さよならだけが人生じゃない - 2
一〇年前、僕とジェイムズの出会いもほぼ運命的なものと言っても過言ではないほどのものだった。当時の僕は働くという行動をしていたけれど、周りの人と上手く馴染めず、原因が自分にあることは分かっていてもどう改善すれば良いのかまで頭が回っていなかった。
この星に来た理由はかつて僕の故郷を率いた指導者がこの世界で今は生きていると知り、接触するつもりはないけれど、偉大なる指導者が見ている世界を僕も見てみたいと思ったから。でも凡人の僕にこの社会は易しくなくて、息が詰まり早く故郷に帰りたいと思っていたある日、僕は公園のベンチに座り込み、何を考えるわけでもなく奇妙な青い空を、その先の見えるはずのない故郷を見ようとしていた。
そんな何気ない休日に、人生を変えるような出会いを僕は果たすことになる。これから話すことは、そんな何気ない休日に遡る。
何かが頭に当たったのが分かった。何かとカモフラージュ用の、この国ではカチューシャと呼ばれるアクセサリに触れないように僕の髪を刺激した何かを手に取ると、それは公園内の針葉樹だった。奇
妙な葉だ。いや奇妙なのは僕だ。でも人間と違って見える点は髪をはじめカモフラージュを効かせているはずだ。なのに職場で皆が僕を軽く避けるのは何故だろう。やはり僕は異邦人にすぎないのだろうか。
「隣、座ってもいいかな?」
不意に声をかけられ、振り向くとそこには白髪の老人がいた。だがその身なりはかっちりとしており、整えられた髪も彼が教養ある紳士であることを物語っていた。だが、その青い瞳だけが、僕と同じように心が深い絶望に囚われていることを物語るように、光を宿していないように見えた。
どうぞ、と僕がささやくように言うと、老紳士はありがとう、と帽子を軽く外して会釈をした。
「君、何か悲しいことでもあったのかい? まるで死人のような顔をしていたよ」
「ああ、会社で上手くいっていないんです。皆僕をおかしい奴を見るかのように見てきて、やってられなくて。あなたこそ、何かあったんでしょう。見れば分かりますよ」
老紳士は俯いた。いきなりこんな若者に知ったような口をきかれるのは不愉快だったのだろうか。外見なんて所詮はまやかし、そこから年齢や内面を勝手に予測し、人を判断するのは愚者の行いだ。見た目が意味をなさなくなった僕の故郷では。
「君は凄いね。若いのに。僕は妻を亡くしてね。しおらしくしてたら妻が悲しむのは分かっているんだけど、どうにも何かしようって気にはならないんだ」
「人の死は、悲しいものですから、立ち直れなくても仕方がありません。むしろこうして外に出られるだけでも素晴らしいですよ。あなたは強い人です。僕なんかよりもずっと」
「君は仕事関係だったか。大変だよね、毎日顔合わせる人と適切にコミュニケーションをとって、嫌われないように慎重に振舞っていかないといけないなんて。そんな環境で一生懸命やっている君も十分凄いことだよ。自信を持ちな」
心の底から傷ついていてなお、僕を気遣ってくれるのか。その優しさは新鮮だった。
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで心がどこか落ち着きます。今まで頑張ってきたことも無駄じゃなかったって」
「これでも定年まで仕事してきたからね。人間関係で上手くいかなかったことだって何度もあるよ。そのたびに君みたいにこの公園を訪れては風の流れや往来する人々、木の葉の揺れる音、様々な色を見せてくれる空を全身で感じて、自然から力を借りた気になっていたんだ。神様が自然の力を分けてくれていたんじゃないかってたまに思うよ」
「きっとそうだと思います」
この老人を哀れんだのだろうか、僕が彼から希望を授かったのだろうか、そんな言葉が口をついた。この国の多くの人々が信仰している神なんて、僕からすれば紛い物に過ぎない存在なのに。僕の返事に、紳士は驚いたように目を見開くと、やがて歯を見せて笑った。
「てっきりロマンチスト極まりないと思われてしまったかと思ったが、なかなか面白いね、君。良かったらもうちょっとゆっくり話さないか?家がこの近くなんだ」
「良いんですか? いきなり知らない人を家にあげて」
本当はこんな短時間でここまで信じてもらえるなんて、今までになかったからとても嬉しかった。でもなんだかそう言うのは恥ずかしくて、試すようなことを口走ってしまった。にもかかわらずこの老人は大きく頷いて答えた。
「もちろんだ。君は信用できるからね」
寒さの主張が激しくなってきた秋の終わりを感じながら老紳士の庭付きの広い家へとあがると、通されたのは客間ではなくダイニングルームだった。僕に座って待っているようにと彼は告げた。
帽子とコートを玄関でコート掛けに掛けると、お茶を用意してくれていた。クリーム色の壁紙に囲まれた部屋で紅茶の香りと正対する彼の姿に、まだ状況を理解しきれずにいた。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったね。僕はジェイムズ・テーラー。気軽にジェイムズと呼んでくれ」
いかにもこの国にいそうな名前の人間だ。確か何世紀か前の王も同じ名を有していた。王も人民も同じ名を有するという文化には、未だ慣れない。
「僕は……僕のことは、ハンノと呼んでください。出身はチュニスです」
最近読んだ小説の主人公の名をとって、僕はハンノになった。もしこの地球に僕みたいな存在がいたら、そんな物語だった。
「ハンノか。素敵な名前だね。なんていう意味なんだい? 異国の名前には明るくなくてね。良ければ教えてくれないかい」
「不滅の星々を旅する人、です」
その日はジェイムズと僕で様々なことを語り合った。長い人生の中で、気兼ねなく思っていることを話すというのは僕からすればすごく久しぶりのことだった。それから僕の仕事が休みの日には度々会うようになった。
特別なことは特にしていない。単に僕の仕事の話やジェイムズの庭の話、近隣に暮らすジェイムズの知り合いたち、好きな紅茶、よくある会話をするだけだ。と、僕がジェイムズに出会うまでの話を聞かせると、優しい彼の孫娘は僕のことを敵でも見るかのような目で睨みつけながらもこう尋ねてきた。
「で、その友人関係がいつ恋人というものに変わったのですか?」
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