さよならだけが人生じゃない - 3

 一年後、僕はすっかりジェイムズの友人となり、住所を互いに教えあい文通をするようにもなっていた。それでも、定期的にジェイムズの家へ通う生活を続けていた。


「こんにちは。二か月ぶりだね。なかなか忙しくってさ。それに仕事も何とか皆に馴染めてきてるんだ。ジェイムズのおかげだね」


すっかり親しく話すようになった僕の話をジェイムズはうんうんと頷きながら聞くと


「それは良かったよ。さあ入って、もっと話を聞かせてくれ」


 家にあがると、ダイニングテーブルにはスコーンと紅茶が既に用意されていた。僕が来る時間まで把握してもらっている。特別に思われているかのようで気分はとても良い。僕は仕事が軌道に乗ってきたこと、会社にもまだ数人だが、連絡を取り合う友人という存在が出来たことを話した。


ジェイムズはそれを孫の成長を喜ぶ祖父のように聞いてくれていた。また、彼はこうも話してくれた。


「実は僕も、近所の人から昔みたいに活気が戻ったって言われたんだ。言われてみると、ここ最近君に会うことはもちろん、どんな紅茶を買おうか、明日は何をしようかと、未来のことを考えるようになった気がする。本当にありがとう、僕がここまで楽しい毎日を送れているのは君のおかげだ」


「僕の方こそ、ジェイムズに会えなかったら今頃この世界に絶望して見切りをつけていたかもしれないよ。故郷にいつになったら帰れるのかと思案する毎日から抜け出せて、本当にうれしかったから」


スコーンに甘みのほとんどない、ミルクの香りを楽しめるクリームを塗り一口かじる。その様子をジェイムズは愛おしいものを見るかのような目で見ていた。


僕もジェイムズのことは好きだ。でも、僕は隠し事だらけ。名前も外見も出身も嘘だ。年齢は明かしていないけど、ジェイムズが予想しているような年頃じゃない。ジェイムズが見た目通りの年齢ならば、僕の方が彼の何倍も、下手したら何百倍も歳上だ。


この事実をジェイムズが知ったら、僕を国のような公的機関に売り渡すだろうか。それとも、化物と罵るだろうか。はたまた受け入れてくれるだろうか。実のところは、ジェイムズなら分かってくれるという幻想を抱きしめている。


「そろそろ僕らが知り合って一年といったところかな。なんだかあっという間だったよ。それでいてとても長い時間に感じられた。アリスと付き合い始めたころのようだ。不思議なものだね」


 ふと、紅茶を飲む手が止まる。アリスはジェイムズの亡くなった妻だ。僕は彼女にはなれない。それに僕とジェイムズは親しい友人。なのに、時にアリスへ嫉妬に似た感情が沸き上がってくる。もっと早くジェイムズと知り合えていれば、僕はこの星で孤独を抱えずに済んだかもしれないのに。


いや、そんなことはない。きっと若き日のジェームズは僕とは親しくしなかっただろう。僕のような、隠し事だらけの男とは。


「ハンノ? 大丈夫かい? 仕事で疲れているのかもしれないね」


「ごめん、久しぶりの時間が嬉しくて」


「良かったら、今日は泊まっていかないか? 客人用の寝室が空いているし、君はこれからもっと忙しくなるんだろう? 迷惑でなければ、どうかな。君に話したいこともある」


 泊まる、その言葉を聞いたとき僕は今までにないほどの喜びを感じた。そこまでジェイムズが僕を信頼してくれているとは。


だが有頂天のまま返事をするわけにはいかない。僕はこのまま彼のやさしさに甘えて彼を騙し続けることができるほど、器用ではない。しかし本当のことを話すのは恐ろしい。こういう時、僕の知る指導者の彼はどうするのだろう。


どうやって、地球人とは微妙に異なる外見を持ちながら、彼は人間社会に溶け込んでいるのだろうか。


「ごめんね、やっぱり迷惑だったかな。君の都合を考えずに軽率だったよ。どうか今の」


「待って。ジェイムズが良いなら、僕もゆっくり話したい。それに言わなきゃいけないこともあるんだ」


覚悟が決まったわけじゃない。でもここでジェイムズを悲しませたくなかった。それにここまで親密になったのだから今更拒絶なんてされるはずがない。そう自分に言い聞かせて、僕はジェイムズに向き直った。


