不思議な人たち - 2

 ミリアがそう話し終えると、ナーヴィはうんうんと頷き、何を言うべきか言葉を探した。


「その……凄いですね。僕の家族なんて、亡くなったと思っていた弟が生きていたってだけで結構驚いたのに」


ミリアはとりあえず思ったことを言ってみたと言った感じのナーヴィの返答に声を出して笑い


「それはたぶん誰でも驚くと思うよ。それに私だって最初は話の全てを飲み込めなかったし、今でも正直ちゃんとわかっているかって言われると自信ない」


分かったのは世の中不思議なものもあるってことだけ、と語るミリアへナーヴィは不意に浮かんできた疑問をぶつける。


「ところで、今もそのハンノという方はミリアさんの元へいらっしゃるんですか? お聞きしたいことがありまして」


ミリアはナーヴィの質問に対してため息をつく。ナーヴィが慌てて謝罪すると、違うんだとミリアは答え


「もう、十年以上はハンノに会ってないし、私が生きている間にはもう会えないんじゃないかって思ってる。私にはできなかったんだ。ちゃんと彼を分かってあげることが」


ミリアは俯く。しかしナーヴィは彼女に何を言うべきなのか分からなかった。これが自分の辿る末路かもしれない、と思うと余計に。


「何があったんですか。僕の未来はもしかしたらミリアさんかもしれません。何があったのか……聞かせてください」


ミリアはいいよ、と低い、まるで悲しみや後悔、彼女を取り巻く負の感情全てを押し殺すような声で答え、何があったのか、ハンノとミリア、彼女の家族を取り巻いた物語が再び紡がれ出した。


 人間歳をとるのは意外と早いもので、私はいつの間にか三十歳となっていた。といってもまだその実感は湧かず、歳をとるとはこうも複雑なことなのかと思い知らされたばかりだった。


少し変わったことと言えば、ハンノが若く見えるようになったことだろうか。何だか弟のように感じられる。このことをハンノに話すとなるほど、と珍しく感心した様子を見せてきた。


「ミリアにはそんな風に僕が見えるんだね。外見ってやっぱり大事なのか。君たちにとっては」


 ハンノの故郷では外見はほぼ無意味だという話をふと思い出した。皆見た目だけは同年代なので、誰が敬うべき相手で誰が育てるべき後輩なのかは言葉を交わす中で判断するしかないらしい。


ある意味平等かもしれない。年長者であるだけでいばり散らされ、若いだけで意見を通してもらえないこの世界よりは。


「まあずっと同年代と思い込んでいた人をふと若いなと思ったり、ずっと歳上と思っていた人にふと親近感を覚えたり、ちょっとずつ老いてる自覚を持ちそうになってるよ」


ハンノは馬鹿にする様子もなくただただ頷いていた。上の空にも見えなくもないが、彼は老いていくとは何か本当に知らないのだろう。彼と同じくらいの見た目の時には私にも分からなかったが、今になって彼の見せかけの若さが欲しくなる。


「僕もその感覚、経験してみたい。これからどれだけ時間が過ぎようと、分からないままと……思うし」


 老いない方が多分楽だよ、と返せるくらいには私は大人になっており、ハンノも踏み込んだ話は避けてくれた。私たちはこの点に関しては永遠に分かり合えないのだろう。きっと私がもっと歳をとってからはなおさらだ。


「そういえば、ご両親は今年も来るんだよね」


「もちろん。毎年恒例じゃない。一体どうしたの?」


リビングで暖かいココアを飲みながら私は尋ねる。やけに深刻そうな面持ちで話を切りだしてきたハンノに不安感を持ちながら。


「ミリアの両親を悪く言いたいわけじゃないんだけど、あの二人、僕に悪い感情を持ってるように見えるんだ。恐らくいつまでも二十代をやってる僕を気味悪いって思ってるんじゃないかって」


