人形語り

人形語り - 1

 トーマス・キートンの心はかつてないほどに舞い上がりそうだった。なんと、来年よりマンチェスターにオープンするショッピングモールの一角に雑貨店を出せることになったのだ。


ロンドンの通りにひっそり構えるこの店は弟に譲ることにし、マンチェスターの店に置く予定の雑貨をまとめると、ここ数年で普及したインターネットを駆使し、他店と一味違う雑貨を置けはしないかと自室でパソコンに向き合っていた。


 そんな風にしてネットサーフィンをしていると、「作品置き場」というサイト名の個人サイトを見つけた。素人の趣味で作られた作品など、普段は無視してしまうことが多いトーマスだったが、何故だかこのサイトが気になり、マウスを動かした。


サイトはいかにも個人が手作りしたという感じの彩度の高い背景色に派手な色でサイトの説明が書かれている。だがトーマスはそういった装飾には目もくれず、作品一覧という文字をクリックした。


 一番に目に飛び込んできたのは、白を基調とし、ラピスラズリを思わせる青で牛を描いたと思われる花瓶だ。素人の作品とは思えないほどに繊細で美しく、どこか異国情緒を感じさせてくる作品は、トーマスが四十年間生きてきた中で何よりも美しいと思える一品だった。


マウスを動かし、ページをスクロールしていくと、傷モノの石を複数つなぎ合わせて加工した、月をかたどったと思われる女性がつける髪飾りや、アラバスター製で百合の花が彫られたランプ、光をともすと百合の花が光を通し部屋に光で出来た百合が咲くのだろう、などプロの作品とまでは言わないが他の芸術家とは異なった才を発揮するこのサイトの主がどうにも気になってしまった。


 冷やかし程度で見ていたサイトにいつの間にか心を奪われてしまったのだろうか。トーマスはサイトの運営者の自己紹介ページを目にすると思わず声をあげてしまった。


「嘘だろ……これで」


そこに書かれていた生年は一九七六年、彼が二十歳くらいの青年であることを示していたのだ。たった二〇年の人生でこれほど美しい作品を作れるようになるのだろうか。


パスクアーレという名らしい青年の連絡先として書かれたメールアドレスへ、トーマスは早速メールを書いた。素晴らしい作品たちを多くの人々に知ってもらうために。


パスクアーレ様

突然の連絡をお許しください。私はトーマス・キートン。ロンドンにて雑貨店を営んでおります。また、来年よりマンチェスターに支店を構えることとなりました。

この度はインターネットのサイトにてあなた様の美しい作品の数々を拝見しました。そこで是非あなた様の作品を私の店で取り扱いたいと思っています。良い返事を期待しています。


心から トーマス・キートン


 メールを送信する。返信が来るかは分からない。また、かの素晴らしい芸術家の素質を持つ青年が作品を店で売るという行為を良しとしてくれるのか、という点においては自身を持てなかったが、トーマスも商人の意地故なのか、簡単に引き下がるつもりはなかった。


このようにしてトーマスが己の決意を固めている間に、件の才溢れる青年より返信が帰って来た。アメリカ英語で書かれた返信は、彼にそう意気込みすぎる必要はないことを語っていた。


トーマス・キートン様


この度はご連絡ありがとうございます。パスクアーレ・スタローンです。あなた様のお店に私の作品を置きたいというお話ですが、ぜひともお願いします。私としても、多くの人に作品に親しんでいただけるのは嬉しいことです。


 若い芸術家にしては丁寧な表現で綴られたメール文とその返答に、トーマスは満足感を覚え、うんうんと頷きながら読み進めていた。しかし、その次に続く文はあまり聞きなれないものだった。


あなたを信用していないわけではありませんが、私の作品を販売してくださる方に一度直接お会いしたいと考えています。加えて値段交渉も行いたいと思っています。それだけでなく、サイト上に公開していない作品であなたに売っていただきたい作品があります。私の最高傑作です。直接作品を見ながら、あなたとお話がしたいです。ご一考いただけますと幸いです。


ありがとう パスクアーレ・スタローン


 流石は芸術家というべきか。トーマスはため息をついてしまった。この瞬間ほどメールの相手が目の前にいないことを喜んだ日はない。インターネット上に公開されていた作品以上の作品を場合によっては買い取れると考えれば素晴らしいチャンスが回ってきたともいえるが、いきなり顔を合わせたいと言われると少し警戒してしまう。


 普段ならば電話のやりとりからどうだろうかと交渉を持ちかけるところだが、今回はそれで作品の作者の機嫌を損ねたくないという感情が勝った。


トーマスは仕方なくメールに添付された地図とそこに書かれたパスクアーレ青年が暮らす家の住所を確認した。ここから地下鉄で三〇分もかからず行ける距離だ。幸か不幸か。



 土曜日、店が休みの日を利用してトーマスはパスクアーレの家を訪れていた。いかにも若い青年が一人暮らしをしていそうなアパートの一室に。玄関のチャイムを鳴らすと、今行きますというテノールくらいの声が室内から聞こえてきた。ドアノブが回り、アパートの住人が姿を現す。


