなので熱いと思いますが」

「……」

 シバは無表情のまま黙ってカップを見ているが、その耳が少しだけ赤い。これ以上喋らないシバに、俺は今度こそお辞儀をして部屋から出て行った。


「ここの計算は……このファイルに前回の分があるから、参考にしたらいいよ」

「ありがとうございます」

 俺は先輩文官に習いながら、シバに与えられた仕事をこなしていく。彼らは皆面倒見が良く、相談に来る俺に親切にしてくれる。

 ようやく一段落ついたところで、先輩の一人が「セラの歓迎会をしよう」と言った。

 その言葉に友達であるシュリも「賛成!」と手を挙げた。今週末、休みの前に皆で飲みに行くことになり、俺はその日が楽しみになった。

(良い職場で良かった。仕事も計算に関しては簡単な方だし、なんとかやっていけそう)

 俺はるんるんとした気分で「楽しみにしてます!」と笑顔で言った。

「何をだ?」

「ッわ……!」

 急に後ろから声を掛けられる。その低い声の正体は振り向かなくても分かる。俺は恐る恐る背後に目をやった。

(やっぱり……シバだ!)

 俺は今朝顔を合わせたばかりの上司に「あ、あの……」と歯切れ悪く返事をする。

「今週末、このメンバーでセラの歓迎会をすることになったんです」

「……」

 困っていた俺にシュリが助け舟を出す。そしてその言葉に、シバが何か考えているそぶりを見せた。

「私も参加しよう」

「え……!」

 予想外の参加表明に、声が出てしまう。すぐに失礼だと気付き手で口を覆うが、他の文官達は嬉しそうだ。

「え! アインラス様が来てくださるんですか? では、場所が決まり次第すぐにお伝えしますね」

「ああ」

 先輩の言葉にシバは短く返事をし、俺がしていた仕事を確認する。

「これは出来てるようだな」

 ひょいっと資料を取ると、そのまま持って歩いて行く。

「あの、次の仕事を……!」

「十五分休憩し、その後、執務室に来い」

 それだけ言うと、何も言わずに去って行くシバ。俺はその背中を、部屋から出て見えなくなるまで見つめていた。


「やった~! まさかアインラス様が飲み会に来て下さるなんて」

「嬉しいの?」

 シュリが興奮した様子ではしゃいでいる。俺は、周りでも「凄いな!」と頬を上気させている文官達の様子を不思議に思った。

「当たり前よ! 皆、アインラス様に憧れてるし、お話できるチャンスなんてめったにないんだから!」

「へぇ~……」

 俺の歓迎会でありながら、当日はシバを囲む会へと変わりそうな気配がする。しかし、皆が相手をしてくれるなら、俺は彼と話さなくて良いのだと、安心してその日を楽しみに待つことにした。


「アインラス様」

「こちらへ来い」

 俺は言われた通り十五分程休憩を取り、シバの執務室へやってきた。まだ終業まで1時間以上ある。

「あの、仕事を頂けますか?」

「では……茶を淹れてくれ」

(また? そんなに飲みたいならポットをもっと近くに置いとけばいいのに)

 俺は不思議に思いながらも、また茶器を温める。最初は気付かなかったが、お茶のセットには味を変える為の食品が置かれている。

「アインラス様、甘味はお好きですか?」

「……ああ」

 俺が急に問いかけて驚いたのか、声が少し上ずっている。それを気にせず、シバの目の前に淹れたお茶を置いた。

「はい。疲れてるでしょうし、糖分を取った方が良いと思います」

「……」

シバはカップの中をじっと見ている。

「少しだけハチミツが入っています」

「……甘い香りがする」

 甘いものが好きだというのは本当らしく、いつもより少しだけ目元が緩んでいる……ような気がする。シバは朝、舌を火傷したことを教訓に、ふぅっと息を掛けてからそれに口を付けた。

「……」

(これ以上は、俺がここに居ても困るよな)

 俺は頭を下げ、「明日もよろしくお願いします」と言って部屋を後にした。

「……ありがとう」

扉を閉める時に、また後ろから小さく声がした。


「危ない! 忘れるとこだった!」

 俺は走って馬小屋に向かっていた。今日は小さいイベントが起こる日だ。

 さっきのシバの態度と礼の言葉が頭を占めており、俺としたことがアックスとの大事なイベントを忘れていた。

「もういないかな……」

 俺は息を切らせて辺りを見渡す。

 馬小屋に着いたが、居るはずであるアックスの姿が見えない。本当ならここでアックスと愛馬エマを撫で、お互いの手が初めて触れ合うのだ。

(遅すぎた……!)

