ハンノの旅路
燈栄二
さよならだけが人生じゃない
さよならだけが人生じゃない - 1
二〇〇〇年四月一〇日、祖父はマンチェスターの病院で七〇年に渡る生涯に幕を閉じた。祖母を亡くしてからの十五年前には、目に見えて元気を失っていたし、私や父母が訪ねてもどこか寂しげだった。そんな祖父が十年くらい前から、素敵な友人が出来たと話してくれていた。
その時期から再び活気を取り戻し、友人とのささやかな時間を色々聞かせてくれた。でも、私たちがその方にご挨拶がしたい、と言うと決まって祖父は出来ないと答えた。理由としては祖父の友人の方は内向的な性格の方で、私たち家族三人の前でも緊張して話せなくなってしまい、失礼な対応をとってしまうかららしい。
そんなこと気にしないから会わせてくれと言っても、祖父は答えなかった。それから十年、友人という方は素晴らしい方らしいが、どこの誰なのか知らされず、分かっているのは「ハンノ」という名前とイングランド人ではないということだけで、祖父はこと切れてしまった。
半年後、寒さが肌を刺すようになり、秋物では防ぎきれないことを思い知らされながらも掃除のために祖父の暮らした家を訪ねると、家の前に立ち尽くす人影を見つけた。
手入れの行き届いていた庭に雑草が目立つようになり、閉じられた窓が寂しい家に似合うような黒いコートにダークブラウンの髪をした人物は、何をするわけでもなくただただ祖父の家を眺めていた。空き巣でも狙っているのだろうか。警察を呼ぶべきだったのかもしれないが、私はその人物へ声をかけてみることにした。
「すみません、うちに何の用ですか?」
やっと私の存在を認識したのか、黒いコートの人物は私の方へ向き頭を下げる。私と同年代にあたる二十代前半くらいだろうか。ダークブラウンの髪を後ろに流し、頬骨が高くて赤みを帯びた白い肌をしている。目は明るい緑だが、どこか見たことのない不思議な色をしていた。一般的に整った顔立ちと言われそうなこの人は一体何の用があって家の前にいたのだろうか。
「こんにちは。ここがあなたの家とは知らず、大変失礼しました。私の記憶ですとここにジェイムズ・テーラーという方が住んでいたのですが、勘違いだったようで」
「ちょっと待ってください。あなた、うちの祖父のことを知っているんですか?」
思わず話をかぶせてしまった。緑眼の青年は驚いたようにはい、と答え
「知っているも何も、友人ですし。祖父ということは、もしかしてジェイムズがよく話しているミリア・テーラーさん?」
「だったらあなたが、祖父の言っていた友人の方ですね。ずっとご挨拶させていただきたいと思っておりました。ご存じの通り、ミリア・テーラーは私です」
「初めまして。私の名前はハンノです。あなたのお祖父様のジェイムズさんの……友人です」
友人、という言葉を言うのにハンノは少し戸惑ったように見えた。
「それで彼は今どこに? 最近ご自宅に伺ってもいらっしゃらなくて」
思わずため息をついてしまう。今まで何も知らないままこうして家を訪ね続けたのだろうか。私たち家族に挨拶さえさせてくれれば祖父が持病の悪化で入院したことくらいすぐに連絡してやれたのに。
「長話になるので、上がっていってください。説明はそれからにします」
私はハンノを客間に通すと、水筒に入れてきたお茶をキッチンに残っていたティーカップに移し、彼へ渡した。
「それで、ジェイムズのことなのですが」
ハンノはお茶を一口飲むと、さっそく本題に入ろうとしてくる。彼の向かいに座る私は再びため息を漏らしてしまったが、祖父がどうなったのかなど隠すまでもない。
「今年の四月に亡くなりました。三月初旬から入院していたのですが、治療もむなしくといったところです」
「亡くなった……?」
はい、と告げる。半年経っても悲しみは癒えたとはいえず、泣き出しそうにしてしまうのを堪えて。この家に来るといつも思うのだ。これは全て悪夢で、ここに来れば庭の手入れは行き届いていて、呼び鈴を鳴らせば穏やかな笑みで祖父が迎えてくれるんじゃないかと。
きっと私の向かい側に座る青年も同じだ。いつかは、祖父が何事もなかったかのように優しく迎え入れてくれると思っていたのだろう。
「私からも質問させてください。あなたは祖父の何だったのですか。私たちとの接触は拒み、祖父の前に姿を現し続けて。それに、十年前なんて、あなたも未成年だったでしょう」
ハンノはティーカップをテーブルに置くと、変わった緑をした目で私をまっすぐ見つめた。
「そんなに若く見られていたとは、光栄です。恐らく私はあなたと十歳ほど歳が離れています。それと、先にお伝えしたように私とジェイムズは友人同士でした。ご家族の皆様に顔合わせをしなかったのは申し訳なく思っておりますが、私ごときのために皆様にご足労いただくのも申し訳なかったのです」
「私も含め家族は皆、祖父のことが好きです。だからこそ、祖父と十年間も付き合いを持ちながら、一度も私たちの元に現れなかったあなたに不信感を抱いています」
ハンノは笑みを浮かべた。祖父は何故この男に信頼を置いていたのだろうか。私の勘はこの男を信用するなと言っているのに。
「そうですか。難しいものですね、人間関係というものは。きっとあなたには本当のことを明かした方が良さそうです。私の名前はハンノ、ジェイムズ・テーラーの恋人です」
「何言ってんですか? 恋人って……」
まるで祖父の付き合いを反対しているかのような物言いになってしまったが、私にとっては驚きを隠せない話であった。祖父は亡くなった祖母を深く愛しており、他の人と付き合うなんて考えられなかったからだ。恋愛は自由と思っているが、流石にこれは驚かざるを得ない。
ハンノはこの状況すら予想していたのか、落ち着いてくださいと私をなだめ
「本当はこうして皆さんに拒絶されるのが怖かったのです。しかし、私は彼を本当に愛していました。そしてジェイムズはこんな私のことを愛してくれていました。この地に来てずっと居場所のなかった僕のことを」
今まで礼儀正しい紳士のようだったハンノが、何故だか幼く感じられた。明るい緑の眼は捕食者のような怪しい輝きを秘めているかのように錯覚させてくる。こうして祖父のことも騙したのだろうか。全身に変な力が入ってしまう。恐れているのだ、目の前の青年を。
「怖がらないでください。あなたのお祖父様は僕のことを受け入れてくれましたし、どこの何者に対しても平等にお優しいお方でした。ご存じでしょう」
ハンノはチョコレート色のオールバックにしていた髪をかき戻す。すると、その髪は手品のように眼とよく似た緑に変わった。比喩でもなく、言葉通り。それは髪と同じ色をした眉も同じだ。体毛自体を変化させたのだろうか。
「カモフラージュなんです。さっきまでの方が地球人に見えるでしょう。これの力なんですよ」
そう言ってハンノは頭につけていた、とはいえカモフラージュの効果なのか全然私が気付けていなかった、カチューシャのようなものを外して見せてくる。
「あなた……」
「もう隠す気はないです。僕はあなたと同じ生き物ではありません。でもきっと、ここで会ったのも神の導きでしょう。私の知るジェイムズの話をしましょう」
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