不思議な人たち
不思議な人たち - 1
ナーヴィ・ゼフィンは国際的なボランティア組織で働く自身の次の活動予定に目を通しながらカフェテリアでドーナツを頬張っていた。
優秀だがまだ若手社員でしかない彼に舞い込んでくる仕事は基本的に植樹活動や災害地の炊き出しなど人と多く触れ合うものは少ない。
だが今度は病院への訪問だ。失礼なことを言わないようにするためにも彼らの生活や心情をしっかりと理解しなければならない。上から期待されているのは分かるがあまりの期待で潰れてしまいそうだ。
そんな時は甘いものを食べると少しは気が楽になる。
「ナーヴィ君、隣良いかしら」
不意に声を掛けられる。声の主を見ると彼のすぐ側に立っていたのは上司のミリア・テーラーだった。黒い髪を一つにしばり、四十年もの間この世界で生きているというのに、その青い目は若さを失っていない。
彼女もまたナーヴィに期待をよせる人物の一人だった。
「どうぞ、ミリアさん。お疲れ様です」
ミリアはナーヴィの隣に座ると、彼の持っている資料をちらりと見る。
「やっぱ緊張する? 病院って常に生死の境目が存在する場所だからね。私も新人の頃は緊張しっぱなしだったよ」
「ミリアさんがですか? いつも堂々としているので、なんだか想像できないです」
「昔驚くべきことがあってね。それから何だろう、何が来ても驚かなくなっちゃったというかこの世界、まだわかっていることなんて少しなんだから何が起きても不思議じゃないって思うようになってさ」
「あー、僕にもありました。そういう不思議な話」
ナーヴィは資料を一度鞄にしまうと、ミリアが動じにくくなったという出来事に興味を示した。彼女が上司だからではなく、もっと個人的な理由で。
「へえ、どんな話か少し聞かせてよ」
まるで古い友人にするかのように親しく接してくれる彼女に、ナーヴィは少し考え
「簡単に言うと、僕の叔父にキリルさんって方がいるんですけど、幼いころ、僕が生まれる前に若くして亡くなったと聞いていたんです。でも本当は生きていて、生きていたと思ったら次会った時には初めて会った時とほぼ同じ姿でお若い友人と過ごしていて……上手く説明できないんですけど、どこか非人間的に感じてしまうんですよね」
どこか非人間的、その言葉をミリアはどうしてだか繰り返した。ナーヴィがそうですと答えるとミリアは仮定の話だけど、と切りだし
「そのキリルさん、この世界の技術とは思えないような何かを持っていたりはしない? 分かってる、いきなりおかしな話をしていることは」
ナーヴィの中には確信が芽生えた。きっとミリアも会ったことがあるのだ。普通の人のはずなのに、どこか違和感を持たざるを得ない存在について。
「そうですね……特にそんな技術はお持ちではなかったですが、僕に色々隠しているみたいでした。それと、あと五十年はやることがあって生きていると言っていましたね。五十年後にはキリルさん、百歳をとうに超えてしまうのに」
ミリアはなるほどね、と深く頷いた。ここでナーヴィもある可能性に気付いた。
「もしかしてミリアさんがした経験って……」
「そう、会ったことあるよ。そういう秘密だらけで、明確に何かがおかしいと感じられる人」
二十一世紀初めの年、無事に就職に成功し、新社会人としての道を歩み始めていた私が向かったのは貸別荘となった、かつて祖父が暮らしていた家だった。
鍵を開けて、先に部屋に暖房をかけて温めておく。年末というのもあり昼間でも冷えからは逃れられない。しかし懐かしい。祖父の私物など大半は片付けてしまったが、リビングのソファも、テレビの隣の小さな本棚も、今は一冊の本が入っているばかりだが、変わらなくあり続けている。
そして変わらなくあるものはまだある。玄関のチャイムの鳴る音。私が玄関から出て門を開けると、ベージュ色のコートにかつて祖父が身に着けていた深紅色のマフラーを身に着けた青年が立っていた。髪は明るい緑が肩のあたりまで伸びており、細身でどこか中性的に見えなくもない。
「久しぶり、ミリア」
祖父の元恋人兼私の友人であるハンノは、そう言って微笑んだ。最初は怪しい男だと思っていたけれど、話を聞いてみるに本当に祖父のことを想っていたようだし、親切で礼儀正しく公的な身分も一応ある。今のところは良い友人でいたいと思える相手だ。
「こっちこそ久しぶり、ハンノ。会えて何よりだよ」
私も笑みを浮かべる。貸別荘となった祖父の家をハンノは夏や冬の長期休暇になると借りて過ごしてくれている。いつも私含む家族にも来てほしいと言ってくれて、休みの間はしばらく祖父の家で過ごす、という私の家の習慣は続いていた。
少しずつ手入れもしている庭を通り抜け、私たちはリビングでソファに座り、観たい番組はなかったがテレビをつけ、近況の話に入る。
「ミリア、まずは就職おめでとう。社会人って大変だけど、自由だしもっと多くの人に出会うチャンスだと思うから、是非この時間を楽しんでほしいな」
ハンノは拍手をしながらそう語る。なんだかこの青年に言われると妙な説得力を感じる。見かけよりも歳上だからだろうか。祖父が信頼した男だからだろうか。
「なんかお爺さんみたいなこと言うね。じゃあさ、ハンノが社会人になったころはどうだったの? やっぱ大変だった?」