 日が落ちて夜になると、リビングでジェイムズのお気に入りの本を読んでいた僕のもとに、パイ生地が焼ける良い匂いが訪れる。そろそろ夕食の時間らしい。


「ハンノ、そろそろ夕食の時間にしないか?」


「うん、今行くよ」


本にしおりをはさむと、僕はダイニングルームに向かい、ミートソースがたっぷりのパイを頂いた。


「どうかな。昔と比べれば料理も上手くなったんだけどね」


「凄い美味しいよ。流石ジェイムズだね」


「ありがとう、元々はアリスの得意料理だったんだがね、私にもできないかと試行錯誤しているところなんだ」


アリスは料理上手だったのだろう。そうでもなければ味の再現を目指そうとはしないはずだ。


「じゃあ思い出の味なんだね。なんだか共有してもらえたみたいで嬉しいよ」


本当はこの体に食事は必要ない。だからこそだろうか、ミートパイはとても美味しいものに感じられた。


「そう思ってくれたなら良かったよ」


そう答えたジェイムズは、僕に何かを隠しているかのようだった。これを食べさせたのはもしかしたら別の意図があったのかもしれない。でもそんなことを聞き出せるはずもなく、食事の時間は終わりを告げた。


「ごちそうさま、美味しかったよ。さっきの小説の続き読んできていい? すっごく面白いよ」


「その前に話したいことがあるんだ」


ついにこの時が来てしまったか。僕は姿勢を正すと、ジェイムズの青い眼を見る。


「分かった。いいよ」


ジェイムズは少し考えるそぶりを見せると、話をはじめた。


「僕にはアリスっていう妻がいた。優しくて、ちょっと天然なところもあるが、それが素敵な女性だった。やがて息子のトーマスが生まれ、彼が結婚して今では孫のミリアもいる。良い家族を築けたと思っているよ」


頷く。しかし何を伝えたいのか、その意図までは分からない。仮に自分が本当の人間だったのなら、理解できたのだろうか。


「それでだね、僕は家族と同じくらいに君のことも好きだ。だが僕はもう長くはない。君にも家族になってほしい、とは言わないけれど、付き合っては、くれないか」


僕は思わず身を乗り出し、ジェイムズの、机に置いていた手を掴んでいた。喜びが全身を駆け巡る。僕も上手い言葉が見つけられなかっただけで、ジェイムズの特別な何かになることを望んでいた。それが何なのか、今やっと分かった。


「僕も、ジェイムズのことが好きだ。それで……その、宜しくお願いしますって言えばいいのかな」


 ジェイムズは目を見開いて僕のことを見ていた。僕も多分、驚いた顔をしているんだと思う。これで僕ももう隠し事は出来ない。もう一度席に座りなおすと、深呼吸をして、聞いてほしいことがある、と話を切りだした。


「もしかしたらジェイムズは僕を気持ち悪いと思うかもしれない、でも、これ以上君に隠し事はしたくない。落ち着いて今から起こることを見てほしい」


僕は頭に着けているカモフラージュ用のカチューシャに手をかける。これを外せば髪色の擬態は解けて、生まれつきの髪色、この世界のものではない色を見せることになる。


「ハンノ、君が何を伝えたいのかは分からないけれど、僕は今更君を拒絶したりはしない。大丈夫だ」


僕は思い切り白いカチューシャを取り外した。視界に垂れてきた前髪も、生来の明るい青みを帯びた緑を見せている。


「僕は君と同じ人間じゃない。ずっと黙っていてごめんなさい。ハンノって名前も嘘だ。歳だって君よりずっと上だ。でもこれからは君に嘘はつかない。どうか嫌いにならないでほしい」


ジェイムズは私が話し終わると、少しの間をおいて声を出して笑い出した。呆然としている僕に対し、すまないねと話し出し


「いやあ、ずっと疑問に思っていたことに対して納得してしまってね。ハンノ、君はずっと落ち着いていて、僕には時に君がずっと大人に見えた。正直全てを今すぐには呑み込めない。けれど君を嫌いになろうなんて全く思わないよ。髪も、その色の方が似合ってる」


 何年振りか分からなかったが、僕の眼からは涙が溢れだした。泣かないで、とジェイムズは言ったがそれでも涙を抑えるなんて出来なかった。久しぶりに自分にも心があり、血が通っているのだと実感した。


 よく考えると客間に通されるのは初めてかもしれない。ミリアの用意してくれた紅茶はジェイムズのものとは違ったが、すっきりとした味わいはよく似ている。話が一段落ついたので紅茶を一口飲むと、ミリアがあの、と話をはじめる。


「そんな風に祖父に言わせるほどだったのに、病気で入院してからは一度も顔を合わせようとしなかったんですね。自己の保身のために。あなたみたいなのを好きになった祖父が気の毒です」


「入院していると分かっていれば、当然顔を見せに行きましたよ。何も言わずに姿を消してしまったので、僕だってどうしたら良いのか分からなくて……ジェイムズ、本当に死んでしまったんですね。人が死ぬなんて僕にとっては久しぶりの感覚すぎて……」


 涙が溢れだす。悲しみのあまり。非難されてもいいから、何もかも捨ててジェイムズはどこにいるんですか、と尋ねるべきだったかもしれない。


自分が人間ではないと、知られたくないあまり愚かだった。こんな僕にかの指導者はなんといっただろう。


「私たちも、あなたのことをもっと聞いておくべきだったのかもしれません。てっきり入院の話もしているとばかり。それで……あなたの前の祖父は、どんな方だったんですか。もっと聞かせてください」


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