さよならだけが人生じゃない - 4
友人から恋人に昇格した僕は、休日になると毎日のようにジェイムズの家へと行っていた。近くを一緒に散歩したりもした。
どこか遠くへ旅行するのも悪くないけれど、住み慣れた街で一緒に過ごす方が僕らは合っていた。ジェイムズを遠くへ連れていくのは、アリスの役目だったとも思っている。そんな毎日が六年間続いていた。
「おはよう、早く会いたくて朝一で来ちゃった」
「まだ食事の用意も何もできていないよ。せっかちだね、君は」
「手伝いたいから早く来るんだ。良いだろう?」
僕は帽子とカチューシャ型の装置を外すとコート掛けの一番上に掛けておく。コートも同じようにコート掛けに掛けた僕はまっさきにキッチンへ向かった。
料理なんて生まれて一度もやったことがなかったから、慣れないことばかりだけれど、だからこそ楽しい。指示された通りに包丁を用いて赤い野菜を切っていく。赤いものを切るのには故郷の英雄を連想させて気が引けたけれど、それよりもこの野菜を切ったらどんな料理が完成するのか、そっちの方が気になった。
完成したのはサンドイッチだった。いつもの朝食と違って思わず驚いてしまい、ダイニングテーブルに向かって既に座っているジェイムズの方を見ると、彼は微笑んで
「いつも慣れない作業ばかりだったから、たまには君が楽しく作れるものでも作りたいと思ってね」
なんて言われてしまった。彼は僕の運んできたサンドイッチを受け取ると、美味しそうに頬張ってくれた。僕も同じようにしてみたが、どうにもソースの量を間違えた感じが否めなかった。
「今日は何をしようか。疲れていなければ、街まで外出でもしないか?」
ソースの適切な量についてで頭がいっぱいだった僕はつい驚いて何? と聞き返してしまった。
「たまには街で買い物がしたいと思ってね。一緒に来てくれないか?」
「もちろん! ジェイムズと一緒ならどこで何をしてもきっと楽しいと思うからね」
これは悠長にソース云々を考えている時間はない、僕はそう考えて残りのサンドイッチを口の中へと押し込んだ。
泊まるときに使用している客人用の部屋で髪色を枯葉のような色に戻し、髪型を整えているとジェイムズがドアをノックする。
「あとちょっとだけ待って」
「たまには髪色、隠さず外に出てみるのも良いんじゃないかって僕は思うよ」
僕がドアを開けると、ジェイムズが続きを話しだす。
「最近の若い人には髪の色を明るくする人も多いし、何より僕の付き合っている君は髪が明るい緑の人だ。わがままかもしれないけどね」
「ほんとそうだよ。君はわがままだ。でもそんなところが、僕は好きなんだと思う」
そう答えて、僕はカチューシャを外した。それから地下鉄に乗り、マンチェスターの市街まで出ると、やはり人は多く、この国有数の都市であることを思い知らされる。しかし一体どこへ行くのだろう。
数百年間残り続ける建物はあれど、ショッピングが楽しめそうな雰囲気はない。ジェイムズがついてくるように言うので、その言葉に従い、二階建てくらいの住宅の並ぶ住宅街を抜けると、見慣れない建物が出てきた。これが行きたいと言っていたショッピングモールだろうか。
「一人で行くには体力が持たないと思ってね」
「これは、一日かけても楽しみきれそうにないや」
僕はそう返す。髪色のことはもう気にならなかった。たまに興味本位からなのか見られることはあるが、髪を染めている今風の若者、以上のイメージは持たれていないらしい。
ショッピングモールの中は古代ローマ建築のような柱とアーチを模したデザインになっていた。壁も床も大理石のようになっていて、マンチェスターもラテン語名に由来していたことを思い出させてくる。
それにしても広い。ここからジェイムズはどこへ行こうというのだろうか。
「君に使ってもらっている部屋が殺風景だったから、何か置きたいと思って今日は来たんだ。後は新しい紅茶も用意したくてね」
ジェイムズが僕のそんな疑問に答えるかのようにそう話す。僕のためにこのオープンしたばかりのショッピングモ―ルへ行くことを誘ってくれたらしい。
カチューシャを外すように言ってくれたのも、自分らしくあってほしいという気持ちからなのだろうか。まずはモール内のマップから雑貨店を探し出し、僕らはそこに向かった。
最近の流行りを取り入れているのか、雑貨店には古風なものから今風の雑貨までそろっており、休日の滞在に使うだけも部屋も彩りが増えるのはなんだか喜ばしい。
ジェイムズは家族が来る時のためにリビングをきれいにしたいと別の雑貨店を見に行った。そういえばジェイムズの家族には会ったことがない。
まあ、会いたくもないし向こうも今更恋人を名乗る男が現れても嬉しくはないだろう。ジェイムズは長い休暇を家族と過ごし、週末はロンドンで忙しい家族の代わりに僕と過ごす。それくらいが丁度いいんだと思う。