ハンノは足を組むとそれって、と切りだし
「ハンノとして就職して働き出した時のこと? それとも僕自身が君たちにおける社会人になったころの話?」
どちらの話も面白そうだったが、前者はよくある社会に出たばかりの若者の話でしかないように感じられた。であれば聞きたいことは一つに絞られる。
「どっちかと言えば後者かな。だって誰も知らない話でしょう?」
ハンノはそうかもしれないね、と答えた。暫くの間沈黙が支配する。流石にデリカシーに欠けていただろうか。謝ろうとした時、ハンノは考えを整理していた、と沈黙の時間への謝罪を済ませると、まだ私も、祖父も、もしかしたらこの国自体も生まれていなかったくらい昔の話を語った。
「そうだな……僕は故郷最後の子供世代で、大人になる日を待ち望まれてた。それで僕の夢は僕らの世界で一番力を持った人の下で働くことで、一生懸命勉強して、その夢を叶えた。それからの毎日は夢のようだったかな。彼は皆に優しくて、僕らが様々な報告をすれば笑顔で対応してくれた。どんなときにも。疲れたら何年でも休んで良いと言って下さったし、僕は主に各地域の伝承を調査する仕事だったんだけど、その話にも熱心に耳を傾けてくださって、とても楽しい時間を過ごせていたよ。生まれて初めて、幸せという言葉の本当の意味を知った気分だった」
「じゃあ、エリートだったんだね。やっぱそうでもないとやっていけないか。私はボランティア団体で働き始めたんだけどさ、人とのコミュニケーションの難しさを改めて実感してるよ」
必要以上にハンノの過去は掘り下げない。どうしてだか、知りたい気持ちはあったが知りすぎるのは怖かった。肯定してしまうような気がした。この世には科学で説明のつかない何かがまだ存在していることを。
「人のために行動するって何年生きてても簡単じゃないよ。僕だって常に最善を見つけ出せるかって言ったらそんなことないし、むしろ間違いだらけだ。でも大事なのは間違えてしまったらどうするのか、な気がする。時間は沢山あるんだし、ゆっくり考えていけばいいさ」
「ハンノにとってはね。でも私にはないよ。そんなには」
思わずそう言い返してしまう。だが恐らくこれが事実だ。私の一生が終わったとしても、ハンノはきっと今と変わらない姿で私のいない世界を生きている。
それが妬ましくないと言ったら嘘になるが、ハンノと同じように時間に取り残され続ける覚悟は決まっていない。仮にこの惑星が、故郷が滅んだらどうしたら良いのか分からない、そんな恐怖に耐えられるとは思えない。
「人の人生は長いと思うよ。他の生物や脳の容積から考慮すれば。医学や衛生観念の発達は凄い。いつかは人間は寿命の概念を超えられるはずだ。だからそんな悲しいことは言わないで」
私がしたい話はそんなことじゃない、と言おうとハンノの顔を見ると、その表情は窓から差す光の影響で出来た影かもしれないが、とても悲しげに見えた。ハンノはハンノなりに彼の生を、私たちとは別の生き物としての生を、嘆いているのかもしれない。
皆が歳をとり、死んでいく中で、一人取り残されるとはやはり楽ではないことなのか。私には判断できそうにもなかった。
「ごめん。嫌味だった。頑張ってみるよ、定年で退職する日には君に、今までどんな仕事をしてきたのかってのをちゃんと聞かせないとだし」
「楽しみに待ってるよ」
話が盛り上がりを見せていると、チャイムの鳴る音がする。その後鍵がガチャリと開けられ、玄関に向かった私とハンノのもとに現れたのは私の両親だった。
「お久しぶりです。カレンさん、トーマスさん。お会いできてとても嬉しいです」
ハンノはそう言って私の両親と握手を交わす。今のところは私の両親とも上手くやっていってくれている。最初はハンノの存在に両親も驚いていたが今では受け入れてくれている。もっと早く会いたかったと言われるほどには。
家族がそろったことを改めて確認した私は、ハンノとともに夕食の用意をし、ダイニングルームで食事の場を迎えた。話の内容と言えば私の就職の話で持ちきりだったが、ハンノがふとこう切り出した。
「実は僕も来年度から転職することになったんですよね」
私たち家族にどよめきが起こる。私もこの時に初めて知った。一体どんな仕事をするのか、これからは来られなくなってしまうのか、私も含め皆が様々な質問をぶつけるなか、ハンノは落ち着くように私たちを宥め、事の経緯を説明し始めた。
「転職の理由としては、そろそろ僕の外見について変な噂が立ち始め、服装や歩き方では誤魔化しが効かなくなってきたから、それで次の仕事はまだ決まっていないんです。広告系の会社を受ける予定ではありますけどね。ここへは変わらず毎年お邪魔させてもらいますよ」
「大変だねえ、ハンノも」
私は変な空気が流れるのが怖かったのもあり、間髪入れずにハンノへそう返した。ハンノはそうだね、と頷き
「でも僕の上司だった人はもっと大変だと思うんだ。それ考えたら僕なんて楽な方だよ」
なんて言って笑った。それから話はまた私の社会人生活の話に戻り、上手くやっていけてるのかと両親やハンノに何度も聞かれた。
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