遺されたもの - 2

 博物館となった家へ一歩足を踏み入れると、チケットの確認のための無人ゲートが目に入った。携帯にチケットの画面を表示する必要があるようなので、アンドレイはその指示に従い、前日のホテルで予約したチケット画面を表示しておく。


 ここ数十年で解説等もアンドロイドが担当する博物館は増加しているが、ここはゼフィン家の末裔が学芸員として様々な歴史を解説しているらしく、これが他の博物館との差別化となって人気を得ているらしい。


なんて書かれていた観光地図のことを考えながら、アンドレイは無人ゲートを通りチケットの購入を証明すると、順路に従って進んだ。まずは客間だ。まずはゼフィン家の歴史についてらしく、使われてはいないものの手入れはされている暖炉の前に学芸員なのだろう若い青年が立っている。


ブロンドの髪を肩の辺りまで伸ばし、切れ長の目が特徴的な人物だ。展示の内容は昔の契約書や服、写真が殆どで大体は幼き日に祖父からアンドレイが聞いた内容と同じものだった。


しかし、アンドレイも知らないゼフィン家の歴史もあった。戸籍上の死後は、歴史上の表舞台に上がってきたわけでもないゼフィン家がどうなったのか、今まで知る由もなかった。


どうやら二二世紀初頭、ゲオルギー・ベスプラント、本名をエカチェリーナ・ゼフィンといった作家が「長命人キリル」という児童文学を執筆し、世界的ベストセラーになったらしい。


縁もゆかりもない人物の書いた作品であれば、単なる偶然として流すことが出来ただろうアンドレイだが、もしかしたらという可能性を信じて、学芸員の青年へ声をかけた。


「すみません、お聞きしたいことがありまして」


小柄なアンドレイよりも少し背の高い青年は、はい、と答えると同時にアンドレイの目を見る。その顔には驚きの表情が浮かんでいた。


「失礼を承知でお伺いしますが、キリル・ゼフィンさんでしょうか」


キリル、二度と呼ばれることがないと思い込んでいた名で呼ばれたアンドレイは面食らってしまう。


しかし、アンドレイも会ったことのない先祖の名を誰一人把握していないという訳ではない。祖父の代以前にロマノフ家に仕え、死んでいった子爵を何人かなら名前を言える。故にその類だろうと判断を下し、学芸員の青年に肯定の意味を込めて頷く。


「伝承は事実だったんだ……。お初にお目にかかります。私はグレゴリー・ゼフィン、ナーヴィ・ゼフィンの末裔にございます」


 グレゴリーはそう言ってアンドレイへ頭を下げる。三百年という時間を経て自分は神格化されるような存在にでもなってしまったのだろうか。


アンドレイはかしこまって挨拶をする青年を見てそのような感想を抱いた。自分に館内を案内させてくれ、という青年の要望を聞き受けたアンドレイは彼の説明を聞きながら彼に続いて館内を歩く。


「このコーナーではゲオルギー・ベスプラントについての展示を行っています。彼女がどうして長命人キリルという作品を書くに至ったか。興味深くありませんか?」


特にあなたには、とグレゴリーは付け加える。アンドレイが頷くと、グレゴリーは待ってましたと言わんばかりに話し出した。


「うちの伝承にキリルという数百年を生きる人物がおり、彼はいずれこの場所へ戻ってくると言われていました。話によると彼はゼフィン家の人間で、二十代で失踪して以来生死不明だそうです。


死者の魂が返ってくることを望む伝承として成立したという民俗学者もいましたが、僕ら一族は伝承をそのまま事実として捉え続けていました。そんな中でゲオルギーはキリルという人物は本当に生きており、こういうことをしているに違いない、という彼女自身の考えを小説にしました。


これが長命人キリルです。全十一巻あるこの作品の中でも特に人気なのは三巻の長命人キリルと過去の亡霊という作品です。これは実際のキリル・ゼフィンの過去に基づいていて、かつてこの地に存在したソビエトについて彼がどのように折り合いをつけていったのかがゲオルギーの解釈も交えて語られています。


僕も幼少期に読みましたがバトルシーンが熱いんですよね」


 記憶にないバトルシーンの説明を始めるグレゴリーを横目に、アンドレイは書版の本や挿絵に使われたイラスト、作者本人による長命人キリルのスケッチに目を通した。やはりモデルになっているのがアンドレイ自身だからか、髪が白く眼は赤いという特徴は捉えられている。


しかしアンドレイと異なり背が高く、髪も長く伸ばしており、ローブのような服を着て腰のベルトには剣がぶら下げられている。アレクサンドル・ネフスキーにも匹敵しそうな英雄の姿をした長命人キリルに対し、アンドレイは特別恵まれた容姿はしていなかった。


単に髪と眼の色が珍しいだけの、小柄で弱そうに見えるだけの青年だった。アンドレイが一人劣等感に支配されそうになっていると、グレゴリーはアンドレイの視線が展示物にあることに気付いたのか、解説を再開した。