この雑貨店で最終的に買ったのは、赤い髪をした人物の置物だった。どこの誰をかたどったのかは分からないが、僕の故郷で信仰されている伝説上の英雄にどこか似ていたからだ。
「何かの伝説上の人物かな、君の買ったオブジェは」
「僕も分からないけれど、僕の生まれたところで信じられている英雄に似ててさ」
「そういえば、君はチュニスよりもずっと遠いところから来たんだったね。じゃあ、君はいつか帰ってしまうのか。寂しくなるね」
買って袋はいらないと言ってきた置物の英雄をもう一度見つめる。どこかの芸術家が趣味で作った作品と説明には書かれていたが、旗を持ち、白い服をまとい、赤い髪は風に揺れているかのようにたなびいた様子が表現されている。
そして足の指の数は四本。本当によく似ている。故郷に帰ればこんなところで小さなオブジェに心をよせなくてもこの英雄をまつった地が沢山ある。だがそんな停滞しきった場所が嫌で、苦労の末この星へ滞在する許可を得た。
「帰ると言っても、遠い未来の話だよ。少なくとも、君の生きているうちには帰ったりしないよ」
「じゃああと十年もしないうちだね」
「そんな悲しいこと、言わないでよ」
ショッピングモールの喧騒の中を歩きながら、そう話した。ジェイムズの買ったものを見せてもらったが、可愛い猫のオブジェだった。
孫が可愛いもの好きだかららしい。そんなに愛されるお孫さんはさぞかし幸せだろう、なんて思った。ショッピングモールには驚くことにフードコートまで備えており、僕とジェイムズはそこで昼食を済ませることにした。
チェーン店のステーキはかなり美味しく、ジェイムズもうんうんと頷きながら味わっていた。
「この後はどうする? 欲しいものは大体買えたし、どこか見てみたいところとかってある?」
僕がそう尋ねながらショッピングモール内のマップを見せると、ジェイムズは、君は元気だねと答え
「僕はもう疲れてしまったよ。楽しい時間だけれど、僕にはここで一日中楽しむ体力がもうないんだ」
「じゃあ、あとは家でゆっくり過ごそうか」
それから、僕らは食事を済ませると、地下鉄に揺られて家に戻ることにした。リビングには猫の置物が置かれ、僕は客室の出窓に英雄に似た置物を飾った。
少し前までは故郷に帰りたい、という思いでいっぱいだったが、ジェイムズと出会ってからはむしろもっとこの地にいたいと思うようになった。僕らの指導者も今は全てのしがらみや役職から解放されて、どこかで静かに暮らしているのだろう。
暖かい人たちに囲まれてきっと生きているのだ。人と打ち解けるのが上手い人物だからきっと。そんなことを考えているとジェイムズに呼ばれたので僕はリビングへ戻った。
「ハンノ、少し考えたんだけどね」
一緒にソファに座り、テレビを見ているとジェイムズが話し出す。
「うん、どうしたの?」
「君のことを家族に話したいと思っているんだ。もう君とは出会って八年だし、君のことを受け入れてくれるって思うんだ」
思わず僕は言葉を失ってしまった。一緒に観ていたテレビの内容も全く頭に入ってこない。
「大丈夫だ。僕の家族の中に君を拒絶するような人はいない。きっと仲良くなれるさ」
「だめだ。ジェイムズは優しいから僕のことだって受け入れてくれたけど、ご家族が同じとは限らない。不特定多数の人に僕のことを知られたくはないよ。それに付き合ってるなんて言ったらどう思われるか……」
こういう時は相手の記憶を消して逃走するべきだと、ここへ来る前の研修で教わったが、そんなことをジェイムズにしたくなかった。それ以前に僕とジェイムズなら話し合えばきっと、互いに納得できる結論に辿り着けるはずだ。
「君ならそう言うと思ったよ。ハンノ。でもいつかは紹介したいと思っている。それは忘れないでくれ。僕は君が正直に何者なのか教えてくれたことを嬉しく思っているんだ」
「僕も、嬉しく思っているよ。信じてくれて」
流石はジェイムズ、僕のことはお見通しらしい。だが、いつかは彼の家族に会うことは避けられないのだろう。怖いという気持ちはきっと消えない。それでも、本当にこれからもジェイムズと生きていくのなら必要なことだ。ジェイムズには彼を思ってくれている家族がいるのだから。
「ごめんごめん、怖がらせてしまったね。心の準備が出来たら教えてくれ。僕の家族だ、それまでくらい待ってくれるさ」
呼吸が浅くなって肩を上下させる僕の背中をぽんぽんと叩いてくれる。ジェイムズの体温が伝わってくるのが嬉しくて、僕は少しだけ彼へと体重を預けた。
これ以降、ジェイムズは家族に会ってほしいとは言わなくなった。彼の息子やその妻、孫の話などはよく聞いたが、僕はそれに相槌をうつだけで、特に詳しい話を求めることはなかった。そんな中、再びジェイムズが家族に会ってほしいと言ったのはそれから二年の歳月が過ぎた今年、二〇〇〇年の二月下旬の話だ。
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