さよならだけが人生じゃない - 5

 僕は最近体調を崩しがちだというジェイムズの代わりに昼食後の皿洗いを終わらせると、ダイニングでテーブルの前に座ったままのジェイムズに呼び出され、向かい側にいつもと同じ通りに座った。


「実はね、ハンノ」


十年の付き合いで分かってきた。こうやって彼が僕の名前を呼ぶときは大体悪い話をする時だ。


「君の心の準備が出来たらで良いと言ってはいたが、そろそろ僕の家族に会ってほしいんだ。空いている日を教えてくれ。家族に伝える」


どうしてだかいつもより切羽詰まった様子のジェームズに、僕も動揺を隠し切れなかった。


「ちょっと待ってくれよ、どうしていきなり。この前言ってたじゃないか、心の準備が出来たらで良いって」


「ハンノ、僕と君は出会って今年で十年になるんだ。いい加減息子に怒られてしまってね。紹介もできないような人物ならば会うのをやめるべきだとね。どうか家族の誤解を晴らすためにも会ってはくれないか?」


「それよりも急に困るよ、僕にだって予定はあるし、何よりも前と話が違う。何かほかに理由があるんじゃないのか? まずは何があったのか話してくれよ」


 わがままばかりではいけない、それは分かっているはずなのに僕はジェイムズに詰め寄ることしかできなかった。


「言っただろう。会ってもらえないと最悪、僕の家族が君のことを調べようとするかもしれない。それを防ぐためにも、どうか会ってくれ。君が正体を隠したい気持ちは本当に分かっている。しかし悠長なことが言っていられなくなってしまったんだ。お願いだ」


ジェイムズは座ったままに頭を下げて頼み込んでくる。恐らく彼があげている理由以外にも何か事情があるんだろう。


なのにどうして僕には隠そうとしているのだろうか。愛想をつかされているのかもしれない。人間にとっての十年は昔になるほどの時間だ。心変わりしても不思議じゃない。


「無理だよ。大事なこと話してくれないなら僕だって正体は隠したい。それは君が一番分かってるんだろう!」


思わず声を荒げてしまった。するとジェイムズは顔をあげ、机をバン、と叩く。この家で聞いたことがないほど大きな音が響き渡った。


「いい加減にしてくれ!」


怒られてしまった、自分が悪かった。それは分かる。だが、怒らせてしまった、嫌われたかもしれないという恐怖に体が支配されていくのは止められなかった。今すぐ逃げ出したい。逃げてはいけないのに、逃げだしてしまいたい。


「すまない、ハンノ。君と違って僕には時間がそう多くない、それで」


 その先の言葉を聞きたくなくて、僕は思わずジェイムズの家を飛び出してしまった。外に出てカチューシャをつけなおすと、帽子を深くかぶり、現実から目を背けるように走り出す。この先の記憶はない。


気が付いたときには家のベッドにうずくまって泣いていた。何もする気になれなかった。会社も何日か有休で休んだ。少し前まで十一月で出会って十年になるという話で盛り上がっていたし、休みをとったらそこでジェイムズの家族に会おうとも考えていた。それが半年と少し早くなるくらい本当は何の問題もなかったのに。


全て教えてもらいたいという傲慢さで、僕は何もかもを失ったのだ。馬鹿らしい、偉大なる僕らの指導者だったら、きっと僕のことを愚か者だと評価するだろう。それで構わない、仕方がない。


 何日か経って、三月の初旬になったころ、僕はジェイムズに謝って、家族とも顔合わせすると言いに行こうとした。


だけれど、ジェイムズはもういなかった。まだ寒さの厳しい中で何時間待ってもジェイムズは現れなかった。それから、仕事が休みの日は何度も彼の元を尋ねたけれど、一向に現れなかった。


 もしかしたらジェイムズは家族と一緒に住むためにロンドンへ引っ越してしまったのかもしれない。それを伝えたかったのに、僕がわがままを言ってしまったせいで、何も言えないまま終わってしまったのかもしれない。


そんな考えが頭の中を支配するようになった。だがジェイムズのことを簡単に諦められず、出会って十年の節目になる秋の終わりに近づく今日も、彼の家を訪れることをやめなかった、やめられなかった

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