そういえば、一週間ほど前にハンノは今年も来るのかと親に確認されたばかりだ。会うのを楽しみにしているからこその問いかけだと信じていたが、思い返してみると、ハンノへの気味悪さを両親は抱いていたようにも思える。


私は一体どうすれば良いのか、見当もつかなかった。とりあえず両親とハンノに話し合ってもらって、互いにこれからどうしていきたいのか、両親がハンノのことをどう思っているのか。話し合えばきっと分かりあってくれると思ったのだ。愚かなことに。


「じゃあさ、私に任せてよ。うちの親と上手く話し合える場を用意するから、そこでどう思ってるのか聞いてみよう。私はハンノの味方だよ。絶対にね」


ハンノの手をそう言って握ると、彼は力なく微笑んだ。そして私は、人生最悪の数十分を迎えることになる。客間、私の両親、ハンノ、私。四人はテーブルを囲みいつもの親しさではなく緊張感を漂わせて皆が皆、他人の出方を伺っていた。


「ええっと、父さん、母さん。私もハンノも、二人がハンノに何か言いたいことや思っていることがあるのはとっくに分かってる。何が言いたいのか、はっきりさせてほしいんだ。それが私とハンノの望みだよ」


私は隣に座るハンノを横目に両親にそう伝える。ハンノが深呼吸をする音が聞こえた。元々呼吸も必要ないらしいので、人間を模倣しているか若き日の習慣なのだろう。


「そうね……なんてお伝えするべきか分からないけれど……」


母が答えを探し始める。一体私とハンノを待ち受ける真実は何なのか。ハンノと一緒に固唾をのんで待ち構えていると、父がもういい、と母に伝え、はっきり言わせてもらうが、と私たちへ切りだした。


「ハンノさん。僕とカレンはあなたを気味の悪い存在だと思っている。十年もの間親父が愛した人だ。僕らなりにあなたと向き合おうとはしたがそろそろ限界だ。僕らにはあなたという存在を理解できない。どうか僕らの心の平穏のためにもここから去ってくれないか」


 容赦のない言葉が突き刺さる。しかし一番苦しいのはハンノだろう。ハンノの方をちらりと見ると、ハンノは父の方をまっすぐ見つめ、体を震わせながらも言葉を返した。


「トーマスさん。あなたの気持ちは分かりました。しかし、僕の方からもあなたにお聞きしたいことがあります。ジェイムズはこの星の人にとっては気持ち悪い存在でしかないだろう僕を一人の人間として愛してくれていました。あなたがたに同じことは求めません。ただ、僕の何がそこまでお二人から心の平穏を奪っているのか、教えてください」


 ハンノと初めて会った時を思い出す。あの時も今思えばハンノは私を警戒し、余裕があるかのように振舞っていた。そして今も同じだ。彼は私の両親を敵とみなしている。


「あまり他者を否定するようなことは言いたくないが、あなたと僕らが出会ってもう八年、あなたはずっとお変わりないようだ。そしてまるでサイエンス・フィクション映画の登場人物のような姿をしているね。ミリアのような若い子は違うのかもしれないが、僕らにとってあなたは新しすぎて、もう到底受け入れられそうにない。つまり僕はあなたが怖い。分かってもらえないか」


恐れか気遣いか、言葉を選んだ父に対しハンノはまるで鋭い刃物で刺されたかのように血の気を失った表情をしていた。ハンノ、と私が小声で呼びかけると彼は何を言うべきか思い出したかのように流暢に父へと答えだした。


「分かりました。そこまでおっしゃるのなら、その通りにしましょう。僕はもう二度とあなた達の前には現れません。荷物をまとめたら出ていきます。十八年間、本当にお世話になりました」


 ハンノは頭を下げると、私とは一切目を合わせることなく立ち上がり、二階のハンノの部屋として使われている客室へと足早に消えていった。残されたのは私と両親だけで、ハンノに向ける筈だった感情を勢いのままに両親にぶつけてしまった。