「トーマス・キートンさんですね。お待ちしておりました。どうぞお入りください」


パスクアーレ・スタローンは背が高く、イタリア系の名前の割には北欧系の血を感じさせる青年だった。目の色は明るい茶を持ち、髪は青に近い紫色へ染められているので分からないが、イタリア系の血を引く混血なのかもしれない。


 トーマスがそのような邪推に時間を使っている間に、パスクアーレは部屋の中へと歩き出し、彼はそれに続いた。お世辞にも広いとは言えない部屋に机と一対の椅子が置かれており、片方の椅子の下には段ボールが置かれていた。


パスクアーレが段ボールの置かれている方の椅子へ座り、トーマスは彼に言われるまま向かい側に座った。


「この度は私の作成したものを取り扱いたいと言って頂いただけでなく、こうして会って下さったこと、心より感謝しています」


 アメリカの訛りを含んだ英語でパスクアーレの方から話をはじめる。ここで主導権が欲しいと考えたトーマスだったが、ここで無理に話を奪おうとすれば最悪交渉は決裂。そんなミスを犯すほど若くもない。


「それで、件の見ていただきたい作品なのですが」


どこか掴めないところも持った青年は椅子の下の段ボールから、手のひらサイズくらいの人形を取り出す。小さいながらも細かいところまで作りこまれており、質の高い作品であることは間違いなかった。


赤い髪をした人物像で、白いヒマティオンと呼ばれるワンピースのような上着をまとい、手にはフランスの英雄のように旗を持っている。足にはサンダルを履いていたが、その足の指は四本だった。誰かモデルになる人物でもあるのだろうか。


「インターネット上で見た通り、素晴らしい作品ですね。特に服の質感や人物の体重のかけ方まで細かく作りこまれている。しかし大変申し訳ないことなのですが私、神話や歴史には疎いものでしてこちらが何をかたどったものなのか皆目見当がつきません。私にも説明していただけませんでしょうか?」


 パスクアーレはそうでしょうねと笑う。しかしそれは彼自身に向けられているかのようだった。


「実のところ私にも分からないんです。ただ昔から私の記憶の中にいる人物です。時に夢に現れ、人々を率いて見たこともない、聖書に描かれる悪魔よりも恐ろしい怪物と戦おうとするんです」


「それでこの人は勝つのでしょうか?」


トーマスは相手に好印象を抱かれたい、また純粋な好奇心から質問を返した。パスクアーレは気になりますか? と話を続け


「残念ながら所詮は夢、いつも戦いの最中に目を覚ましてしまうんですよ。時に、私がこの人物として怪物に立ち向かわなければならない時もあります」


 子供の見る夢のようでしょう、とパスクアーレは笑う。その姿は落ち着きを払った大人にも、無邪気さをそのままに残した子供のようにもトーマスには見えた。才能だけの若者と侮ってはならないらしい。


「それで、この作品を私はどうしたら良いのでしょうか?」


パスクアーレはすぐに笑みを消し真面目な表情を作り上げると


「そうでしたね。こちらをあなたに差し上げます。どうかこれを売ってほしいのです。いくらで売っても構いません。お願いできますでしょうか」


落ち着いた様子でトーマスへと頼み込む。こういった場には慣れているようにも感じられるその様子に、トーマスは商売人としての対応をすることを選んだ。


「分かりました。しかし理由も分からないままにこちらの作品を商品として扱うわけにもいきません。芸術に足を踏み入れている人間が魂を提供するのは、神からの試練を与えられた子供たちの前くらいでしょう」


 怪しい作品を掴むわけにはいかない。先祖は絵画を扱っていたらしいが、その血がまだトーマスにも流れているのだろうか。


パスクアーレの黄を帯びた目は感情を露にすることなくそのわけを淡々と説明し始めた。トーマスが説明を要求するよう、話を誘導したと思えるほど冷静に。


「実は私には幼少期の記憶がありません。施設に拾われたころには名前も何もかも分からない、何も持たない子供でした。そんな私にとって唯一の記憶が、この赤い髪の人物なんです。きっと英雄なのでしょう。だからこそ、これを売っていただきこの人物はどこの誰なのか、或いはどこで信仰されているのか知りたいんです。そうでなくとも、こんな人物の存在がどこかで語られていることを知ってほしい。私の思いはそれだけです」


良い話だ。実に。仮にトーマスがこの青年のもとに作品の受け取りに来ていたわけではなかったらこの話に感激していただろう。だが今は店の命運を左右するような商品の取引。残念ながら彼の境遇に同情している暇はない。


「そうだったのですね。分かりました。是非うちで取り扱いをさせてください。また、譲っていただける他の作品の料金なのですがこちらでどうでしょうか」


 怪しいものではなく、タダで作品を譲ってもらえるなんて幸運なことはない。トーマスはパスクアーレに同情する様子を見せながら、取引成立のため雑貨の代金を提示した。

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