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 小国の大半には砂しかなかった。大方自然と呼べるものは川のほとり、その水を引いた畑や今朝訪れた墓地くらいだった。砂山を切り崩してできたような殺風景な住宅地は、夜に見るともっと殺風景に見えた。角ばった砂の町を照らすのは、それぞれの玄関に灯された炎だけである。壁を四角くくり抜いただけの窓からはぐずる子どもの声や食器の擦れる音、もしくは知的な会話が飛び出してくる。シャッツはそれら全てを右から左、左から右に流して先を急いだ。壁とほとんど同化している砂漠色の布をめくると、下に延びる階段が現れた。シャッツはまたいくつかめくって地下に進んだ。その先には彼らの夜の短い間だけの先生がいる。


 「こんばんは、今日も早いね」


 「ロイエ、今日は休みなんだから、もっと早い時間にすればいいのに」


シャッツは椅子の一つに雑にかばんを置きながら言った。円状に十数個ほど並んだ背もたれ付きの椅子はどれも使い古されていて、木目に沿って所々削れている。ロイエは部屋の前方の壇上に腰かけていた。少しくしゃっとした茶髪は気を遣っている感じはないが、爽やかな風に吹かれたような涼しさを醸している。


 「そういう訳にもいかないんだよ。シャッツも分かっていると思うけど、大国の力が強くなっている。白昼堂々と分離主義の私が若者を引き連れて集会をするなんて、危険すぎるよ」


 ロイエは人差し指を立てて諭すように言った。ロイエの声は不思議だ、とシャッツは常々思っていた。優しいのだけれど説得力があり、なぜか引き込まれるものがあった。


 「もうシャッツも今年でトオレット卒業か。時が過ぎるのは早いね」


 ロイエが壇上から腰を上げると、その上背の高さがよく分かる。細身なことも相まってシャッツの二倍はあるんじゃないかと思えた。


 「たった一年だよ」


 シャッツはどうして大人たちが自分の成長をそんなに大げさに話すのか甚だ疑問だった。どんな生活をしていても、小国の子どもは十二歳になればトオレットを卒業してバイショーンに入学することが決まっている。決まっているのだから、特段驚くことでもない。さらに言うと、ロイエと会ったのは今からたったの一年前。祖父のハイラントに半ば強制的に会わされたことをシャッツは記憶している。






 「ロイエさんって知ってるか?」


 それはハイラントの呟きから始まったのだ。その時は何気ない呟きのように思えたが、今考えれば相当に準備した一言だったのだろうと分かる。シャッツはベッドに寝ころんで天井を見上げながら答えた。


 「ロイエ・フォン・ラッハウス?町の端で製本やってる人でしょ。良い人だけど変わってるって聞いたことある」


 「そう、あの人だよ。わしはちょっとした知り合いでね。今度会いに行くんだが一緒に来るといい」


 「なんで?」


 シャッツは身体を起こし、怪訝な顔をした。


 「金持ちに媚び売りに行くなんていやだよ」


 「これ、そんなこと言うんじゃない」


 「だって、その人苗字持ちでしょ!昔の貴族じゃん!どうせ仕事しなくたって呑気に暮らしていけるんだ!」


 シャッツは声を張ったが、ハイラントが何も言い返さないので、少しきまりが悪かった。しわくちゃの顔は表情を変えず、静かに口を開いた。


 「ロイエさんに会えば、そんなこと言わなくなると思う。第一苗字持ちはシャッツも同じだろう?」


 空気が鋭い突きを受けたように、すっとシャッツの胸を刺した。シャッツ・フォン・デーホフの名が胸の中できりきりと音を立てた。


 「僕には関係ないよ……」

 

 シャッツの普段より低い声が継承されし気高き名を渦の中に沈めた。

 翌週、結局シャッツはロイエ・フォン・ラッハウスと引き合わされた。ロイエの自宅は今と同じ場所にあった。ドアではなく、幾重もの布が垂れ下がる壁の奥が地下に続いていた。地下は片付いているものの、物は多かった。しかも棚に置かれているもののほとんどは見たことがないような奇妙な形をしていたり、どう使うかわからない代物ばかりだった。シャッツは何度か町でロイエを見かけたことがあったが、地下室にいる姿はとても変わり者とは思えないさまだった。ただ優しさだけが表に現れていた。ハイラントが声をかけると、ロイエは朗らかに挨拶した。


 「シャッツ、少し待ってなさい」


 ハイラントはそう言うと、ロイエと共に奥に行ってしまった。奇妙な部屋に一人残されたシャッツはぐるりと部屋を一周した。部屋の中央にはいくつか椅子が置いてあり、部屋の前方が数十センチ高くなっていた。積み上げられたり、棚に整理されたりした書籍。古びた天秤に、惑星の模型。よく分からない小さな生物の標本。暗号のような文字が書かれた紙。本当に色々なものがあった。しかし、シャッツの気を引いたのは別のものだった。

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