「どうしてあんなこと言ったの? ハンノの何がそんなに恐ろしいのさ! 家族の一員でしょ……」


母が弱弱しくごめんね、と呟く。対して父は私を宥めるように


「これで良いんだ。あれは僕らが面倒を見るには手に余る。それにミリア、お前にもこの選択の意味が分かるときが来る。真に平穏に暮らすには、異質なものは取り除くしかない」


そんなの納得できないから、と私は両親に捨て台詞を吐き、ハンノの元へ向かった。まだ客室にいるはずだ。階段を歳で疲れやすくなった体を駆使して駆け上がると、客室のドアを勢いのままに開けた。


「ハンノ!」


ぼうっと床に座り込み、窓の外を眺めていたハンノは私の方へ振り向く。もうそこには今まで向けてくれていた優しさも親しみもなかった。ただ音がしたから振り向いた、その程度の反応だった。


「えっと……その、ごめんなさい。話せば解決すると思っていた私が馬鹿だった。どうか、もう一度私に両親と交渉させて」


ハンノは私がそう言い終えるよりも前に荷物の片付けに戻ってしまった。少しして、服をたたみながらもハンノは私と言葉を交わすことを選んでくれた。


「もういいよ。所詮僕はどこへ行ってもよそ者だ。馬鹿だったのは期待した僕の方だ。でも君たちと会えて楽しかったよ。たった数十年で死ぬ生き物はやっぱみじめで」


 私を怒らせようと発したその言葉は、どこかハンノに向けられているもののように感じられた。たった数十年で身分を変えなければならず、挙句の果てに消えてほしいと言われる。そんな生き方しかできない彼自身への。


「ハンノ、私は何があってもハンノの味方だからね。もしも、何か辛いことがあったら、ここに戻ってきて。私が待ってるから」


ハンノは立ち上がると、ここ何年も私たちの前では身に着けているところを見せなかったカチューシャ型の装置を頭に着け髪色のカモフラージュをかけると、出窓に何年も置かれていた赤毛の人物の置物を手にとった。


「永遠に待っててくれる? それだけの時間が君にあるの? 君の寿命は残りせいぜい数十年。そんな短い期間だけの帰還場所を提示されたところで戻るはずもないだろう。君と僕は同じ生き物じゃないんだ。もう行くよ。せいぜい長生きしな」


 ハンノは私と一度も目を合わさずに私の脇を通り抜けていった。後に父はそのハンノの姿が彼の本性だったんだと語ったけれど、私にはそうは思えなかった。


きっと祖父と一緒に過ごした時間、私や両親に様々なことを話してくれた時間、そんなかけがえのなかった時間に見せてくれた顔こそが、ハンノの本性だったと今でも思っている。この日以来、ハンノは私の前に現れることはなく、ハンノの話をすることもなくなってしまった。


「とまあ、こんな感じ。なんかオチとかなくてごめんね。それでハンノが今どこにいるかは全然分からないんだ。家も空き家になってて携帯も契約切っちゃったのか一度もつながらなくて。まだイングランド国内にいるのかすら分からないよ」


変な話でしょう、とミリアはナーヴィに笑いかけたが、ナーヴィはなるほど、と真面目な性格ゆえか真剣な面持ちで頷く。


「質問なんですが、もし……これは本当に仮定の話なんですが、もし、そのハンノという方みたいな存在が他にもいて、長い間、それも僕が死んだ後もずっと、仲良くし続けるには、どうするべきだと思いますか?」


私に聞く? とミリアは笑って流してしまおうかとも考えたが、ナーヴィはこの質問から得られる答えを真剣に探しているようなので、ミリアは自身の経験から彼女のできなかったことを探した。


「まずは少したりともその人を恐れないこと、あとは家族にもその人を恐れなくていいってのをきっちり分かってもらうこと。あとは……何世代も待ち続ける覚悟を決めてあとは子孫に託すこと、かな」


なんと現実感のない話だろうか。ミリアはそう思ったが、ナーヴィはうんうんと頷き、子孫に託すという言葉をかみしめると、微笑んだ。

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