第4話 初出勤

 重い足取りで文官棟へ向かった俺は、指示のあった通り、シバの執務室の扉をノックした。

「失礼いたします。セラ・マニエラです」

「シバ・アインラスだ。今日、君にやってもらう仕事だが、」

 部屋に入るなり急に仕事を振られそうになり、自分のこめかみがひくりと動くのが分かった。シバは俺の反応を気にせず、無表情で淡々と今日の業務の説明を続ける。

「計算して表を完成させろ。今日中ならいつでもいい」

「はい」

「分からないところは近くの者に聞け」

「はい」

 沈黙が流れる。俺は「では、出来たら報告します」と恐る恐る言った。

「ああ」

軽く頭を下げて「失礼します」と言ってそそくさと部屋を後にした。

「はぁ、せめて「『以上だ』くらいは言ってほしい……」

 溜息まじりで呟き、俺はシュリの待つ部屋へと急いだ。


 シュリに習いつつ分厚い資料の数字を計算していたが、一段落したところで今日の朝の出来事をシュリに話した。

「アインラス様自ら指示を下さるのって、珍しいし凄いことなんだよ」

「そうなの? でも俺、全然嬉しくない」

「今度からは違う人から仕事振られると思うよ。今日は初日だからじゃないかな」

 その言葉にホッと安心する。あの感情のないシバの表情を見てると、背筋が凍ったような気分になるのだ。

(できるだけシバには関わりたくないな)

 俺は頼まれていた分の仕事をなんとか終え、重い足取りでシバの執務室へ向かった。

「失礼します」

「出来たか?」

「はい」

 出来上がった資料をシバに渡す。それに無言で目を通したシバは「今日はもう上がっていい」と言って資料を机に置いた。

「あの、まだ働けます」

 時間を確認すると、まだ定時まで二時間はある。目の前の男はじっと俺を見ると、「では、茶を淹れてくれ」と言ってきた。

(お茶? そんなの五分以内に終わっちゃうよ)

 そもそもお茶の用意を仕事と言えるのか? と思ったが、上司の命令に逆らうわけにはいかず「はい」と返事をして、シバの机から少し離れたテーブルに置いてあるティーセットからカップを選ぶ。お茶は既にポットに用意されており、本当に注ぐだけだった。

「お茶です」

「そこに置いておいてくれ」

 仕事を始めたのか、書類に目を通し俺の方すら見ないシバに、「どうぞ」と言葉だけ添えてカップををテーブルに乗せる。

(はぁ、もうさっさと出よう)

 ぺこっと礼をして部屋を出るため身体を廊下に向ける。やっとこの空気から解放されると、頭を下げて扉を閉めようとした瞬間――…

「ありがとう」

 低い声がした。驚いて頭を上げるが、重い扉がバタンと閉まりシバの顔を見ることはできなかった。

(なんだ。お礼は言うんだ)

 俺は掴みどころのない上司が発した思いがけない礼の言葉に、胸が少しざわついた。


「あ、セラ~! こっちだよ~!」

「ちょっと父さん! 大きい声で呼ばないでよ!」

 今日は俺の仕事初日であり、何時に終わるか見当がつかなかった。そのため夕食は別々にと思っていたが、食堂で父とばったりと会った。

 俺の顔を見るとすぐに顔をパァっと明るくして大声で名前を呼ぶ父に、恥ずかしさと同時に「危ないだろ!」と言いたくなる。

(せっかく他の攻略者達に会わないようにしてるのに、バレたらどうしてくれるんだ!)

「あ、セラさん。今日から仕事って聞いたんですが、どうでしたか?」

 父の前の席に座っているラルクが俺に尋ねてくる。どうやらこれからは三人で食事を取るのが定番になりそうだ。

「慣れない仕事でしたが、先輩方に助けていただいてなんとか……」

「アインラス様には会われました?」

 出勤時と退勤時に話したことを伝えると、ラルクは少し眉を下げて「怖くはなかったですか?」と聞いてきた。俺は父を心配させまいと、その質問に曖昧に答えた。


 父は、俺が定時より早く上がれたことや、辛い目にあっていないことを知りニコニコだ。

 この城へ来てまだ四日目。和気あいあいとした俺達の雰囲気はここでは少し浮いているのか、食堂でこちらをチラチラと見る人が多少いることに気づいた。

(変に目立たないように気を付けないと)

「セラは可愛くて仕事もできる自慢の息子だ!」

「分かったから、そういうこと大声で言わないで」

 顔を綻ばせながら声を大にして言う父に、俺は呆れながらやめてくれと頼んだ。


 部屋へ戻った俺は、寝る前に自室の机に向かう。

 俺に残されたタイムリミットは一年。ゲームでは、どの攻略キャラを選んでも一年後に告白イベントが発生する。

(この結果が俺の人生を決めるんだ)

 重要イベントの選択肢を詳細に書き出し、メモを付け加えて計算していく。

まず、黒騎士アックスとの最も重要なイベントは五つ。そして見過ごしても良いが、できるだけやっておいた方が良いイベントが十個。

(残りは条件もあるし、できればラッキーくらいか)

 俺は書き出したイベントの詳細に目を通す。今後絶対に外してはいけないイベントは――…


①『月の夜に』夜の庭で偶然出会う

②『貴方とおでかけ』2人きりで外出をする

③『湯煙の中で』一緒にお風呂に入る

④『黒馬の騎士』主人公が攫われ、黒騎士が黒馬で登場

そしてラストの告白シーンでもある――…

⑤『星空の下で愛を』2人で星を見に行く


 この項目ひとつひとつに、びっしりとイベントの流れと、どんな会話選択が迫られるのかが書かれている。

(問題は④だよ……。攫われるとか、怖すぎる!)

 とりあえず、これらが起こるざっくりとした時期は分かっているし、一つ一つ間違えずにこなしていかなければならない。

 よし! と気合を入れたが、明日の仕事の制服をハンガーに掛けていないことに気付いて立ち上がる。

(明日、朝一またシバに会いに行かないといけないのか……)

 俺は、自分の上司の無感情な表情を思い出し、少し気分が滅入った。

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