巨人の肩の上で

SARA

第一章 僕の名前を呼ぶ人たち

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 「だめだめ、それじゃ冷たすぎる。親に向かってホースで水をかけるかいな?」


 シャッツは隣で文句を垂れたしわしわの顔に反抗的な目を向けた。そんなことはお構いなしにシャッツの祖父、ハイラントはシャッツの手からホースをするりと抜き取るとバケツに水を貯め始めた。まだ丸さの残るあどけない顔は不服そうに頬を膨らませた。


 「じゃあ、ブラシだって痛いじゃん」


 背後から飛んできたシャッツのツッコみに、ハイラントはまごつき、その手に握られた小さなブラシを見つめた。


 「いやいや、これは歯磨きみたいなものだ」


 苦笑いをこぼしながらそう答えた祖父に、孫は呆れて視線を外した。二人の前に立ち並ぶ二つの石塊が優しく静かに洗い流されると、二基は石そのものの光沢を取り戻した。辺りを見回すと、シャッツの背丈と同じくらいの色んな形の石がいくつも綺麗に並んでいるのが見える。地面には絵にかいたように美しい芝が広がり、いくつかの石の前には鮮やかな花が飾られている。その中で、シャッツには目の前のものが一番きれいに見えた。ハイラントは目の前の二人に向かって優しく問いかけた。


 「ヘルディン、カントよ、今日でお前たちが死んでからもう十一年だって。わしの地域にも大国の侵略がすぐそこまで迫っている。レジスタンスの抵抗も上手くいっているとは言えないね」


 ハイラントは静かに、しかし熱を込めて言った。シャッツも昨今の状況を思い出すと気持ちが沈んだ。まだ自分たちの住む地域には隣国である大国リージヒの侵略を受けていないにしても、日に日にその脅威を感じていた。いつ学校の前で戦闘が始まるかも分からない。


 「良い話をしよう。シャッツも一二歳になったよ。来年にはもうトオレットを卒業してるなんて、信じられないね」


 黙り込むシャッツの雰囲気を感じ取ったのか、ハイラントの口調が急に明るく変わった。小国クラインの五歳から十二歳の子どもたちは勉強のためにトオレットに通うことになっているが、シャッツにとってはもう今年がトオレットで過ごす最後の年だった。来年には四年制のバイショーンに上がり、勉強も難しくなり、さらにその後は進路も決めなければならない。戦争の心配に加えて、自分の将来のこと。話題を変えても、シャッツの気分は変わらなかった。


 「シャッツは少し前からロイエさんの所にも通っているよ。彼の所で自分の可能性を広げてくれると良いと思っているんだけど。ね、シャッツ」


 ハイラントは眠る二人にまだ語りかけながら、しわしわの顔を綻ばせた。シャッツは「通ってるんじゃなくて、通わされてるんだよ」と思うのを飲み込んで、「久しぶり」と声をかけた。


 「ヘルディンさん、カントさん、こんにちは。また来ます、多分」


 流れる空気がシャッツの次の言葉を待っていたが、空気を揺らすのはa涼しい朝の風だけである。別にシャッツも何か言いたいことがあるわけじゃなかった。記憶もない頃に死別した、顔も写真でしか知らない両親に何を話すというのだろう。ここに来るたび毎回そうなのだからハイラントももう分かっているはずなのに、なぜか毎回シャッツが話す間を空けていた。ママともパパとも呼んだことのない二人の寝床に、シャッツの小さな影がかかっていた。

 今日の昼ご飯はあれだこれだと話し合いながら墓地をあとにすると、ちょうど出口の辺りで大人の男性一人と すれ違った。ハイラントはその人と軽く会釈したが、シャッツはわざと目を逸らした。その顔に見覚えはなくても、その男性が何者かは一目瞭然だった。色味のない麻の布を器用に巻き付けた、小国の普段着。その上に緑がかった光沢感のあるジャケットが羽織られている。まだ大国に占領されていない地域でしか許されない衣服。小国のレジスタンスだ。レジスタンスは二人の隣を通り過ぎて墓地に向かった。シャッツはそのレジスタンスが触れた空気までをも避けたい思いだった。


 「シャッツ、彼には会ったことあったかな?」

 「興味ない」


 シャッツは即答した。興味がなかった。心底興味を持ちたくなかった。自分の親だという人たちが自分の子どもよりも優先した大義など、知りたくはなかった。

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