5-fwo-

 一つ読み終えると、ロイエは静かに筆を置いた。


 「今日はここまで。別の話をしよう」

 

 「どうして?」


 ヘルが聞いた。


 「君とシャッツがレンティーノ博物館に行くと聞いたからね」


 シャッツとヘルが不思議に思って顔を見合わせた。


 「あそこには小国史の展示があるんだ。大国からの独立から、紛争まで全て。それを見てきて欲しいんだ」


 「ああ、あの退屈なやつ……」


 「そ、そんなこと、な、ないと思うけど」

 

 レーレに意見したのはマーガーだった。おどおどするマーガーと正反対に、レーレは全く気にしておらず微動だにしなかった。


 「レーレも二年前に行ったのかい?」


 「トオレットで行かされた……」


 ロイエは講壇から身を乗り出した。レーレはロイエと目も合わさず、淡々と答えた。シャッツたちより二つ上のレーレは何に対しても無気力だった。シャッツもそれなりに冷めてたが、レーレがいることで幾分ましに見えた。


 「それじゃあ、一つ質問。独立当時の大統領は?」


 ロイエが身を乗り出したまま、人差し指を立てた。椅子の背もたれに肘をついて、レーレがため息を吐いた。


 「なんで私……」


 「いいからいいから」


 「フライハイト……」


 レーレは自分の答えが正しいかどうか、ちらりとロイエを見た。無事にロイエの口から「正解」の文字が出ると、また明後日の方向に視線を飛ばした。

 

 「それじゃあ、シャッツ。大国と小国が統一されたのはいつか知ってるかい?」

 

 突然当てられたシャッツは背筋がびっと伸びた。しかし質問の答えは思いつかなかった。小さく首を振ると、隣のシュヒタンがもぞもぞと動き、もどかしさを露にした。

 

 「じゃあ、シュヒタン。分かる?」

 

 「二百年くらい前だと思います。違うかも」


 「いや、合っているよ、合ってる。さすが小国史には詳しいね」


 シュヒタンは恥ずかしそうに目を泳がせた。いつも歴史関係の質問はシュヒタンが拾っていた。ロイエの話を一番真剣に聞いているのも、いつもシュヒタンだった。だから誰も驚かなかった。


 「誰が統一したか、分かる人は?」


 今度はオーウェンの手が真っすぐ挙がった。


 「アレキサンダー総督です。当時領土を広げていた連邦の侵略に大国も小国も抵抗できませんでした」


 「うん、正解。バイショーンでちゃんと勉強してるね」


 マーガーは鉛筆と同じ細さの指で必死にメモを取っていた。


 「僕が特に見てきて欲しいのは、独立に至った経緯だ。博物館で詳しく知れると思うから」


 シャッツとヘルは何度も頷いた。


 「よし、もう夜も遅い。また今度だね、皆」


 ロイエの最後の一文字の余韻がまだ残っている時に、レーレは既に立ち上がっていた。皆の隙間を縫うようにそそくさと部屋を出て行った。


 「いつも一瞬だね。カジキもびっくりだ」


 「カジキなんて見たことないくせに」


 「まあまあつっこまないでくれ」


 ロイエがくつくつと笑った。


 「ロイエはあれでいいの?レーレがいつも帰りたそうにしてても」


 シャッツは純粋に疑問に思った。ハイラントに行かされている自分が言うのもどうかと思うが、レーレは良い態度で来たことは一度たりともなかった。ロイエからすれば嬉しくはないはずなのに、彼が怒ったり文句を言ったりしているのを見たことがない。ロイエはさっきまでレーレが座っていた席を見つめた。


 「いいんだよ。来てくれるだけで嬉しいさ。みんな大変だから」


 どういうことかと聞こうと思ったが、オーウェンの方が早かった。


 「じゃあ、ロイエ先生!今日もありがとうございました!」


 「ああ。またね」


 ロイエは騒がしく去っていくオーウェンに手を振った。ヘルやシュヒタンも続々と帰路についたが、ロイエはマーガーに声をかけて一度奥に引っ込んだ。すぐに戻ってきたが、その手には何やらパンパンにふくらんだ紙袋があった。


 「マーガー、これお母さんに持っていきな」


 「あ、あ、ありがとう、ご、ございます!」


 マーガーはいつものように詰まりながら頭を下げた。ロイエが優しく頭を撫でると、マーガーは骨ばった頬を綻ばせて部屋を出た。中身を見なくとも、何が入っているのかは分かった。シャッツや他の皆も、マーガーがロイエから食料を譲り受けていることを知っていた。それでもなお、突っついただけで崩れそうな身体であることがなんとも心苦しかった。シャッツものろのろとかばんを持ち上げ、部屋を見渡した。毎回ロイエの話が終わった後の部屋は来た時より何かに満ちている気がした。それを見るのがどこか心地よくて、一番に教室に来るのがシャッツの日課になっていた。階段の前でシャッツは思い出したように言った。


 「ロイエ、階段の上のネームプレート取れかかってたから直した方がいいよ」


 振り返ったロイエは一瞬沈黙した後、すぐにいつもの穏やかな顔を見せた。


 「そうか、ありがとう」

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