 俺ががっくりとうなだれていると……

「何がいないんだ?」

 後ろから掛けられた声の主はアックスだった。俺は駄目だと諦めていただけに嬉しく、振り向いて思わず駆け寄る。

「アックス! 良かった!」

「セラ?」

 そしてあろうことか、興奮してアックスの腕を掴んでしまった。

(あ、馴れ馴れしすぎたかも……!)

 すぐに手をパッと放す。アックスは目を丸くしていたが、俺の焦った様子に笑いだした。

「なんだ……もしかして俺に会いに来たのか?」

「え……あ、その……はい」

(ごまかしてもしょうがないよね。イベントの為に会いたかったのは本当だし。)

 走ったばかりで熱くなっている俺の頬に、ひんやりとした手が添えられる。

「……ッ」

「冷たかったか? あまりに赤い顔をしてるから冷まそうかと……」

 そう言ったアックスは「どれだけ急いで来たんだ」と言ってまた笑った。


 どうしてこんな遅くにアックスがここへ来たのか――ふと疑問に思う。

 ゲームでは、主人公の仕事が終わる時間には、アックスは馬小屋に来ていたはずだ。そして、俺が後ろから話しかける流れでイベントがスタートする。

 今は、予定の時間から一時間も過ぎている。しかし、アックスは今この馬小屋に来た。

「実は文官棟に行ったんだ。近くに用事があってな」

「え、そうなんですか?」

「定時が十七時だと聞いていたから、まだセラがいるかもしれないと思って立ち寄ってみたが、入れ違いだったみたいだな」

(アックスが俺に会いに来た……!?)

 アックスは、少し照れ臭そうに「用事はあったが、君のことも気になって」と、目線を外しながら言う。俺はその言葉に驚いた。

(え、こんな早い段階で好感度上がったの?)

 イベント③『湯煙の中で』までは、アックスは俺の仕事場には来ないはずだ。

 なぜこうなったのかは分からないが、どちらにせよ俺にとっては良いことだ。

「まだ仕事に慣れていないので、早めに上がるよう言われるんです」

「そうだったのか。これからは早い時間に行こう」

 アックスはそう言うと、日が落ちてきているのを見て慌てだした。

「エマのブラッシングをしに来たんだった」

「俺も手伝います」

 俺達は、急ぎ足で馬小屋へ入った。


「エマが嬉しそうで良かった。君のおかげだな」

「いえいえ! でも、俺もエマが怒ってなくて安心しました」

 毎日決まった時間にブラッシングをしないと機嫌が悪いというアックスの愛馬だが、今日は二人がかりで世話をしてもらったとあって、終始ご機嫌だった。

 俺達は手を洗い、そのまま食堂に行くことになった。

 食堂では好きなものを取ってよいバイキング形式であり、好みの物をどんどん皿に載せていく。

(流れで付いて来ちゃったけど、これも何かのイベントなのかな)

 少し焦るが、アックスに関しては普段の俺が言いそうなことが会話選択で選ばれているため、そんなに深く考えなくても良いだろう。

(……と思いたい)

 王の側近であるウォルには生意気な態度、第二王子のエヴァンには可愛い口調がウケるようだが、アックスには素の自分でも好印象なようだ。

「セラはそれしか食べないのか?」

「え…? いつもより多めに取ったんですが、」

 俺は隣の男の皿を見る。両手に持った皿には、これでもかと料理が乗っている。そしてアックスは「これは第一便だ」と言い、おかわりすることが前提だ。

(俺が1日に食べる量より多いかも)

 俺は、ゾッとした目でアックスの皿を見た。


「君の上司はシバ・アインラス殿なのか?」

「はい。彼から仕事の指示を頂いています」

(ん? 二人はもしかして知り合いなのかな)

「彼は以前、騎士として働いていたんだ」

「そうなんですか?」

 ゲームでは描かれていない設定に驚きながらも、あの体格を思い出し納得する。強かったのだと言うアックスに、どうして騎士を辞めたのか聞くと、『文官長に引き抜かれた』ということだった。

「アインラス様とはお知り合いなんですか?」

「いや、話したことはない。彼とは別の団にいたからな」

 俺達はそれから雑談をしながら食事をし、アックスが俺を部屋の前まで送って別れた。

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