「それが小説の表紙や挿絵として使用されたイラストです。どうですか? 結構これ目当てでここを訪れる方も多いんですよ。子供の頃の憧れは彼だったと仰ってくださる方も多いです。勿論僕にとってもです」


であれば本物は大したことなさそうでがっかりしたか? という言葉をアンドレイは呑み込んだ。きっとそう思いますとこの青年は言わないし、言えないだろう。


次の展示を案内しますと言うグレゴリーの言葉に従い、アンドレイは彼の後へと続いた。順路に従って進んでいくと、博物館創設者について、という展示にたどり着いた。


本来ならばこういった展示が最初に来るはずだが、何故最後にしているのだろう。その疑問を投げかけられることを予期していたのか、グレゴリーは展示の説明を始める。


「まず、創設者についての展示が最後に置かれている理由ですが、これは創設者が全ての展示を見ていただいた後に自分のメッセージを聞いてほしいという考えをお持ちだったためです」


 そう話しながらグレゴリーはかつて父の書斎とされていた部屋の扉を開ける。するとその正面には父の使っていたロシア帝国時代からの机ではなく、ゼフィン家の誰かの肖像画が目に入った。


「次に、この博物館の創設を決定したナーヴィ・ゼフィンについて……は、僕の口から語ることでもありませんね。あなたの方が僕よりずっと詳しいでしょう」


グレゴリーに促され肖像画の方へと歩みを進める。肖像画に描かれていたのは、栗毛色の髪に青い眼の柔和な印象を与えてくる若い青年だった。三百年という月日の中でも忘れたことがない、若き日のナーヴィ・ゼフィンだった。黒いスーツに、ライラック色のネクタイをしめている。


いつもアンドレイと顔を合わせるときはカジュアルな服装をしていたが、もしフォーマルな場で出会えば、このような格好をしていただろうというのは容易に想像できる。まるでナーヴィと三百年ぶりに再会したかのようであった。


「ナーヴィ……」


思わずそう声を漏らすアンドレイに、グレゴリーは満足げに微笑み


「ナーヴィさんが、あなたが未来で孤独にならない方法を考え、実行したものの一つがこの肖像画になります。絵の方が写真よりも美しい姿を残せるのではないか、とナーヴィさんはお考えになったようです。どうですか? ナーヴィさんそのものですか?」


 アンドレイはその問いにゆっくりと頷いた。遠くなっていくばかりだった記憶がまるで引き寄せられて、鮮明になって戻って来たかのようだった。アンドレイは優しく微笑み続けるナーヴィから視線をそらさなかった。


絵具という化学物質で出来た眼は、まるで生命を持っているかのようにアンドレイを見つめ返し、二度と来る日がないと思っていた再開にアンドレイの眼はナーヴィの死、その日にすら流れなかった涙が溢れだし、頬をつたった。


グレゴリーはその様子を目にすると、どう声をかけるべきか迷うことなく、一度深呼吸をし、かけるべき言葉をかけた。


「おかえりなさい、キリル」


アンドレイはシャツの袖で涙をぬぐうが、それでも溢れだす涙を抑えることは出来なかった。


 二一世紀後半の某日。アンドレイは数年ぶりにかつて不滅の生き物としてのアンドレイを作り上げた仲間の一人と再会した。


「ナーヴィさん、亡くなったんでしょ。お悔やみ申し上げるよ」


アンドレイのアパートの一室で荷物を床に置くと、十代後半くらいの西アジア人の青年は顔色一つ変えずそう話す。心がこもっていないのは誰が見ても明白だった。


「建前は不要だ。何の用でここまで来た」


アンドレイが敵意を隠すことなく青年にぶつけると、青年は笑ってやめてよと答える。


「悲しんでいないか様子を見に来ただけ。ずっと気にしてたじゃん。ナーヴィさんが先に死んじゃうの」


アンドレイは青年から目をそらす。喪失感がないと言えば嘘になるが、そういった感情を持ち合わせていることをこの男に知られたくないのだ。


「ああ。だが全てを理解した」


アンドレイの具体性を何一つ持たない返事に、青年は何の全てを理解したのかと返す。


「この生命の本質、その全てだ」


青年は顔を曇らせるアンドレイを見て何かを確信したかのようにニヤリと笑った。


「そっか。若いね、キリル」


 絶え間なく涙を流し続けるアンドレイの背中をグレゴリーは何も言わずにさする。


「よろしければ、一緒に晩餐をとりませんか? ここの奥は住居として使用しているんです」


アンドレイは頷く。たまには、誰かに頼っても良いのかもしれない。ずっと正体がばれることから逃げ続ける生き方を、少しの間は忘れても良いのかもしれない。


三百年の生にも、たまには休息が必要なのかもしれない。そんな風に考えたのだ。

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